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現実創造

五時に目が覚める。上のベッドで眠る男の子は、少年のような顔と雰囲気で、五時前に起きる彼はあまり宿に泊まったことがないのかどったんばったんと朝からやるからそれでも目が覚める。天然の目覚ましだ。とすることで腹の虫を押さえる。怒りやすくなるのは年をとるからか、いや頭が硬くなるからか。ふざけたやつを笑えなくなるのは自分がふざけ足りてないからだ。いつまでもふざけ続けるのは苦労する、ふざけてやろうと態度を持ち続けなければならない。こんなことを真面目に考えてちゃダメだ。起きてすぐ歩くだとかすればいいものの、寝転がりたい体に任せてそれを言い訳にして本を開く。現代暴力論。もっと暴れろと言ってくる。生きのびずに生きろ。どう死ぬかだと。死に様というと、終のすみかとか生前葬とか墓がどうとか、孤独死は迷惑だとかなんだか窮屈なことばかりだ。昔のアナキストはとんでもない。ふざけんなと最後まで叫んで拷問されてもやめないで、しまいには殺されるのだ。それでも国は暴力だ、奴隷になるなと、殺されても命を使い切って自分の生きるをやりきる。孤独に死んでもそうしたいならそれでいい、野垂れ死ぬのも全部その人の自由だ。他人がとやかく言うことじゃない、黙っとけお前の生きるをやれ。大杉栄が僕の現実で暴れている。その姿が僕に重なっていく。暴力で街をぶっ壊して、とは思わない、想像の、つまり僕の中の現実で暴れることで、僕の現実は変化するし、あなたの現実も変わる。寝起きの頭を流れていく。そしてまた眠りの中へ、気付かぬ間に。
事実とは多くの人の現実が一致した出来事のことだ。歴史も事実とされたことが綴られるわけで多くの人がそうだ、そうだったと言えば事実、歴史となる。実際にそれが起きたかどうかは関係がない。事実はもはや起こっていなくともいい。それぞれの現実でそれぞれの出来事が起こる。その出来事もその人の想像なのだ。創造といった方がいいかもしれない。そしてある人が見た、と言ったものが他の人にも見える起きることはよくあることで、多くの人が集まっている時、何かに対して多くの人が注意を向けている時、想像は簡単に伝染する。それぞれの現実で同じことが見える、起きる。それが事実となる。大枠の現実の中で実際に起きたこと、事実とされる。現実は簡単に創造される。途端に「現実」とされるものの強度が緩くなる。かっちりと固まっていたように見えたそれは豆腐のように揺れる幻影で、いつでも変化し形も事実も変えていく。自分の中の現実は言わずもがな。もはや創造そのものだ。現実は創造そのものだった。とはいっても肺が苦しい。俺だってこんなに辛いんだぜと声が聞こえる。その通りだ現実は苦しみにも溢れている。苦しみもスパイスだなんて甘い、と顔面を殴られて頭突きをかまされる。それでも現実は創造される、創造できるという。僕の生きるではそうだ。僕の現実ではそうだと言い切る。恨みの声が聞こえても、そうして現実の中で暴れることが生きることだ。力に任せて現実が暴れ出す。のたうち回る恐竜のように、手がつけられない勢いを持って、時に周りの現実を潰してしまいながら、暴れるのをやめない。逃げ惑い潰されるのか、暴れる姿を眺めて楽しむのか。ふんどし姿の男たちがわっしょいわっしょいとくだらねえこの現実はと打ち壊して回る。後をついて道に落ちた棒切れを拾う。ずしりと手の内に収まる重み。現実の重み。目と鼻の先の「現実」に向かって思い切り振り下ろす。血を吹き出してぎゃーと声を上げた。男たちが振り返る。笑った顔に両目が光っている。
少し書いて少し止まってを繰り返す。体調が悪いと意識するのは自分の問題に目を向けて結果他のものに注意がいかなくなる。そうして横たわっていたいのかもしれない、目が覚めてもだらっとした時間が流れて、動き出すのに新たな時間と力が必要な今は、うずくまっていたいサインだ。それでも書くことは続けるのだ、そう決めたからやる方が楽だきっと。
自由に音楽を生み出している、その音を聴いてそのことを文字にするように書いてみよう。水の中で跳ねる魚、みずみずしく触れるだけで触れた点から全身に広がる新鮮な気持ち新しい朝の光を肌のシワというシワから吸い込んで染み込んで新しく生まれたみたいに。息をする、朝日の含まれた空気を、肺を満たす。空気の中に感じる、混じった濁りごと、飲み込んで。動いている街の中を泳ぐ魚、車よりもっと大きな魚、騒音をすり抜けて時に飲み込んで、街の喧嘩も笑い声もこじきのいびきも女の涙も夜も朝も飲み込みながら泳いでいく。ぐるぐると回遊魚。出口はないから泳いでいられるよ、いつまでも。冷たい水も気持ちがいい。
何時間経ってもダラダラしたままだ。集中していないのは間違いない、が集中とはなんだろう。書くこと以外のことに気を取られる、それは書くよりしたいことがあるからなだけで、それならそっちをした方がいい。本だって読みたいし寝ていたいしお菓子食べたいしセックスしたいし歌いたいし、でもどれもそんなにしたくないんだ、何がしたいのかわからないってなんだそれ。ふと戻ってきた感覚は久しぶりのあれだ。まだ入り口だ、だから大丈夫、その中に入らなければ。歩いていくのはこの足だ。動かしてるのもお前だろう。あれそれならどこだって歩いていけるのに。どうしてお前はそこにいる。あぶないぞそっちはと自分でも思っているのだろう、だからそこに止まっている、それなら面白い方に歩けばいいだろう。自分でもわかっているはずだ。それなのに。足が動かない時、その足にへばりつく妖怪、小さな童、記憶。
こんなに天気のいい日は久しぶりだ、ご飯を食べたら散歩しよう。タバコを吸えないのがいまいち乗れない理由だと無理やり決めつけてとりあえず強引に外に向かって出歩く、体をそちらに運ぶ。行き先もなく、目的もなくと考えるとそれが目的になる、この頭は考えすぎる、今は特に考えがつまり詰まって考えられない、のに考えたらパンクするのは当たり前だ。歩く足から地球につながって流れてほぐれていく頭の中。歩いていたら面白いが寄ってくる、そこいらに散らばっている、見えないものも感じられるものもこの陽気の中なら笑っているはずだ。カメラの中に僕の中に収めて、あの子に見せて笑いあえたら、それが最後でも十分だと笑って時間は過ぎていく。これで良かったとふたつの口がいえば、他に何がいる。二人の中の現実が、それは起こったといえば奇跡だって現実だ。なんて簡単で、美しいとか言ってバカだなと笑いましょう。黄色い葉っぱもずいぶん落ちて、どうやら時間もすっかり経って、風も匂いもそっくり変わって変わり続けてだから気持ちよくて、僕らの色も目まぐるしくて混ぜたら爆発しちゃいそうだ。開けた口に飲み込まれて仄暗いほら穴あったかい。ここで寝てたらあっちゅう間、春がきたなら芽が出てさ。花まで咲いたら儲けもん。どんな花でも美しく、そしてグロテスク。それでも枯れるから良かった良かった。安心も不安も枯れるから良かった良かった。明日は何日だ。まあいいやいいや。それでどうなっているんだ、おめ。足、なくなっとる

