ホンダ

気狂わないために書きます。 朗読したりhttps://anchor.fm/hondaa

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最近の記事

落とし物

書こう書こうと思っていても何も生まれない。こんなことも書き飽きるほど書いた。同じことばかりだ。出てくるのは不安や不満ばかりだ、巡る生活の景色は変わっているはずが同じ色だこの目に見えるのは。この目に同じ色のメガネがずっとかかっていると考えたほうが筋が通る、汚れてそのまま磨くものもない。いまだに生活は落ち着かず、移動を繰り返していて決まった部屋も見つからない。希望のない移動は体力を減らすばかりだ。元来移動が好きなのだわたしは。移動の時間は何もしていなくても移動をしている時間になる

    • 酷い

      走り書きのように幾つも書き捨てて、書かれていないものも頭の中に散らばっている。書きかけて言葉が文字にならずに形にならずに消えていった。書きたいことは、書こうと思ったことはいくつもあったが、何もしなければ消えていくのだ。跡形もなく、何もなかったかのように。習慣も一瞬で消え去る。ほんの少しの怠惰と共に。借りてきた言葉でしか書かれないわたしの言葉。手に入れる前に消えていった色々と失ったものばかりを思い出す。夢は寝ても覚めても続く、その中でわたしは失い続けた。こんなにも自由な場所があ

      • じっけんじっけん書く実験

        土砂降りの朝、外に出てタバコを吸う。まだ暗い道は街灯が点いていて線の雨が見える、濡れた道路を照らしている。目の前にゴミ収集車が止まっていて、ちょうど向かいのゴミ箱でオレンジの雨合羽を着て作業している人がいた。大雨の中、黙々と動く、ご苦労様という気持ちとなんだか申し訳なくなった。これが労働だ。突っ立ってタバコを吸っている自分。背の小さい彼がそばを通る時、160センチ台だ、聞こえるか分からないがおはようと声をかけた、こちらにわずかに顔を向けて何かを言ったが聞き取れなかった。僕は黙

        • 明らめてロケットスタート

          何よりも毎日書くこと、なのに自らハードルを上げて結局手にをつけないのは無意識のサボりたいに動かされているからだ。無意識に働きかけるには意識的に動くことだけだ。直接に無意識に働きかけることはできない、必ず動きを要する。現実のあれこれが邪魔をして、言い訳は簡単に作られる、捏造される。動き出せば簡単なもの、でもないかもしれない分からない、でもこうして手を動かせば形にはなる、それがみにくいものでも。いくつかの文章は手をつけたまま保存され放って置かれている。これを書こうと決めて書き出し

        落とし物

          興奮のない喜び

          求人の電話を待つ時間は宙に浮いている。食事する時も本を読む時もぼーっとしている時も、朝から寝るまでのどの時間も、待っている時間と重なり合っている。一つの時間の中にいられないと心の落ち着く場がない、足場がないのだ。そわそわする心は落ち着くの対極で、何かに集中することからも遠ざける。むしろ集中しないからそわそわすると言えばその通りで鶏が先か卵が先か、物事の表と裏は混ざり合って一つなのだ。こうして書き始めるにも時間を要した、ダラダラしているわけでもなく、しかし色々が手につかない。待

          興奮のない喜び

          僕は生きている

          他人からの期待を妄想して、期待された自分を捏造する。苦しくなった根本だ。たった一人ならそんな妄想が生まれることもない。なかったから楽だった。人といると、特に人の目、存在を気にしてしまう性質だと、知らずにその罠にハマる。知っていてもハマってしまう。誰もお前に期待などしていない。期待された自分像を持つ必要もない、それになろうとわたしを合わせることももちろんない。それはありのままでいいとも違う。捏造された縛られた妄想に鎖で繋がる必要はないということ。これが俺なんだぜと見せびらかしも

          僕は生きている

          雑多な時間

          人といるのは煩わしい。色々が、いや何もかもが面倒だ。だから気がまぎれる、自分自分と過去やらのことを考えなくて済む。だから人は人と一緒に居たい。ひとりは辛い。だから一緒に居ようよって。決して消えない、変えられない自分の存在のあれこれ、過去も未来も刻まれた自分のことを考え続けるのは苦痛だ痛い、そんなものを好むやつはいない、変人だ。そこから詩が生まれる。のかもしれない、僕にはわからない。わかったふうに書く喋る。ずっとそうだ、生まれてから今まで。今見ている山、丘、空、飛ぶ鳥、風に乗っ

          雑多な時間

          ヤニ切れ

          そいつは僕自身だった。僕の中のそいつ。踊ったり暴れたり悲しんだり死にたくなったりする、そいつ。幾重にも重なった殻の中のわたし。社会生活で必要な仮面は殻となってわたしを覆い隠す。仮面というと悪いもののように、何か嘘をついているような罪悪感を感じさせるが、すっぴんで過ごせるほど社会は美しいものではないから、何も悪くない仮面は必要だ。母という仮面、妻、夫、上司、なんでもいいがいくつも仮面を重ねていくうちに、そのほとんどは必要とされたり自分で選び取るのでなく周囲や慣習によって被らされ

