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「神楽坂オーバーグラウンド:ポンコツ探偵と支配する女」第1話

ださハードボイルドなミステリー小説です。主人公はビジネス書ライターのトキと、お嬢様のマリ。トキは探偵になることを夢見ていますが、結果が伴いません。第1話では神楽坂の中華料理店で現実逃避しているトキが、速攻で助手のマリに捕まる場面から始まります。しかもシャーロック・ホームズの名言「あり得べからずことを除去してゆけば、あとに残ったのがいかに信じがたいものであっても、それが事実に相違ない」を引き合いに、見つけられた理由を披露されるしまつです。それは本来トキが一番演じたい役柄であるにもかかわらず……。頑なにハードボイルドな態度を貫くトキに対し、マリは常にしたたかに一歩先を進んでいるのでした。

小説のあらすじ

ここから本編---------------✂︎

あなたを褒める者が一人いれば、十人の敵がいると思いなさい。
あなたに敵がいなければ、あなたを褒める者は一人もいない。

筒井康隆「天狗の落し文」

第1話 あり得べからずことを除去してゆけば

1. 初冬の神楽坂、中華料理店にて

ごんごんごん、ごん……!

壁一面の大きなガラス窓を叩く音が、店内に訴えかけてくる。
ガラスってそんなに強い調子でノックしていいものなのか?
まったく、非常識なやつもいるものだな……。

ぴしっと身なりを整えたウェイターが、どこか迷惑そうにちらっと俺に目を向けてきた。
どういうことだ。
アルコールのメニューを机の上に置いて、窓の外に目をみやると。

マリがわざとらしく、すました顔で立っていた。

どうやって嗅ぎつけたのだろう。
決して尾行などはなかったはず……。

いまはちょうど夕暮れ時で西日がまぶしい。
マリは一面ガラス張りのどこが入り口かわからず、うろうろしている。
意外と抜けているところがあるのだ。

放置するのも大人げないので、取手のついたガラス扉を指差してやる。
マリは「最初から知っていたわよ」といわんばかりに、形のよい鼻をつんと上に向けて店内に入ってきた。

「ごめんトキ、待たせちゃったかな?」

今回は、待ち合わせていなかった。
なぜここにいるのがわかったのだ?

「ここの中華、なんだかおしゃれだね。楽しみだな」

確かに店内はソファ席もあれば大小テーブル席も用意されていて、どこも居心地が良さそうだ。
間に遮るものが少なく、調理場まで見通せるため、広々と感じられる。
店全体がいわゆる中華の赤と緑などではなく、全体的にシックな色調で統一されていた。

神楽坂の中華だけのことはある。

マリはふかふかのダウンコートを脱ぎ、俺の正面の椅子に腰をかけ、ドリンクメニューを一瞥すると、いつもの飲み物を頼む気なのだろう。
くるんと上半身をひるがえし、やや斜に構えてウェイターを呼んだ。

「グレープフルーツサワーください」

「俺はハイネケン」

アルコールを注文したあと、俺は終始無言だった。
この店を選んだのは単なる気まぐれである。
にもかかわらず見つけられたのが不思議でならない。

本来なら自力でこの謎を解くべきではある。
しかしとくだん何も考えが思い浮かばなかったこともあって、アルコールが到着したタイミングを機会に、悔しい思いもあるがここは正直に仕方なく降参してマリに尋ねることにした。

「どうしてここにいることがわかった?」

「え、ただの消去法だよ」

「それは、どういうことなのだ」

「あり得べからずことを除去してゆけば、あとに残ったのがいかに信じがたいものであっても、それが事実に相違ないんだよ。なんてね」

2. 現実逃避と残された選択肢

どうやらこういうことらしい。

絨毯にこぼれたコーヒーの染み、間違えて今月のぶんまで破り取られたカレンダー、酔っ払って衝動買いしてしまったらしいばかでかいランニングマシン……。

これらの痕跡から、俺が現実逃避して神楽坂の事務所を後にしたのは容易に想像がつくというのだ。

マリにはときどきびっくりさせられる。
まったくその通りだったからだ。

「トキの現実逃避といえばアルコールしかないでしょ」

俺は特に日本酒を好んで飲んでおり、ふだんは居酒屋を根城にしている。
とはいえ昨日、一昨日、一昨昨日と連日訪れているため、そろそろ味に変化を求めるタイミングであることは、ある程度予想される。

