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「神楽坂オーバーグラウンド:ポンコツ探偵と支配する女」第6話

第6話 ポンコツ探偵のささやかな幕開け

1. 深夜、神楽坂の事務所にて 

神楽坂の事務所に向かうと、マンションの入り口の前にマリの父親、正信が待ちかまえていた。
深夜の時間帯にも関わらずスーツ姿で現れたのは、仕事中だったのだろうか。
マリに呼び出されて急きょ駆けつけてきたという。

妙な胸騒ぎがする。

急いで事務所の鍵を開け、中に入ると、奥の部屋からびちゃびちゃと物音がした。
大きな水滴がしたたり落ちるような音。

「マリ、どうした、大丈夫なのか?」

恐る恐る書庫のドアを開けると、暗い部屋の奥で血まみれのマリが力なく倒れていた。

血の匂いがあたりを充満している。
左胸から血がどばどばと流れ出ている。
顔色から生気が失われている。
目は見開かれたままだ。

そういえば事務所の入り口には鍵がかかっていた。
しかもここは8階である。
ということは、単純に考えるとこの部屋は密室ともいえそうだ。
マリ……自殺したのか?

俺がマリのそばに駆け寄ろうとすると、スヤマに止められた。

「トキ、マリはもう手遅れだ……。現場をこれ以上荒らしても仕様がない。僕はこれから救急車を呼ぶから、皆はいったんこの部屋から引き上げてほしい」

もう手遅れ。
俺はふらふらとリビングの隅にへたり込んでしまう。

俺は無責任にも、名探偵が活躍する事件をうらやましく思っていたが、これはその報いなのだろうか。
俺は安易に探偵になりたいなんて言っていたが、特別な人を失うという悲しみが、この先も待ち受けているものなのだろうか。
シャーロック・ホームズ、エルキュール・ポアロ、明智小五郎、金田一耕助、京極堂……俺が憧れていた名探偵たちは、皆ここまでの業を負っていたのだろうか。

だとしたら、それは辛すぎるし、苦しすぎるし、重すぎる。

正信の顔面はもはや蒼白である。
もはや精力的な実業家という姿はすっかり消え去ってしまっていた。
愛娘を失ったショックに我を忘れているちっぽけな存在に映る。
その表情は絶望に満ちあふれていた。

「マリ、どうしてだ? わたしのやり方が強引過ぎたのだろうか。頼むから許してくれ、許してくれ。元に戻ってくれるなら何でもする……」

ばったりと倒れてしまった。

俺は呆然としながらもスヤマの指示に従い、書庫のドアががちゃんと閉まるのを見守る。

しかしふと、冷静になった。
何か違和感はなかったか?
何か見逃してはいなかったか?
何か引っかかるところはなかったか?
だとすると、この茶番はいったい何を意味するのだろうか。

スヤマが救急車を手配したようだ。
やがて、遠くからサイレンの音が聞こえてくる……。

2. 名探偵とは常に現実を疑うもの

正信は救急車に運ばれていった。

とくに心配することはないだろうが、倒れたときに打ち所が悪かった可能性も考えられる。
マリも一緒に付き添うとのことである。
父親から「元に戻ってくれるなら何でもする」という言質が取れとたん、憑き物が落ちたようにかいがいしくなった。

そして俺はというと、事務所のソファに腰かけ、名探偵らしくふんぞりかえっていた。

「名探偵とは常に現実を疑い、不可能に見えることであってもそれを可能にするための理論を導き出すものだ」

これは俺がたったいま思いついた名言である。
偉そうに言っているが、今回の出来事はすべてマリの描いた絵図どおりに進んでいただけだ。
俺はそれをあとからなぞったに過ぎない。

あのときのマリの死体はとても鮮明に、頭の中に焼き付いている。
真っ暗な部屋の中で、不自然なほどクリアに。
もっというと現実に非現実を重ねたようなリアリティがあった。
まるで映像で映し出したような。
現実と映像の組み合わせとは、つまり。

マリが使ったのはプロジェクションマッピングである。
プロジェクションマッピングとは、平面ではなく立体的な物をスクリーン代わりに映像を投影する技術のことで、さまざまな視覚効果が実現できる。

