「神楽坂オーバーグラウンド:ポンコツ探偵と支配する女」第4話
第4話 謎かけ技術の向上とライター生命の危機
1. ステーキが絶品な居酒屋にて
マリとは毘沙門天 善國寺の前で待ち合わせした。
ここは神楽坂の名所でもある。
今日はサーロインステーキを売りにしている居酒屋に行く予定になっている。
居酒屋とはいえ実はなかなか予約の取れない人気店だ。
例によって俺は15分ほど早めに着き、彼女が来るのを待っていた。
その間、横溝正史の「獄門島」を読み返す。
この小説も何度も読んだ。
金田一耕助があと一歩のところで連続殺人を食い止められない……その駆け引きがスリリングである。
「ぼくはただ、あらゆる可能性を考えているんです。そして気ちがいといえども、われわれの関心から、除外したくないのです」
金田一耕助のこういうところが冴えていると思う。
事件の全体像を捉えるには、一見ありえなそうな可能性でも除外するわけにはいかないのだろう。
「あらゆる可能性」と簡単にいうが、名探偵が考えるそれは奥が深い。
凡百人には思い付かないところまでの可能性を検証している。
残念ながら金田一耕助が活躍するようなおどろおどろしい世界観は、いまや失われてしまった。
最近のゲームやマンガでも離島であることを活かしたミステリーを見かけることはある。
しかしそれは極秘裏に非倫理的な人体実験を行う悪徳企業の陰謀を暴くといった内容が多いようだ。
「ごめんトキ、待たせちゃったかな?」
飯田橋駅から急いで坂道を登ってきたためか、マリの顔が上気している。
ゆっくりと歩きながら、善國寺の裏手のあたりに位置している居酒屋へと向かった。
店内はすでにお客さんで賑わっている。
あらためて、予約しておいてよかったと思う。
カウンター席に座ると、俺は生ビール、マリはレモンサワーを注文した。
2人で食事のメニューを眺める。
サラダ、刺身の盛り合わせ、もちろんサーロインステーキ、あと鳥の唐揚げも頼もうか。
「いいね、最高だねー」
マリのテンションが高まったようである。
「なんか楽しくなってきた。えいっ、ばっきゅーん」
拳銃を両手で持つ構えから、俺のハートを撃ち抜くふりをする。
あまりにも古いリアクションについ笑ってしまった。
マリは大手企業の秘書を勤めているが、素の姿はこんな感じである。
なんだか所作が昭和なのだ。
お嬢様が世間ずれしているのとはだいぶ違う。
照れると、両手の拳の上にあごを乗せ、かわい子ぶりっ子のポーズを取る。
驚くと、両手を顔の前でぱっと開き、口を大きく開け、目を見開く。
褒められると、つんと顔を斜め上に持ち上げ、おすまし顔をやってのける。
こういうのは、どこで覚えるのだろうか?
「マリ、本当は昭和生まれの昭和育ちではないのか?」
「えー、失礼だな。れっきとしたゆとり一歩手前の世代だよ」
「でも日々のリアクションが昭和に映る」
「なんでよ、意味わからない」
2. 謎かけをしていたらスヤマがやってきた
マリは俺の相手をするのが面倒くさくなったようで、ステーキを食べにかかる。
「これ、んいいいー!」
肉を口いっぱいにほおばりながらおいしさを表現している。
それはよかった。
じゃあ俺も……とステーキに手を伸ばしかけたところ、ぺしっとはたかれた。
「トキ、謎かけやってよ。じゃないと食べさせてあげない」
マジか。
昭和の話を根に持っているようだ。
「えー……ここの居酒屋のステーキとかけまして、俺のライター業と解く」
「その心は?」
「その心は、どちらも本格派(本書く派)でしょう」
「まあいいよ、食べて」
反応はイマイチだったが、ようやくステーキにありつけられた。
肉々しくて噛み応えがある。
赤みならではの味わいがしっかり引き出されているな。
また、ぼんやりとではあるが謎かけのコツもわかってきた気がする。
きっと「その心は、どちらも□□でしょう」を先に考え、「△△と解く」をあとから当てはめればいいのではないか。
特に「〇〇とかけまして」から連想されるものが「△△」とかけ離れているほど受けがよい。
あとは慣れが必要だな。
反射的に言葉が出てくるようにならないと……。
いったい俺は何師になろうとしているのか、あやうく見失いかけたところで、妙齢の女性を連れた男が店に入ってきた。
スヤマである。
スヤマは俺の社会人のときからの先輩で、ホビー系書籍の編集者だ。
人の面倒見はいいが、酒癖が悪い。
「お、トキじゃないか。それにマリ……だっけ。こんなところで会うなんて奇遇だなあ」
「スヤマさん、ごぶさたしております。その後お変わりないですか」
「いや、全然。トキは?」
「自分も特に変わりないです」
