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他人の感情を盗まず生きるには。(葉真中顕『鼓動』を読んで)

先日noteでも紹介した、葉真中顕『ロスト・ケア』。

今春、葉真中さんの新作『鼓動』が発売されたので、読むことに。帯に書かれている「この世界の全部が僕に死ねと言った」という文章が強烈ですが、「引きこもり」という社会課題に真摯に向き合った小説でした。

『鼓動』
(著者:葉真中顕、光文社、2024年)


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他人の常識(テリトリー)で生きる人たち

他人事ではありませんが、いかに自分の常識(テリトリー)で生き続けることが難しいか思い知らされました。

僕は、それなりに自由度が高い生活を送っている自覚はあります。ですが、特定の誰かと比較することがしばしばあります。あげく「○○さんのようなポジションになれたらな」と嫉妬の感情を抱くことも。嫉妬が健全な野心の範疇に収まればいいのですが、その枠をはみ出してしまった人たちの悲劇が『鼓動』では描かれています。

他人の常識で生きようとすれば、当然いつかは、自分の価値観と齟齬が出てしまいます。それはとても苦しいもので。健全な野心と、そうでない惨めさと紙一重のところにいるからこそ、登場人物たちの気持ちに痛いほど共感してしまうのです。

他人の感情を盗むこと、共感の功罪

終盤に出てくる「盗む」という言葉が、『鼓動』という作品のキーフレーズといえるでしょう。

翻ってみれば、Xのタイムラインで様々な感情がうごめいています。日々誰かが誰かに怒り、誰かは泣き叫び、誰かは冷笑し、そしてタイムラインの外側では「見て見ぬ振り」する人たちが存在します。

共通しているのは、他人の感情に、自分の感情を適合させようとすることではないでしょうか。

怒っている人の怒りに、自分の感情も合わせていく。それは「共感」という意味で決して悪いことではないのですが、現代社会は「共感」に重きが置かれ過ぎて、自分の「感情」が摩耗していく。自分の感情が摩耗していけば、自分自身で良し悪しを判断できなくなってしまいます。

「共感性が高い」はひとつの美徳ですが、そこに甘んじていると、思わぬ攻撃に足元をすくわれてしまいます。自己責任と断じるつもりはないですが、一人ひとり何かしらの自衛を試みる時代なのだろうなと思うのです。

誰もが葛藤を抱えている

葛藤せず生きていたら、どれだけ楽なのだろう。でも、葛藤せず生きるというのは、人生が無味乾燥で何の面白みもないということなのかもしれません。

世の中には色々な葛藤があります。僕は妻と結婚して、妻の葛藤の話を聴くたびに「へえ、そんな種類の葛藤があるのだな」と感心さえしてしまいます。本人にとっては悩みの種ですが、他人にとってはどうでも良かったりする。

でも、『鼓動』では、葛藤を抱えた者同士が分かり合っていく(混ざり合っていく)姿が描かれていきます。葛藤は、それ単体では「自分」の範疇を出ていきません。葛藤について物語る当人がいるからこそ、「誰もが葛藤を抱えている」ことに対して、深く共感できるのです。

結末の「希望」は、分かり合える可能性を示唆しており、と同時にやっぱり生きるのってけっこう大変だよねと嘆息するような。そんな、まぜこぜの読後感を持つに至ります。

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文芸ジャーナリストの内藤麻里子さんは、下野新聞の読書欄にて、本書を紹介しています。

ひきこもり、虐待、貧困、承認欲求──。現代の諸問題が絡み合った哀しい犯罪でありながら、一見ありがちな事件を深い洞察力で描き切った社会派ミステリーだ

冒頭に記載している、この内容にほぼ同意見です。葉真中さんの小説は王道そのもの。衒いなき文体と確かな筆致で書かれている本作は、普遍的で、誰しもが巻き込まれざるを得ない吸引力を有していると感じます。

ぜひ、興味ある方は手にとってみてください。

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