じっけんじっけん書く実験
土砂降りの朝、外に出てタバコを吸う。まだ暗い道は街灯が点いていて線の雨が見える、濡れた道路を照らしている。目の前にゴミ収集車が止まっていて、ちょうど向かいのゴミ箱でオレンジの雨合羽を着て作業している人がいた。大雨の中、黙々と動く、ご苦労様という気持ちとなんだか申し訳なくなった。これが労働だ。突っ立ってタバコを吸っている自分。背の小さい彼がそばを通る時、160センチ台だ、聞こえるか分からないがおはようと声をかけた、こちらにわずかに顔を向けて何かを言ったが聞き取れなかった。僕は黙って頭を下げた。高級そうなSUVが道路を横切って行った、カフェの前に止めてコーヒーでも買いに来た男は白いセーターを着ていた。ごみ収集は街が回るために不可欠な仕事だ。この雨の中頭が下がる、立派な仕事だ。しかし彼はどれほどの給与をもらっているのだろうか。雨でも風でも彼は働くだろう。そしてあのセーターの男は。
大きなお世話だ。まず自分だろう考えるべきは。もう金はほとんど尽きて後がない状態だ。後がないのになんともなさそうな顔で感覚で息をしている。いくつも仕事の当てがあるわけでもないのにまあ大丈夫だろうとか言っている、しょうがない。どうにかしなきゃならん。まあでも流されて生きている、流れに乗ってどこまでも、たどり着くのはどこだ、納得できればそれでいい。書くことの前にまずはやるべきことが、いやそんなものが、何があるのか。
考えもせずにスタートを切ってロケットスタートだとか言って走るだけだ。生活も人生も行き当たりばったりでは行き先も目的も見失ってしまう。しかしそうしてやってきた結果が今だ。何を書いているのか、頭が回っていない、それもいつものことかもしれない。外は寒い、開いたドアから冷気が入り込んできた。何人かが起き出してきた、宿を出るのだろう大きな荷物を抱えて。出発の日が雨なのは最悪だ、旅の身にとって雨は天敵でもある。ただでさえ煩わしい移動がさらに億劫になる、雨の日は宿でゆっくりしていたい。ゆっくりゆっくりしていたらいつの間にか歳をとってしまっていた。いつの間にか死んでいたというのは嫌だ、せめて死ぐらいには自覚的でいたい、いや嫌々でも死は自覚するだろう、今、生きている今にこそ自覚的であるべきだ。一瞬が次々と流されていく過去へと、この瞬間、時間こそ知らぬうちに流れていって消えてしまう。人がいるだけで気になってしまうのはなぜだ、どうしたっていいのに、どうなってもいいのに。本を読まずにいると、脳みそが止まってしまったかのように何も出てこない、言葉は飲み込んでから吐き出すものなのか。ニコチンだけでは動かない、ガソリンは言葉だ。本よりも生きている人の言葉かもしれない、話し声が脳みそのガソリンだ、聞いたか聞いていないか聞こえた言葉でいかようにも動き出す頭。眠いわけでもないのにぼやける視界と靄がかかったような頭。コーヒーでも飲みたいカフェインの力だ。他力本願。しかしここを離れるわけにはいかない、なんと言ってもロケットスタートだ。ロケットは止まらない、止まれない。目的地を目指して一直線だ、誰にも触られない、最初に触れるのは目的の地だ。とか言っても手は止まりそうだ、なんと言っても別に書くことがない、ここまで何を書いたかも覚えていない。それでもいいのだ、書くことが目的だ。そう言い聞かせて止まりたそうな自分を留めないようにする、ただ無目的に手を動かす。頭が動いていないのに手を動かし文字を打っているのは奇妙だ。と感じた今から、手の動きを追うようにして文字を打ち込んでいる。それはある種の快感を感じさせる。このまま手の動きに任せて何が生まれるのか、何も生まれないかもしれない。いや何も生まれないというのはおかしい、現に文章は生まれる。何も生まれないというのは何も意味が生まれないという意味で、何か意味のある文章を産むべきだとか、何か意味のあるものを書けるだとか、とにかく勘違いの賜物だ、わたしはすぐに勘違いする。ハッピーな勘違いならいいが自分を止める止まらせる勘違いはいらない。いるかもしれないが今はいらない。とにかく指の動きを追うことだ今は、何が生まれるだとかは必要がない、そうしてやっと頭が動き出すのだ。それまでは、エンジンを温めるようにキーだけ捻っておく、待つ時間も大切なのだ。回らない頭は軽自動車程度のエンジンかもしれないが動いてしまえばこっちのものだ、動きさえすればいい。新しい動きは自然と生まれてくるものだ。何日か空けばこの有様だ。毎日動かすことがどれだけ大事か何度もの中断のたびに感じている、車もずっと動かさなければエンジンに悪い、そうしていつしか動けなくなり、錆びついて雑草に囲まれて打ち捨てられる、人々に忘れさられた車はやがて小動物の棲家となり植物に絡めとられ自然の一部かのようにそこに馴染む居着いてしまう。しかし違和感は消えない、どこまで朽ちてもあくまで人工物なのだ。錆びた車体は人の痕跡が消えない。