今回は、横たわったマリの上にプロジェクションマッピングを投影し、血がどばどば流れる映像を当てはめたというわけだ。
それにしてもマリがプロジェクションマッピングを知っていることにも驚いた。
血液が滴る音、臭いまで再現するとは。
作りこみがえげつない。

姿を消してからの1カ月、マリはいっときも時間を無駄にはしなかったようだ。

3. スヤマの怪しげな行動を振り返る

「あのときのトキの泣きそうな顔ったら、さすがに僕も可哀想になっちゃったよ」

後日、スヤマは言う。

確かに冷静になる前の俺は、マリを喪失した絶望感でいっぱいだった。

しかしスヤマの演技もいかがなものだろうか。
いまにして思えば「トキ、マリハモウテオクレダ……」とは、へたくそな小芝居であった。

「小芝居とかいうなよ、僕の熱演を。これ以上ない名演技だったろう?」

俺と正信をマリに近寄らせないため、スヤマも必死だったのだ。
あの場でマリが生きているのがばれてしまったら、計画は台無しである。
今回の事件が成立するには、ある意味スヤマの演技力にかかっていたのだから。

これは成功したからよかったものの、無謀な賭けだったな。

ただし振り返ってみるとなんのことはない、騙されたのは俺と正信だけである。
いくら正信に前言を撤回してもらうことが目的とはいえ、俺まで巻き込まなくてもよかったのではないだろうか。
なんとも癪に障る話だ。

しかもスヤマは嬉々としてこの役割を引き受けた節がある……。

4. 初夏の神楽坂、例の中華料理店にて

「ごめんトキ、待たせちゃったかな?」

いや、俺もいま来たところだ。
俺とマリはそろって以前訪れた中華料理店に入る。

マリは俺の正面の椅子に腰をかけ、ドリンクメニューを一瞥すると、いつもの飲み物を頼む気なのだろう。
くるんと上半身をひるがえし、やや斜に構えてウェイターを呼んだ。

あいかわらず昭和なアクションだな、と思う。

「グレープフルーツサワーください」

「俺はハイネケン」

アルコールが到着すると、俺とマリはしばし無言でそれぞれのドリンクを口にする。
話をしたいことはいっぱいあるが、はやる気持ちを抑えようとすると、かえって一つひとつの所作に時間がかかってしまうものだ。

ようやく言葉が出る。

「あのときは驚いたが、少しやりすぎではないか?」

「あれくらいしないと父から言質を取れないからね」

「お父様にはいい薬になったかもしれないが、ずいぶんと思い切ったことをしたな」

薬というか劇薬である。
あの血が噴出する映像は、金に物を言わせてプロに頼んだらしい。
どおりで血が噴水のように飛び出ていたわけだ。

充満していた血の匂いはというと、生きた鶏をさばいてもらったとのことである。
すこぶる徹底している。

「自分の死を演出するなんて……ふつう、そこまでするか」

マリは、リアリティよりインパクトを重視したと得意げである。

しかしやり過ぎではないか。
これが父親に前言を覆してもらうための最善手といえるのだろうか?
それを微塵も疑わないマリに少し畏怖の念を感じた。

久住正信も強引な性格だったが、娘のマリも似たようなものだと思う。
そういえばマリの伯父にあたる結城顕彦も執念深さでは相当だった。
久住家も結城家もいったいどういう一族なんだろう?

連絡がとれなかった間、マリはずっとリゾートでホテル暮らしをしていたとのことだ。
いわゆるボイコットである。
父親とはときどき連絡をとっていたらしいが、事態がなかなか好転しない。
険悪になる一方だったという。

そこで何不自由することのない環境で優雅に快適に気ままに過ごしつつ、今回の計画を練り上げていたらしい。
これだからお嬢様は。

「俺もかなり心配したんだ」

「それは本当にごめんなさい」

ただ、正信が俺への監視・警戒を強めているかもしれないと想定される中で、俺をこの計画に巻き込むことはできなかったという。

その正信は、今回の件でそうとう参ったようだ。
あまりにも強引すぎる仕掛けにすっかり毒気を抜かれてしまい、もう怒る気力もなくなったらしい。
「マリの好きなようにやれ」と突き放してしまった。
確かに、手に追えなくなる気持ちはよくわかるな。