そうだこうやって歩いても良かったんだ、そうしたらあっといまにもう着いてる。着こう着こうと急いだらでもつまらないのがまた面白い。音に乗るとは流れに乗ることそのもので、流されるように書くと文章も流れていく。流れに乗って流されていくのは気持ちがいい、もはや自分で歩いてもいない、春の陽気で空っぽになった頭で散歩するみたいに能天気に進んでいく。流れはあちこちにぶつかりながらグネグネと蛇行して目を回しながら、できた道筋もめちゃくちゃで、しかしそれも道だ、空から見たら意味を持つ記号になっているかもしれない。あれを誘発するものはなんだろう、音に反応する体の中に潜むもの。踊り出したり暴れ出したり死にたくなったりするそいつは生きている、楽しそうに。まだだもっとやりたいと今も言って寝そべり満足げな顔で、そうかこの後の散歩。そいつが動き出すのがわかる。僕がうずうずしているのか、そいつがうずうずしているのかわからない、。どっちでもいい、同じことかもしれない。歩いていない道を歩きたい。でもこの道をと決めて歩きたくない。引っ張られるようにこっちだよと導かれるように歩けたらいい、楽しそうだ。ここじゃない。新しい現実がそこで見える、そこにある、創造される。言葉もそこで生まれるかもしれない。そこでしか生まれない気がした。一日にとんでもない量を書いたらどうなるだろう、止まってしまうだけか、苦しくなってうずくまってしまうより、小さく毎日進むことだ。無理をしても仕方がないのだ。今も無理をしていたから止まっていたのかもしれない、缶詰にされたホステルの中を、自分の想像の中を歩くように狭められた世界を歩き回って息苦しさ見つけ出してばかりいた。そうじゃない抜け道があっても見つけられなくなっていた。そんな現実を創造していた。ぷつんと風船を破るように、古いそれが飛んでいって、青い空が広がって飛んでいけそうな気持ちで僕は笑った。なんだこれはと、苦しみと喜びをいっぺんに抱き寄せてどちらも本当は笑っていて。僕もつい嬉しくなって泣いちゃったりして、見ないでくれよと思いながらでも裸んぼでもっと脱いでしまいたくて肌の裏側まで見て欲しくなって。なんだこんなことだったのかと拍子抜けに納得して。あの子と会えるんだと緊張の中の喜びを大事にして、優しくすくって。ああいよいよぼけてきたのか、あったかい陽気に当てられて。足の方から輪郭もぼやけてきてただそれを眺めながらタバコでも吸いたいのに。ベンチに吹く風と金色の落ち葉たちを祝福のように浴びて、まっさらな時間だ。ここだいまだ。次と今がつながっている。流れているのは未来からの時間、浴びている。そうだ書いている、歌っている。笑っている、みんなが笑っている、喜び溢れている、そこは輝いている。金色に光っている時間と空間。
なんだかんだ、よくわからない。よくわからないから面白い。そういうことにして、自分でもわからないもの、読む人は余計にわからない、いやそれもわからない、僕の何か、中の流れと、あなたの中の流れが触れ合って、変な変わった色をあげて流れたら、面白いそれでいい、そんなことが起こるかもと直感したのだった。それが今は面白いかもしれない、そうやって書いてみよう次も。とか言って考えて書けないのまでセットでわかっているが、現実は創造される。想像を元にして。

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