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国際化は欧米化ではないし、日本化でもない

写真: スパゲッティ

さっき、こんなツイートをした。

考えてみてほしい。

もし、日本がフランスとまったくおなじ国になったとしたら、フランス人は日本に来るだろうか? フランス語を話し、フランスと似たようなヨーロッパの建物が立ち並び、服装も変わらず、料理もフランスとまったく同じになる。

逆に考えてみよう。

もし、フランスが日本とまったくおなじになったら、私達はフランスに留学したり移住したり旅行したりするだろうか? 日本語を話し、日本人が着るような服を着て、高品質の寿司がどこでも食べられるようになる社会があったとして、私はフランスに行きたいです! となるだろうか?

国際化というと、欧米に倣おうということと同義だと思われる。

欧米がこれをやっているから、日本もやるべきだ。

欧米がこれをやっていないから、日本がそれをやる必要はない。

こんな議論がマスメディアや世間でよくされている。

ただ、「国際」という、もっとわかりやすく言うと「世界」というのは、中国やアゼルバイジャンやシエラレオネやレソトやパキスタンやパラグアイやベリーズだって含んでいたっていい。

たとえば、インドがこんな良いことをしている、じゃあ日本も真似しよう、といった動きがあってもいいし、たとえば、メキシコがこんな失敗をした。それを日本はしないようにしよう、という動きがあってもいい。

そして、その「成功」「失敗」を決めるのは、より多くのひとが幸せになれるかという基準だ。

たとえば、一部のひとだけが美味しい部分を食べて、残りのひとが栄養失調になるか不味い部分を食べさせられるとしたら、その社会は健全じゃない。

もちろん、全員を温かい社会の中に包含しようとしてもそれができない場合だってある。たとえば、人殺しの意見を理解しようとしても理解できないことだって多い。プーチンさんが戦争に踏み切り、自国や隣国のひとをたくさん殺す理由なんて、どんな言葉を使っても正当化できるものではない。自分の快楽のために性犯罪に走るひとのことだって、正当化できない。それを正当化した瞬間に世界が終わる。ただ、なるべく全員を含もうとすること、それが大事なのだ。その結果、なるべく多くの善良なひとたちが美味しい部分を分け合える。

障害を持つひと、外国人、帰国子女、ハーフのひと、高齢者、こども、女性、性的少数者、貧困層、被虐待児、難民、きょうだい児…。

この世界には、たくさんのひとたちがいて、それが互いに混ざり合っている。

いくら世界中の片隅で汚い言葉で叫んでいる差別主義者がひどいことを言おうと、このようなひとたちと生きていくことは避けられない。そして、大概の場合、それは喜ばしいことだ。彼らはマイノリティかもしれないが、私が知り合ったひとたちはとっても優しいこころをもったひとたちだった。決して世界の片隅に追いやられるべきひとたちではなく、むしろ世界の中心でともに美味しいものを食べるべきひとたちだ。世界の片隅に追いやられるべきは、彼らではなく、差別主義者のほうだ。そして、差別主義者は世界中にいるけれども、優しいひとだってもちろん世界中にいる。人類はそんなに醜い生き物じゃない。そして、ひとは変わる。良いほうにも、悪いほうにも。

日本の良いところは残し、悪いところは海外に見習って変える。それがより多くの人と美味しいものを分け合うための手段だ。

欧米にも問題があり、日本にも問題がある。

だから、その問題にいちばん良く対処できているところから、成功事例を集めたほうがいい。

怖いのは、特定の社会を過度に理想化してしまうことだ。

ポカホンタスも、出羽守も、国粋主義者も、差別主義者も、真実を見ていない。

ポカホンタスとは、欧米や欧米人男性にあこがれる(日本やアジアの)女性を指すネットのスラングだ。外国人(彼女たちにとって欧米人とほぼ同義)と結婚している日本人女性が、ポカホンタスという映画のキャラクターに似ているということを揶揄して使われる。彼女たちはたいがい女性なので、「ポカ女」と言われることもある。

出羽守(でわのもり)は、すぐ「欧米では」と言うひとたちのことで、ポカホンタスと同義だが、出羽守は女性とは限らない。「欧米ではこんな素晴らしいものがあるのに、日本は発展途上国並みですね」と嘲る彼らは、日本のGDPが世界3‐4位であることを無視しているし、日本はOECDに加盟している先進国だ。もちろん、特定の場面では日本が遅れているところもある(たとえばジェンダーギャップ指数の一部の項目)が、彼らはとにかく日本の良いところも悪いところもすべてを否定する。

その反対にいるのが、国粋主義者や差別主義者だ。

彼らは日本の単一の文化を理想としていて、それに入らないひとたちを全員迫害する。彼らが迫害するのは、日本文化に染まっていない外国人だけではない。彼らが理想とする社会にそぐわないひとたちは、たとえ同胞でも迫害する。

私は、そのどちらかだけを叩きたいわけではない。

そのどちらも、世界を歪んだ形で見ているということを言いたい。

左翼でも右翼でも構わないが、異なる考えのひとたちが存在するのを認められることができればの話だ。

だから、ポカホンタスたちが目指す欧米一色にしようという動きも、国粋主義者たちが目指す日本一色にしようという動きも、結局大多数のひとたちと美味しいものを共有できるようにはならない。

また、国粋主義と愛国心は違う。

国粋主義は他国や他人を迫害する。愛国心は自分の国を愛するからこそ、他国も他人も大事にしようという運動だ。

美味しいものは、分け合うともっと美味しい。

ただ、自分が食べるものを手にせず他人に与えてばかりいたら、そのひとは飢えてしまう。

他人に渡さずに自分だけで食べても、他人が飢えてしまう。

結局、「最大多数の最大幸福」を目指すしかないのだ。

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