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障害者は「迷惑」なのだろうか。障害者は「不幸」なのだろうか。聴覚過敏(発達障害)当事者が考えてみた

写真: イベントで無料でふるまわれた豚汁


より「迷惑」なのはどっちだろうか?

電車に乗っていたとき、おそらく知的障害のあるひとが、声を出してなんとも聞き取れないなにかを発していた。

その青年は、ずっと窓の外を見ていて、からだを揺らしたり手を伸ばしたりしながら、なにかを言っていた。

その声は、電車の走行音でかき消され、電車が減速したときにだけ聞こえるような静かな声だった。

そして、はっきりとは聞き取れなかったが、おそらく車掌さんのアナウンスを真似していたのだろう。

しかも、彼は四六時中なにかを発しているわけではなかったし、発しているときもとても静かにしていて、彼なりに気を配っていた。

「おそらく知的障害だ」という、このような決めつけは良くないが、読者の皆さんの便宜のために一応こう言っておいた。

周囲は彼の座る席の隣には座らず、できるだけ距離を置いていて、できるだけ関わらないように刺激しないようにしよう、と思っていたのが伝わってきた。

彼は次の駅で降りた。

「失礼します」と頭を下げ、降りていった。

それから車内で女子高生が3人ほどいきなり騒ぎ出した。

「なにあのひと、迷惑だよね」

それから彼女たちは彼の何百倍もの声で、ひたすら日常のなにもかもを話していた。

周囲は「あら、賑やかで元気で良いわね」といった雰囲気で、和やかになった。

青年がいたときに、青年を刺激したら良くないと張りつめていた空気が、一気にほどけたのを感じた。

「迷惑」なのは、どっちだろう。

障害の特性で、不安になってしまうなどの理由で仕方なく最低限のほんのちいさな声を出した青年と、周囲の迷惑も考えずに自分だけ楽しめれば良いと大声で話している女子高生。

もちろん、聴覚過敏の私からすれば「どっちも迷惑。静かにしろ」という答えを出すことだってできるのだが、もしどちらかを黙らせることができるなら、私は間違いなく意図的に理解して声を出している女子高生のほうを黙らせるだろう。

障害があるのは、不幸なのだろうか?

障害があるなんて、大変ね。

周りに迷惑をかけるなんて、有害な存在だね。

本人だってたくさん苦労して、楽しくないでしょう。

障害者なんて生まれないほうが良いわね。優生保護法ってあんな素晴らしい法律だったのに、なんでなくなっちゃったんだろう?

そういった社会の重圧というか無言の雰囲気を、感じることがある。

とくにTwitterでは、障害者はいくら叩いてもまだ楽しめるフリー素材となっている側面があるように思う。

ただ、「障害者は不幸だ」という考え方は、いわゆる「健常者」の独善的なものでしかない。

上に載せた記事からすこし引用する。

今月5日、東京・文京区でダウン症のある人の教育や就労、福祉環境について考えるシンポジウムが行われた。その中で、発表されたのは、厚生労働省の研究班が去年行った、ダウン症のある人たちを対象にした、初の大規模アンケートの結果だ。

 そのアンケートからは、ダウン症のある人たちの実情がみえてきた。そのアンケートの結果の一部を見てみる。(回答したのは、12歳以上の852人)

(1)「毎日幸せに思うことが多い?」

はい…71.4%
ほとんどそう…20.4% 

 「はい」と「ほとんどそう思う」と答えた人を合わせると、90%以上にのぼる

私の知り合いに、いつも杖をついて歩く足が悪いひとがいる。

彼はほんとうに気さくなひとで、困っていそうなら誰にでも声をかけて、友達が多いから、彼女と大学を歩いていると必ず誰かが彼女に手を振って、彼女もそれを返す。

「杖をついているから、いつでもみんな私のことをすぐ覚えてくれるんだよね。こんな便利な道具はないよ」

と、彼女は笑って言っていた。

私は聴覚過敏だけれども、周囲の助けがあればかなり快適に生きられることは、ここに書いた。

そして、私にはその他の目に見えない障害があるけれど(精神疾患ではない)、それに関しても比較的落ち着いているし、もちろんこの障害がなかったほうが幸せだったとは思うが、実際将来結婚するときに将来得るだろう配偶者が結婚を踏みとどまる理由になるかもしれない、あるいは障害がもっと重くなったら姥捨て山に行かされて理想のキャリア(大学教員)を諦めざるを得ないのではないか、といった漠然とした不安くらいしかない。

なんとか、生きられている。

それでいいじゃないか。

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