何割か頭が動き出してきた。重く感じる頭はもしかしたら雨のせいではないかと思い始めている。それぐらい重さが取れないのだ。まあいい重いものこそ動き出したら止まらない。巨石を何人かで押して押してジリジリ動かして坂まで運べばあとは勝手に転がっていく。どんどんスピードを上げて勢いを増して。どうにもこうにも動きそうにないものでも目に見えないほどの変化はしている、だから問題はない。よくありそうな話を引っ張り出すほどには頭が重い。頭は人体でも特に重い部位、だとかではなく、いや頭というより瞼が重い気がしてきた。そうだ寝不足なのだ、よく寝れていなかった。遅くまで携帯を見ていじっていたから睡眠が浅く質の悪いものになっていた。だからよく寝れていなかったのだだから頭が回らない。いよいよこの話もどうでも良くなってきた。そもそもがどうでもいいものだ。気にしてもしょうがない。
これだけ書いてもまだ止まれない、ロケットは進んでいくしかない。ロケットの鉄の重み、頭部のような重み。どこまでも飛んでいく。天に向かって突き破り、重力のない世界をどこまでも進んでいく。首からちぎれた頭、体を捨てた頭は重い重いといわれることもなく身一つ、頭一つになって身軽だ。もうとやかく言われることもない、永遠と星の煌めくのを眺めていればいい。行き先などもちろんない。それでいいそれがいい。安心も不安もない世界、時間だって流れているか分からない。あれだあれはよく見ていた星、だとか適当なことを言って自分のストーリーを作る、その中で生きる。しかし遠くから煌めいてみえたあの星は燃え盛るガスで灼熱そのものだ。何もかもを焼き尽くすことは恐ろしくて美しい。そのまま星に突っ込んで燃え散って頭は消えた。燃えた残りカスがわずかに舞ってそこには少しの思考が残って漂っていった。どこかで燃やされ尽くされ同じように漂うカスがいくつも混ざり合って何度も何度も繰り返していつしかそれは星になった。
もう何時間も経つのにまだ暗いままだ。分厚い雨雲に覆われて今日はずっと暗いままだろう。雲を突き破れば太陽がそこには昇っていて輝く光を照らしているなんて信じられない。大抵のことはわたしの感覚で捉えてしまう、常識、普通に考えたらが出来上がる、それがまるっきり違っていても不思議じゃない。この小さな頭で考えられることは高が知れている、そして同時に無限に広がっているのが面白いところだ。表と裏のように一つはいくつもの面があり、全てを孕んでいる。よく分からんことを言い出した、また手が止まりかけている、書くことははなからないのに書くことがなくなっただとか勘違いする。この頭の勘違いはすごい一級品だ、いくらでも勝手に考えだしてくれる。それならひたすらその勘違いを書いていけば止まらないかもしれない、永遠と止まらずに書いた人はいるだろうか。ほとんど一息でどれだけの文章が書けるだろう。これまでに一番長く一息で書かれたものはどれくらいだろうか。そうだ長く書くことも目的ではない。量をこなすことも大事だ、本当は何を書いているかしっかり意識して書かなければ書いて上達するだとか何かは望めないのかもしれない。しかしそうだまずは試してみることしかない、まずはというかいつだって試してみる以外はない。毎日たくさん書いたらどうなるかの実験だったのだこれは。最初の思いつきか、今の思いつきかわからない、もはやどうでもいい。毎日たくさん書くの実験。実験の内容がしっかり定義された。これで何を書いても意味を持つようになったわけだ。実験のため、という理由が常についてまわる。それだけで何か書きやすくなった感じがする。それだけ意味に囚われていて、いまだに抜け出せていないのだ。意味から抜け出せた時どんなことが起きるだろう、どんなものが書けるだろう。その必要もないのかもしれない。欲しいのはとにかく書けるようになることだ。楽に書けばいいものでもない、でもスラスラと書ける気持ちよさはある。気持ちいいを頼りにする。面白いはもっと頼りになる。書いていて面白いだろうか、今日はわからない。しかし気持ちいい瞬間はあった。重かった頭が動き出した時そこに気持ちよさはあった。気持ちいいを頼りに生きてきて今ここにいる、そしてもしかしたら気持ちいいと楽は近かったりして道を外れてきたのかもしれない。いや気持ちいいと楽は近いようで遠いのかもしれない。長い道の先に気持ちいいがある時、小さな箱に入ったささやかな気持ちよさがどこまでも広がって世界を満たしてくれる。安易に手に入る気持ちいいは、近くにあるから大きく見えて、一瞬の爆発があっても実は大きいこともなくて消えてしまう。
いつの間にか楽の道に入り込んでしまってその分かれ道はもう見えないほど遠くの後ろで、いまさら簡単に横の道に飛び移れはしない。歩いてきた道をこのまま進むしかない。その方向を微かにでも変えていつしか他の道と交わるように、以前歩いていた懐かしい道にまた出会えるように歩くしかない。正解はない、面白いを頼りに道を決めよう、それがずっと道標だったそしてそれすらも忘れてしまっていた。こんなに大事なものを忘れるわけがないと思っていたことを人は忘れる、忘れてしまう。そして一度忘れたことを忘れているからなかなか思い出せない。そうして何かの時に思い出すのだ。それは死にかけた時かもしれない、大便を捻り出した時かもしれない、なんでもないことを書いている時かもしれない。意味はなくとも成果はあった。実験は続く。
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