          ヤニ切れ

          現実創造

          五時に目が覚める。上のベッドで眠る男の子は、少年のような顔と雰囲気で、五時前に起きる彼はあまり宿に泊まったことがないのかどったんばったんと朝からやるからそれでも目が覚める。天然の目覚ましだ。とすることで腹の虫を押さえる。怒りやすくなるのは年をとるからか、いや頭が硬くなるからか。ふざけたやつを笑えなくなるのは自分がふざけ足りてないからだ。いつまでもふざけ続けるのは苦労する、ふざけてやろうと態度を持ち続けなければならない。こんなことを真面目に考えてちゃダメだ。起きてすぐ歩くだとか

          現実創造

          喘息タバコカフェイン

          咳と同時に、水を撒いたように走る肺の痛みで起きた。二、三度咳き込むたびに痛みが走る。ほとんど酸素が回っていない気がして怖くて深呼吸をした。夢にらもさんが出てきたのはおそらく初めてだった。躁転したらもさんとその影響で躁に転じた僕で作ったのは、看板やゴミから拾ってきたアルファベットを並べたものでそれは英語ではなかったが意味はわかった。色褪せたピンクのアルファベットで、「明日は晴れる」だった。 今日は曇りだ、薄いミルクの空。太陽光は浴びれない。コーヒーを飲むと胸のあたりの疼きが楽

          喘息タバコカフェイン

          何でもない

          向こうの部屋に覗いて見える姿見に空の青が映っている。水色の澄んだ光がくすんだ白い壁と汚れた手すりの中でぽつんと光っている。光が入って見えるのはその部屋一つで、他の部屋は囚人部屋のように暗い。僕は太陽に向かって座っていて、日に焼けて少し顔が赤い。とんとんと柵の向こうのヘリをスズメが跳ねている。起きてしばらくは心臓が痛く、コーヒーを一口飲むといくらか治って、なぜだか理由はわからないままで、タバコを控えようかと考えながら今日初めてのタバコを吸っていた。すぐには回らない頭を無理くり動

          何でもない

          あっちこっち

          おれはおれのままでよかったんだ。 電話の向こうで泣きながら笑う声を聞いてそう思った。その顔が見えていた。今あるものでやりくりするしかないのだ。それしか方法がないのは足りないからではなく、それで充分だからだ。泣きながら笑う顔はなんともいえなくて、なんともいえないことをおれに伝えてくる。そのままを表現している。木になったリンゴをもぎってかぶりつくようにそのままを味わいたい。知っていることではなくて、その時その瞬間の新しさを。 遠回りをしてうねうねと蛇行した道を歩いた先に元いたと

          あっちこっち

          イメージ・クラゲ論

          これは書くことの研究なのだ。であれば書くこと自体を見つめる目が生まれることになる。それは一つの現実の創造であり、僕の中に新しい空間が生まれることでもある。空間が生まれるとそこに風が吹き、時間が生まれ流れることもあるし流れなかったり逆流したり、滞留したり色々だ。余裕が生まれることにもなる。寝る前に画面を見続けたせいか目の奥が痺れるように固まっていて、目の前を見ているのかどこにつながっているのかわからないが、書いているこれとはつながっている。文字を通して繋がる空間には流れがある。

          イメージ・クラゲ論

          しっちゃかめっちゃか

          ああ億劫だ。書くことが。正確には書くための準備、準備といっても原稿用紙を机に並べて万年筆を取り出してインクを吸わせて、なんて大仰なことじゃない。そもそも原稿用紙を持っていないし、何なら見たことがないし、気に入っていた万年筆はどこかへ消えてしまった。手元に残ったのはブルーブラックのインクの瓶だけだ。書くために必要なことはパソコンを開くことだけだ。その一秒にも満たないことが億劫なのだ。便利なものだ、紙も筆もなくてもどこだって書くことができる。電気、電力は必要だが。電気がないと現代

          しっちゃかめっちゃか

          怠けアリのアメ玉

          ゴワゴワとした頭の中を洗ってしまいたい。しかし洗ったとしても絡まり合ってこんがらがったまとまりは解きほぐせないだろう。女の髪のようにサラサラとは流れない。小川の澄んだ水でも洗い流せない。長い時間でしがらんだ固まりは同じ時間で解きほぐす必要がある。そんな時間はなかった。その前に死んでしまうのがオチだ。それは幸運かもしれない。誰にも本人にさえその答えはわからない。火種を包んだ藁から白い煙が上がるようにタバコの煙が脳みそを、思考の間をただすり抜けていく。太陽は頭上高くに昇っていて時

          怠けアリのアメ玉

          巻紙給水所

          三日目にしてもう書くことはない。万策は尽きたと言いたいが、最初から書くことなどなかった。多分わたしは何も見ていないのだ。見ているようで見ていない。見えているだけ、見えてもいないかもしれない。人間は見ている、つまり目の中に入ってくる光、光景から自分の中で新しく生み出して、「見ている」とするわけだがこれはつまり創作をしている。人はそもそも創作の中を生きている。「現実」とされるまるで共有されているかのようなただ一つに思えるものも創作だったのだ。さらにそこに各々のスパイス、偏見、差別

          巻紙給水所