神楽坂は蕎麦屋の人気店が多いが、たいてい事前の予約が必要で、そうでなくても行列になっていたりする。
気軽に立ち寄るにはあまり向いていない。

パブのようなにぎやかなところも嫌いではないが、立ちっぱなしは疲れる。
俺は落ち着いてゆっくり飲んだり食べたりしたいのだ。

かといってフランス料理やイタリア料理といった、ヨーロッパでこじゃれた店は一人だと気後れするため、これも選択肢からこぼれ落ちてしまう。

ではアジアンな店はというと、昼に本格的なタイ料理を食べたばかりだ。

「となると、トキに残された選択肢は中華料理くらいじゃない?」

マリは人差し指を立てて、ちっちっと小さく前後に振った。

確かに神楽坂には中華の名店が多い。
その中でも居酒屋のように居座ることができる中華料理店となると、選択肢は自然にしぼられてくるというものだ。

いま自分がいるこの中華料理店は、まさに俺がひいきにしている場所である。
一人でも居心地がいい。
しかも料理に何かしらの一工夫がされていて、どことなく食べたことあるようなないような独特な風味がおもしろいのだ。

そんな話を以前マリに伝えたら、思い切り食いついてきた。
そういえば「いつか一緒に行こう」という約束をさせられたことを思い出した。

……というわけで、マリには難なく居場所を突き止められた次第である。

「ね、トキの考えることなんて、まるっとお見通しなんだから」

一時期はやったドラマシリーズの決めゼリフ、犯人をびしっと指さすポーズをとりながら、マリはうきうきと得意げだ。

人に行動を読み当てられるのは、やや癪に触るな。
しかもシャーロック・ホームズの名言「あり得べからずことを除去してゆけば……」が、自分に向けられるとは。
これ俺が教えたのだが。

そう、実は、俺はシャーロック・ホームズに憧憬の念を抱いている。
エルキュール・ポアロのような灰色の脳細胞にしびれる。
明智小五郎と怪人二十面相のような宿敵の関係に嫉妬する。
金田一耕助のような昭和初期を舞台にした事件に趣を感じる。
京極堂みたいな陰陽師が活躍する怪奇な世界観に惹かれる。

そんなふうにいろいろなミステリーを読み漁っているうちに、俺も探偵業を営んでみたいと望むようになってしまった。
我ながら安易だとも思うが、これは幼少のころから培ってきた性のようなものである。

ただ、昨今の探偵は不倫の調査や行方不明になった人の捜索を主な生業としているときく。

そうではなく、俺が志すのは巧妙なトリックを巧妙な推理で巧妙に解き明かす、そういう類の探偵である。
某国の陰謀を明らかにしたり、伯爵家令嬢の窮地を救ったり、凶悪犯罪の黒幕を日の元にさらしたり……。

ふと見ると、マリが身振り手振りでウェイターにあれこれと尋ねている。
気になる料理が多いようだ。

「いろいろあって迷っちゃうな。トキは何か食べたいものある?」

「そうだな……前菜の盛り合わせと油淋鶏は押さえておきたい」

ハイネケンを一気に飲み干し、紹興酒を追加で注文した。

残念ながら、俺は探偵として足りていないものが多すぎるのだ。
まずはなんといっても、どう考えても、誰が見ても実績である。
なんとか自分が努力できる範囲でぎりぎり手に負える程度の謎を解き、周囲を感心させることができないだろうか。
それは虫がよすぎる話だろうか。

「どうだろう?」

酔っぱらってしまい、なんだかよくわからなくなってきたので、マリに聞いてみる。
彼女はといえば「前菜の盛り合わせ」をはじめ「筍と腊肉の炒め物」「海老とトマトの卵とじ」「油淋鶏」「肉シューマイ」といった皿をすいすい空けている。

「俺にも少しは残して……」と言いかけたところ、よく見ると半分ずつ取り分けてくれていた。
マリの苦手なピーマンもどっさり俺の皿に盛られている。
……いろいろと気がきくものだな。

