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喘息タバコカフェイン

咳と同時に、水を撒いたように走る肺の痛みで起きた。二、三度咳き込むたびに痛みが走る。ほとんど酸素が回っていない気がして怖くて深呼吸をした。夢にらもさんが出てきたのはおそらく初めてだった。躁転したらもさんとその影響で躁に転じた僕で作ったのは、看板やゴミから拾ってきたアルファベットを並べたものでそれは英語ではなかったが意味はわかった。色褪せたピンクのアルファベットで、「明日は晴れる」だった。

今日は曇りだ、薄いミルクの空。太陽光は浴びれない。コーヒーを飲むと胸のあたりの疼きが楽になる。心臓が痛い時もそうだった。息が通りやすくなった。カフェインの効果だろうかと調べてみる。気管支拡張剤として、喘息にも使われるテオフィリンに似た働きをカフェインはする。つまり喘息の症状緩和になりうるわけで、呼吸がしやすくなったのはこのためだろう。気道は交感神経優位で拡がる、いわゆる緊張、興奮状態で拡がるというわけだ。やばい!と思った時に酸素が吸えないとなると大変だ、戦うにも逃げるにも大量の酸素で最大限の活動をするために気道は拡張するのだろう。呼吸は荒くなり瞳孔は大きくなる。カフェインで興奮、交感神経が優位になり呼吸が楽になる。そしてタバコを吸い軽く咳き込む、よせばいいのに。人間は作用通りに動くわけじゃない。矛盾の塊を抱えて、矛盾そのものとして生きている。ああ苦しい。
危ない咳が出てきた。冷気で体も冷え込んでいるから尚更だ。本格的にタバコを控えなくてはいけない。こうして書くことでその助けになるように。冬に向かってだんだんと寒くなってきているのに、路上に寝るホームレスが増えた。スーパーまでの道を歩いていると道端に毛布を敷いて横になっている姿がいくつも見える。小銭のためのコップを置いて眠りこけている、汚れた布切れ一枚にくるまって。部屋の中で布団をかぶっても寒い今、路上でそのまま死んでしまうかもしれない、寝床は他にあるのだろうが。女が宙空を見つめて固まっている、焦点は合っていない。半開きの口、きょろっと動いた眼球と視線が合ったがそこにはなんのコミュニケーションもなかった。買い物を終えて帰る頃には青暗い空で夕方が終わり夜が始まる前だった。スーパーの入り口に男が座り込んで金をせびる、その脇と声をすり抜けて歩く。爆音を響かせて馬鹿でかいバイクが道を過ぎる。彼はどうにか金を貯めてバイクを手に入れたのだろう。地道かはわからないが、積み重ねた労働の対価として得た金であれを買った。ホームレスの男はいつからか、いや生まれた時から歩き、進み続けた道の先が今、あそこにいる。彼は何か間違ったのだろうか。それとも何かが間違っているのだろうか。間違いも何もないかもしれない。誰にもわからない。靴下からはみ出した指がコンクリートに触れている。
暗くなった道端で男たちが輪になっている。ぷんとハッパの匂いがする。歩き出した男の一人は他のものも摂取しているのだろう、カクカクとおかしな動きで通行人たちはそれを避けながらすれ違う。バスタオル一枚を巻き付けて歩く女の腿はただれたように脂肪がついていた。カラフルなバスマントを被った女が踊りながら道路の横断を繰り返している。彼女の踊る世界は彼女自身の現実で、僕は僕の現実を歩いている。きこきこと人形のように裸足で踊って楽しそうだった。

咳がどんどんとひどくなり、いよいよ喘息のようにぜえぜえといいだした。連れて行かれた緑色の病室には二股に分かれたスポイトのようなガラス管がチューブの先についた喘息患者の器具が三つ並んでいた。隣の二つは埋まっていて自分より少し下くらいの女の子がつまらなそうに台に顎を乗せガラス管を鼻に突っ込んだままぼーっと前を見ていた。それを見て僕はうんざりした気持ちになって、でも黙って隣に座り同じように鼻に突っ込むとゴーッと音がして痰や鼻水が吸われていく。いや、そうだったろうか。なんか白い気体がでてきて吸った記憶もある。ガラス管の中に白いもやが遊んでいるように揺れながら溜まっていくのを寄り目になって見ている。しばらく吸った後に、楽になったと聞かれ、ありがとうございますと答えるのだ。いくらか楽になった胸とその中に残るなにかを感じながら。
心配げな母親と止む気配のない苦しさと車に乗り込んで夜の病院に向かうとき、しょうがないなと他人事みたいに窓の外を眺めていた。朦朧としているからか街灯が滲んで輝いて見えてきれいだ。いつもの道が違って見えて、いつの間にか僕は来たことのない街を走っていた。目的地も忘れて、もっと光る街が見たくて、スピードを上げて、と叫びたくなる。もっともっと、もっと楽しくなりたいのに、そうだ息が、苦しかったんだ。