「だよなあ」
マリも会話に加わってくる。
スヤマは神楽坂の事務所に遊びに来たことがあり、マリともそこで面識があるのだ。
「スヤマさん、お久しぶりです!」
「おお、トキの助手まだ続いてるの? そんなのたいしておもしろくないだろう、あはは」
失礼な言いぐさではあるが、あっけらかんとしているせいか、嫌味に聞こえない。
このあたりは人間性である。
「またそのうち飲もう」と言うと、スヤマはテーブル席でウーロンハイを注文し、連れの女性といろいろと話をし始めた。
3. マリはなぜ俺の助手を選んだのか
ちょうど話題の切り替えどきだ。
前から疑問に思っていたことを口にしてみた。
「あまりちゃんと聞けてなかったが、マリはなんで俺の助手なんかになろうと思ったんだ?」
鳥の唐揚げがほどよくカリカリに仕上げられている。
マヨネーズに唐揚げを付けながら、いまさらながら聞いてみる。
「前も言ったと思うけど、ライターに憧れの気持ちを持ったからだよ」
「でもライターの助手なんて、あまり人生のプラスにならないように思えるが」
さらに付け加える。
「ライターの道はそんな甘くないぞ」
ビジネスの厳しさをにじみ出し、渋めに決めてみた。
実はこれが言ってみたかったのだ。
「いいんだよ。わたしはわたしでいまの状況をありがたく感じているんだから」
そういうものなのか、それならそれでいいが。
マリとはときどきこういったやり取りをするが、たいてい今回のような流れに着地する。
本当のことを言っているようで、どこか肝心なことを隠しているようにも感じられる。
俺の思うところを察したのか、今回はマリのほうから踏み込んできた。
「なんか納得いってないみたいだね。お得意の推理で当ててみたらどう?」
そうきたか、ここからは探偵の時間である。
「マリは父親の正信に対して、わだかまりがあるのではないか。それはお母様がその……早くに亡くなられたことに関係があると思う」
「おっ、探偵らしい着眼点だね」
「あれほどの実業家だ。家族よりも仕事を優先していたことは想像できる。お母様もさぞかし苦労されたことだろう」
「それで?」
「お父様がマリを溺愛していることは知っている。しかしマリとしてはお母様のこともあって、素直に受け入れられない気持ちがあるのではないか。ライターの助手というのは父親の呪縛……と言っていいのだろうか、それから逃れるための口実に過ぎない。もっと言うと、ライターでなくてもよかったのではないか」
「いろいろと考えているんだね、えらいえらい。でもちょっとずれているよ。合っているのは『父親の呪縛……』のあたりくらいかな」
そこへスヤマが「もう店を出るから、またな」と言いにやってきた。
飽きっぽいのか、スヤマはすぐ店を変える。
「いまはいいけど、こういうのマリの父親にバレたらやばいぞ。よけいなお世話だけどな、あはは」
思いっきりマリにも聞こえているが、スヤマはそういうことを気にするタイプではない。
確かにな……。
俺たちも話すことが尽きてきて、そろそろお開きとすることにした。
4. マリの父親との再会はどう転ぶのか
桜の花が散りかけたころ、マリの父親にあっけなくバレてしまった。
マリによると「どういうつもりなのか説明しにきてもらおう」ということになったらしい。
どういうつもりも何も……俺に言えることといえば、たかがしれている。
日程を調整したすえ、マリが勤める渋谷のオフィスを訪問することになった。
この本社ビルを訪れるのは取材のとき以来、2度目である。
あのときは有意義な時間を過ごせたが、今回はどうだろう。
不毛な時間にならないといいが。
受付に来訪を告げると、ほどなくしてマリがやってきた。
いつもよりぴしっとしている。
ふだん事務所に入り浸っているときと違ってよそよそしい。
言動も物腰も態度も別人であり、他人であり、初対面のようである。
いわゆる重役室というやつだろうか、とても立派な部屋に通された。
思い返してみると、インタビューしたときと同じ部屋かもしれない。
ソファやテーブルなど調度が重厚で、いろいろなトロフィーが飾られている。
間もなく久住正信がやってきた。
この会社の代表取締役でありマリの父親である。
軽い挨拶ののち、俺とマリの向かい側に座る。
「前回のインタビューではお世話になりました。原稿に目を通させてもらいましたが、よく書けていると思いましたよ。とくに亡き妻とわたしとの関係をあそこまできれいにまとめてもらえると、面映ゆい気持ちがしました。正直、わたしはあそこまで立派な人間じゃないですがね。ははは」
意外と友好的である。
ほっとしたのもつかの間。