いったん探偵業のことを考えるのは小休止し、食事に専念することにした。

3. 名探偵には事件が舞い込んでくる

「おいしかったー。やはり何かひと味違うね」

マリがお腹を大げさになでながら満足げに言う。
さすがに違いはわかるようだ。 

その一方で、俺はだんだんと考えがまとまりつつあった。

そもそも名探偵向けの事件とは、向こうからやって来るものではないだろうか。
たとえばシャーロック・ホームズが必死に自分を売り込んでいる姿は見たことがないはずだ。

シャーロック・ホームズはロンドン警視庁をはじめさまざまな階級の人から依頼を受けている。
エルキュール・ポアロはわりと事件に巻き込まれているタイプのようだ。
金田一耕助の周りでも人がばたばたと死んでいく。

自分も鷹揚に構えていれば、いずれは何かしらの事件に巻き込まれるかもしれない。

「紹興酒おかわり」

もう紹興酒を何杯飲んだだろうか、考えが楽なほうへ楽なほうへと向かっていく。
俺の心から焦燥のようなものがすうっと消えていった。

一方、マリは食べて飲んでいるうちに気持ちがどんどん盛り上がってきたようだ。
思うがままに話しかけてくる。

話をしているときの彼女は、常にオーバーアクションである。
クルマの運転の話をするときは、ハンドルを回すジェスチャーをし、あやうくグレープフルーツサワーのグラスに腕をぶつけそうになる。
友人の許せない言動について話をするときは、拳を振り回し、やはりグレープフルーツサワーのグラスに腕をぶつけそうになる。
そうなる前に、グラスを安全な位置にスライドさせるのは、もはや俺の大切な役割といっていい。

「トキ、さっきから難しい顔しているね。どうせミステリーのこととか考えていたんでしょう」

「ああ、すまん。つい自分の世界に入っていた」

「それなら謎かけしようよ探偵さん。〇〇とかけて、△△と解く。その心は□□ってやつ」

謎かけってミステリーと関係あるんだろうか?
でもいまの酔っ払った俺には、なんだかちょうどよいお遊びのように思えるな。

……お、ひらめいた。

「グレープフルーツサワーとかけて、マリの運転と解く。その心は……」

「なになに? その心は?」

「どちらも酔えるでしょう」

「ひどーい!」

小さな仕返しを果たすことができて、我ながら満足である。

……ん?
ふと、ざわめきの中から、隣の席のかすかな会話が耳に入り込んできた。
ざらついた男性の声だ。

「……財産……死……不動産……殺……」

なんだか不穏な言葉が断片的に聞こえてくる。

歳のころは50代くらいだろうか、隣席の夫婦からは、おだやかでない空気が流れていた。
心持ち周囲の温度も下がったような気がする。
無意識のうちに、俺は脱いでいたジャケットを羽織り直していた。

「マリ、聞いたか、いまの話。まさに事件の匂いがする」

4. 締めの坦々麺が心に染みる

しかしマリの反応はすこぶる鈍い。

「どこがどう事件なの?」

「あくまで可能性の話だ。『財産』『死』『不動産』『殺』と聞いたら、少なくとも殺人の予兆を感じ取れないとな」

さらに付け加えた。

「初歩的なことだよ、マリくん」

シャーロック・ホームズのお返しのつもりだったのだが、知ってか知らないでか無視されてしまった。

「さっきのセリフね、財産目当ての殺人の話なんかじゃないと思うよ。聞きたい? わたしの考え」

ずいぶん自信ありげだな、聞かせてもらおうか、その話。

マリが言うには、先ほどの会話で俺が聞き取れなかった部分を補うと、こういうことらしかった。

「……あの財産、親父がんだら自分が相続しなければならなくなるんだ。二束三文にもならない、いわゆる負動産というやつさ。してくれよ」

……なるほど、しっくりくるな。
数多くの名探偵から少なからず影響を受けてきた俺が、悔しいことにマリ以上の解釈を思いつけなかったのだ。

これは本当に事件の予兆ではないのか、もしくはこれが俺の限界なのか、いまは知るすべもない。
いずれにせよ、俺の探偵デビューはおあずけになったようである。

締めの坦々麺を食べて、その場はお開きとなった。

「じゃあまた謎かけやろうねー」

帰り際、大きく手を振るマリの声を背に、神楽坂の商店街を歩いて事務所へ戻る。
絨毯の染み抜き、破れたカレンダーの修復、ランニングマシンの返品といった作業が俺を待っている。

そして名探偵にふさわしい事件も。
いつかきっと目の前に現れるに違いないのだ。

#創作大賞2023 #ミステリー小説部門

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