タバコを吸うと詰まったように息が苦しくなって味わえもしない。吸わなければいいと頭でも体でもわかっているが、次は美味しいかもと吸いたくなる。パチンコ中毒みたいなもんだ。次は次は。次こそは、俺はやるんだ。そうして次のない人生をすり減らしてドブに捨てていく。そしてそれも悪いことじゃない。そこに喜びがあればいい。なくたっていい。どうだっていい、なのになぜ、そんなに気になるのか。
ちょっと体調を崩して心細くなる、動かない時間、横になって一日を過ごすとうたた寝している間に足元の窓の空は薄暗くなっていた。時間が逆さまになってそれか僕が逆さまなのか。ヘッドライトが滲んでぼやけて広がっている。雨が降っていた。今も降っている。それで少し安心する。起きると息苦しい。寝ている間はどうなんだ、苦しい夢は見ていない、というか夢は見ていなかった。手の近くに携帯が転がっていて、見ていた、ほとんどただ聞いていた動画の画面、もう一度再生する。眠りの前と後の時間がぶつんと繋がるように編集される。これが一つの世界だと、思い込む、そのように洗脳する。こっちが現実だという。夢とこれが地続きだったら大変だ生活ができない、それは確かにそうかもしれない、しかしそこに断絶は本来ないのだ。見ていて感じて歩いている、夢の中を。

ああ邪魔くさい。もっと自由にあばれてしまえ。少しずつ呼吸は楽になってきたが全快とはいかない。タバコを吸うたびに一段具合が悪くなる。なるべく深く吸い込まないように、口に含むように吸って自分を誤魔化し煙を吸う。呼吸は生存のための大事な要素で、それがうまく行かないと身体全体の回りが悪くなって、当然気分まで落ち込んでいく。それが邪魔くさい。ちょっとやそっとで簡単にぐらいついてしまうわたし。土台が地盤がぐらぐらだ。ほんとを言えば最初から土台なんてない、風に吹かれては薙ぎ倒されるように脆く、その度に土壌ごとごっそり変わって生き続けている。育った作物が全部ダメ、その分新しい種を植えられる。芽が出る前に大雨、嵐で実りなんて得られたことがない。それでも土壌の改良だけは重ねてきた。収穫がなければ荒地と大して変わらない。えっさほいさと鍬をふるって汗を落とす姿はもうほとんど見られない、巨大なタイヤを回して耕運機が走る。運転席のおっちゃんの汗が白いタオルに染みていく。菜の花が好きだった。あれは菜の花畑だったのだろうか。永遠と続く田んぼ道の中に忽然と黄色が目に飛び込んでくる。車も何も通らない、田舎の片隅で自転車を脇に止め、菜の花の中に分け入っていく。地面には藁が引いてあるのか放置されているのかその上を歩いて、少し開けたところを見つけると藁をかき集めて即席のベッドを作る。寝転んでいっぱいに息を吸うと、藁の匂いと春先の冷たい空気に満たされて静かに喜びが広がっていく。一人寝転んで青空を見上げると、菜の花に囲まれた空間は外からの視線を遮断して、別の空間がそこに生まれていた。青空と菜の花と風と僕がそこにいた。遠くの電車の音と鳥の声が混じってその空間を彩っていく。風が運んできて、また風は旅に出る。僕はしばらく動かなかった。そこの、空間の一部だったから。ここにいることは誰にも知られない、誰も見ていない、言葉だってここじゃいらないんだ、僕は歌いたくなった。だから歌った。言葉にもならない歌を歌った。風がまたそれを運んでいく。誰も知らないところへ、誰もいないところへ。
夕日を見ると涙が流れた。涙は人に見せるものじゃない、誰にも見られない場所で一人泣いた。訳がわからないと思うわたしの目から止まらずに涙が溢れ続ける。涙と一緒に溶け出した分だけスッキリと風が通る心と沈んでいく夕日を眺める。そしてまたあのでかいのは昇ってくる新しい朝に。言葉はただ人を笑わせるためだけのものだった。喜びのしわの中に冗談の音を帯びて言葉が沁みていく。そうして皺は深くなる。悲しみの涙がしわの谷を通るたびに深く皺は刻まれる。笑いの音、笑い声は祝祭の音、人の間をこだましてどこまでも増幅し街全体を震わせる。外壁のレンガの土の一粒まで。その下に潜むネズミのヒゲまで。こじきの空っぽの胃の中まで。隅から隅まで震わせる。喜びだとか感情もなく笑い声の振動を伝え続けどこまでも広がっていく。笑いの言葉で人が笑い自分を笑わせる、それで幸せだったのだ。
ある時から悲しみの言葉が体を循環する。どこから忍び込んだのか、生み出したわけでもない。社会で生きていく、泳いでいく中で意識せずとも無意識に摂取せざるを得ないのだ。知らないうちに自分の中に流れていた悲しい言葉が不意にきっかけを待っていたかのように飛び出してくる。息を吹き返すように飛び出した魚、口から出たものはもう自分ではない、相手に向かって進む、止める術もない。対処したのか傷ついたのか、相手の外面から押しはかるのは、あくまでこちらの観測でしかなく、希望や偏見に色づけられる。少なくとも喜んじゃいない顔を見て、何も感じなくなった時、悲しみの魚が新たに生まれ、あなたの体の中を自由にのっそりと泳ぎ出す。喜びの言葉を栄養に少しづつ大きくなってしまいには笑いの、喜びの言葉を食い尽くしてしまうかもしれない。そうして魚自身になっていたことに気づくことはもうできない。誰かの言葉で知ることができれば幸運だ、滅多に出会える人じゃない。あの言葉は残ったままなのに、あの人はどこに行ってしまったのだろう。嘘ばかりついていたわたしもどこにいる。ここにまだいるのだろうか。混じり合った色が滲んだ点を残してまた離れていく。その先でまた出会う頃には全く新しい色になっているに違いない。それでも互いにあの時の混じり合った色の点を残している。いつまでも含まれたままだ。それは希望の色に似ている。

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