「だからこそ佐伯さん、率直に申し上げてあなたにはがっかりしています。実力のあるライターさんと信じていたが、いったい娘をどうするつもりなのですか」
やはり怒っていた。
「不可解に思われるのもごもっともです。しかしこれはお嬢様がライターの道を歩まれたいという気持ちに応えられればと思い、まずは助手から……という話になった次第です」
「その話は娘から聞いています。しかし助手にする代わりに神楽坂の事務所を間借りさせてもらうというのは、おかしな話だと思わないのですか。しかも助手とはいえ働かせるからには給料を支払うべきだと考えますが、それもない。本当にライターとして育てる気があったのか、真意をお伺いしたい」
まったくその通りであるが、マリがどこまでライターを志望していたのか、自分も計りかねていたのだ。
ただしこの話は、ここでしない方がいい気がする。
マリが助け舟を出してきた。
「そもそも助手になることを条件に事務所を提供するというのは、わたしから申し出た話なのです。トキ……いや佐伯さんに迷惑をかけているのはむしろわたしの方ですから」
正信は納得がいかないようだ。
「どうしてそこまでライターにこだわっているのか、わたしにはわからない。秘書が嫌なら、ほかの部署で働いてもいい。マリには何不自由なく生活させてやりたいと思っているのだけなのだが」
だんだんとヒートアップしてきた正信に対し、マリは意外と冷静である。
「何不自由なくといっても、わたしは鳥籠の中の鳥みたいなものです。とくに母が亡くなってから、その思いは強くなりました。会社にいても家にいても父の目から逃れられず、息を抜く場がありません。わたしにライターの素質があるとは必ずしも思っていませんが、その真似事をする時間はとても楽しく、解放された気分になれるんです」
鳥籠の中の鳥か……マリの文学的な表現に驚いた。
シェイクスピアみたいだ。
俺も何かの文章で使ってみたいと思う。
「……そうか、そこまで言うなら仕方ないが、ひと言相談があってもよかったと思う。わたしは母を早くに亡くしたマリが不憫で仕方なかったが、それがかえってマリを束縛することになっていたとは残念なことだ」
正信の物わかりのよさに驚いた。
このまま話が収束してくれれば、自分にとっても願ったり叶ったりである。
マリも態度を軟化させたようだ。
「助手の件について、何も相談しなかったのはすみません。虫のよい話ではありますが、いまのまま秘書の仕事は続けたいと思っています。ただ、それ以外の時間は佐伯さんの元でライターの修行をさせてもらえないでしょうか」
またも俺は驚いた。
マリがそこまでライター業に気持ちをのせていたとは思わなかったのだ。
それならそれで、そう言ってくれれば。
正信は考え込んでいる。
どっちに転ぶのだろうか。
1分ほどの長い沈黙があったのち、正信は結論に達したようだ。
「……佐伯さんには失礼しました。むしろマリのわがままに付き合ってもらったようですね。とはいえどうしたものだろうか、わたしは物わかりのよい父親を演じたい気持ちもあり、父親らしく父権を振りかざしたい気持ちもぬぐえません。しかし、ここはいったんマリを佐伯さんに預けることにしたいと思います」
物わかりのよい父親のほうを選んだようだ。
「ただし」と正信は続ける。
「繰り返しになりますが、わたしは母を早くに亡くしたマリが不憫でなりません。これ以上悲しい思いをさせたくないという親心をわかってもらえませんか」
つまりマリを神楽坂の事務所で助手として働かせるには、条件があるというのだ。
親子そろって条件が好きだな。
その内容とは「常に、いかなるときも、どこにいようとも、マリを嫌な気持ちにさせないこと」だという。
マリに不安な思いをさせてはいけない。
マリに不快な思いをさせてはいけない。
マリに苦しい思いをさせてはいけない。
マリに悲しい思いをさせてはいけない。
マリに切ない思いをさせてはいけない。
マリをないがしろにしてはいけない。
マリの気分を害してはいけない。
マリを寂しがらせてはいけない。
マリを心配させてはいけない。
マリを否定してはいけない。
マリを無視してはいけない。
マリを放置してはいけない。
マリを泣かせてはいけない。
マリを傷つけてはいけない。
マリを疑ってはいけない。
15個も……。
「約束が守れなければマリには即刻助手を辞めてもらいますし、佐伯さんもライターというお仕事を廃業していただきたい」
え、俺のライター人生までかかっているのか。
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