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咲けば散るような関係と分かって

いつものように2000字くらい書いて見返して「これはあんまりだろ」となったやつ。「あんまりだろ」の部分だけ残しています。


本当に「ずっと」がないことなんてもうわかっていて、それでも言葉よりもほかのもので「ずっと」があるかもしれないと思わせてくれたこと。その、空音。言葉に意味はないと知っていた。改めて無意味だと突きつけられてしまってはもう、これから何を見るんだろうか。行動ですか、視線ですか、温度ですか。

何か。言葉にできなくてもよかった、その何かで「ずっと」を思わせてくれた、そんなこと。言った言わない、言える言えないよりも、そういう直感をとったこと。それに賭けたこと。「ねぇ惜しいと思ってよ、ほんの少しでも揺さぶられてよ」とか。「あの時こうした方がよかった」とか。「たった一つでも傷がつけばいいのに」とか、ね。これってエゴでしかなくて、最初に「もうこれで傷つけられるならいいや」と手放しで思ったのはわたしだった。それが思ったより大丈夫じゃなかった。だけ。それにまた「こんなにわたしは傷ついたんだぞ」って傷ついている(笑)。自分がダサくていやだな。同じように傷ついてくれるならまだ報われるのに。どうしたってわたしには傷のひとつもつけられないことが、わたしの傷になった。

わたしのこの散々なものを見られて、「もう散々だ」と言われても仕方がない。わたしだってうんざりしている。うんざりしているんだよずっっっと。わたしがわたしのこういうところに一番うんざりしている。大森靖子が「大丈夫な日だけの私だけを見つめてよ」と歌っていた。大丈夫じゃない日のわたしも見つめてほしいのは、傲慢なんでしょうか。依存なんでしょうか。大丈夫じゃないとき、わたしがわたしを手に負えないとき、わたしから目を逸らさないで。って、もしかしてこれが駄目なの?わたしは、自分が大丈夫じゃないときに、大丈夫じゃないって言える人にしか惹かれない。駄目なのかな。そういうとき嘘でも大事そうに抱きしめてくれる人を選びたいし、選ばれたい。嘘でも上手にそうしてくれれば、それ以外のことなんて案外どうでもいいな。大丈夫な日のわたしは、いくらでもほっといてくれていいよ。

もし、わたしを傷つけたい、悲しませたい、と思っているなら。そうだったら喜んで傷つくし、泣き喚くし、目の前で悲しい顔で見つめてあげるのにね。「傷つけるつもりはなかったんだよ、悲しませたくなかった、でもごめん」って言う人の方が、うんとわたしを抉ってきた。ついでに言うけど、わざわざ線を踏み越えてきて、自分だけ正気のまま好き合おうなんて、ずるいんだよ。そんなのなら最初から距離詰めてくんなばーか。あ、そうだ、「メンヘラ製造機」ってただの浮気性だから覚えておいてね。


いつか、わたしと同じ気持ちになることがあるのかしら。いつ、誰にそうさせられるんでしょうね。コレと同じ気持ちを、嫌でも理解させられるときが来るんでしょうか。来るとしても、それは絶対にわたしに関係の無いところで来てしまうんだろうね。悲しくないって言ったら噓になるよ。わたしが何を言ったってどうにもならないことを、誰かがやってのける日がくる。今じゃない、言葉じゃない、わたしじゃない、それが悲しい。未来、たった一つの傷になれる女の子が心底羨ましい。「絶対に誰にも屈しない」と決めているお互いが、2人で一緒にいるがゆえに、お互いにだけ降参するような、そういうのっておとぎ話なんでしょうか。

好きな人にとってたった一つの希望になりたいって思うひと、いるでしょう。わたしは、好きなひとのたったひとつの傷になりたい。どちらにもなれないことにもうんざりしている。反対に、好きなひとがわたしの希望になって絶望になっていくさまばかりを、痛い痛いと言いながらこんな風に書いている。

わたしを好きでいてくれる人たち、どうかいつまでも正気に戻らないでほしい。正気に戻ってしまうなら、できるだけ早く逃げて。全速力で逃げて。わたしは優柔不断で諦めの悪い女だから。逃げ切ったら、「あんな頭がおかしい奴だと思わなかった」「あんな女の相手なんかしきれない」「なにされるかたまったもんじゃない」って言って回ればいい。それでいいよ。だけどその先で、わたしのことをたった一つの絶望になれる女の子にしてよ。


もう言葉になんの意味もないってわかってみせるから、調子乗らないから、だからちゃんと聞かせてほしい。
ねぇ、わたしのことどう思ってる?



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