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落とし物

書こう書こうと思っていても何も生まれない。こんなことも書き飽きるほど書いた。同じことばかりだ。出てくるのは不安や不満ばかりだ、巡る生活の景色は変わっているはずが同じ色だこの目に見えるのは。この目に同じ色のメガネがずっとかかっていると考えたほうが筋が通る、汚れてそのまま磨くものもない。いまだに生活は落ち着かず、移動を繰り返していて決まった部屋も見つからない。希望のない移動は体力を減らすばかりだ。元来移動が好きなのだわたしは。移動の時間は何もしていなくても移動をしている時間になるから、ぼーっとしていられる。窓があるとなおいい。外の景色が流れていく。住宅地の密集した家々に人間たちが住んで生きて暮らしている。それぞれの人生を生きている。その時間と密度を思う、食べ物を食べ息を吸って吐き排泄して言葉を話して恋をしたり映画を観たりまでするわけだ。そして死ぬ。自分の人生にまで気が遠くなってどこか遠くへ、わたしの見えない知らないところにまで投げてしまいたくなる。その間に景色も捉え所のない感情も妄想も電車のスピードに流されて遠くまでそして消えていく。感触だけは心と体に残されて忘れてもそこにずっとある。
忘られても残ったままのものはきっとたくさんある。落とし物は落とした瞬間には存在せず、ポケットをまさぐってその消失に気づいた時に落とし物が生まれる。なんだっけか、なんの話だ。落としたもの。落としたほうがいいものがある。
毎日書くだけでいいのに、途切れさせたままにしてどうしても目の入るところから押しやるようにして、それでも引っかかったままだった。どうしてかって考えてもしょうがないし、そんなことばかりしてきたし、そうしたって生まれるものもない、いやわからない。自問自答の渦はつまらない。撃ち抜いてしまったほうがいい。
アホみたいな動画ばかり見ているから頭がパンパンになってゴミばかり詰めて集中だってできやしない。現実よりもクソなものを見ることで脳みそまで麻痺させてそうしたほうが楽だなんてこともないのにやめられなくなる。酒でもタバコもなんでも誤魔化せやしない。たくさんの中毒を作ってその中に何か毎日進めていけるものを滑り込ませる。それぐらいだ今は。どこまでも仕事に向いていない。働くのは嫌いではないのかそれももはやどうでもいい。書いていられれば満足がある、かもしれない。もうこんな短い文を書いただけで飽きている。書いて満足というのも嘘かもしれない。もうなんだって全部が投げやりだ、解決すべき何かがわたしの中に隠れている。どこかにきっと引っかかっている。どっかに落としてくれればよかったのに。

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