おかけで婿養子の話も立ち消えになった模様だ。
ちなみに、俺のライター廃業の件はこれっぽっちも話題にのぼらなかったようである。

5. ポンコツ探偵にも事件はやってくる

いずれにせよ、これにて壮大な親子喧嘩は幕を閉じた。
ただし。

「マリ、今回のことでいくつか思うところがある」

「なんのこと?」

「以前、事務所が荒らされたとき、合鍵を結城顕彦にわたしたのはマリではないのか?」

「えー、どうしてそう思うの?」

「いまや結城家と久住家の間を取り持とうと考えるのは、マリくらいしかいない」

「それはそうだね。私にとっては結城家も久住家も同じくらい大切な親族だから、仲違いされるといろいろ面倒なんだよ」

「マリはよかれと思ってやったことなのだろうが、インタビュー時の資料を見てもらうことで、伯父の顕彦と父親の正信、2人の関係性を修復に向かわせたのはマリの仕掛けではないか」

マリが黙っていたので、俺はさらに続ける。

「原稿を顕彦に直接見せなかったのは、ライターの助手としての良心からかな? あのときのマリは、俺が連絡した時点ですでに犯人の心当たりがあった様子だった」

「おお……これまでポンコツだったトキが、なんだか探偵らしく見えてきたよ」

「マリは、目的のためには意外と手段を選ばない女だと思っただけだ。とくに人をコントロールするのに長けているようだな」

「なんだかわたし、悪い女みたい」

悪気はなかったにせよ、マリは思い通りに人を動かそうという意志が強いタイプなのだろう。
大げさに思われるかもしれないが、ふと「支配」という言葉が頭をよぎった。
もしかしたら俺も自覚がないだけで、その支配の下にいるのかもしれないな。

俺自身はマリの支配下でもなんでもかまわないのだが、事務所の使用と引き換えに、ライターの助手に収まるなんて、ふつうの発想では出てこない。
そうとう俺の信条を把握したうえでの言動ではなかっただろうか。

「しかも、いつの間にかスヤマまで味方に付けているとは」

俺とスヤマが一緒にいるタイミングであるからこそ、今回のマリの仕掛けが成立する。
きっと俺と飲む日がきまったときに、スヤマからマリへ連絡がいったに違いないのだ。

「でもスヤマさんは快く協力してくれたよ」

マリはスヤマの性質をよくわかっている。
彼はなんでもおもしろがるタイプである。
今回のような計画に組み込むことは容易だったことだろう。

けっきょく、人はすべてマリの思い通りに動いたわけである。
正信と顕彦の関係は修復し、婿養子を取ることをあきらめさせ、自分は志望するライターへの道を歩もうとしているのだから。

「敵に回したくない女だな」

ふと「……財産……死……不動産……殺……」という不吉な言葉が耳に入ってくる。
以前も隣に座っていた、あのときの夫婦が来ていたのだ。

「……あの財産、親父がぬ前に処分することになった。いくら長男でも無価値な負動産は持て余すだけだしな。さっさと売却に動いてくれて助かったよ」

今度は俺にもはっきり聞き取れた。
この夫婦は本当に、不動産の相続に悩まされていたのだな。
マリは「だから言ったでしょ」とささやいた。

「まさか、あの夫婦もマリの仕込みか?」

「さすがに違うわよ」

マリは苦笑しながら否定する。
そうか、いずれにせよ俺の完敗ということになるのだろう。

ただ、いまの俺はいろいろと落ち着くべきものが落ち着くべきところに落ち着いて、なんだかほっとした気分だ。

そこへ、頼んでいた「ナッツの炒め物」が運ばれてくる。

謎かけがひらめいた。

「え、早いね。なになに?」

「ナッツの炒め物とかけて、麦わら帽子と解く」 

「その心は?」

「どちらも夏(ナッツ)でしょう」

「うーん、トキにしてはあまり出来がよくないね。イップスじゃない?」

「それを言うならスランプだろう」

しかし久しぶりに、遠慮のない忌憚のない容赦のない批評が聞けて、心なしか嬉しい気持ちが芽生えてくる。

「謎かけする相手がずっと不在かったからな。腕も鈍るさ」

「それはそうだね。今後はわたしがいっぱい鍛えてあげる」

今日は日差しが強い。
もう間もなく本格的な夏の到来である。

そして名探偵にふさわしい事件も。
いつかきっと目の前に現れるに違いないのだ。

-完-

#創作大賞2023

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