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明らめてロケットスタート

何よりも毎日書くこと、なのに自らハードルを上げて結局手にをつけないのは無意識のサボりたいに動かされているからだ。無意識に働きかけるには意識的に動くことだけだ。直接に無意識に働きかけることはできない、必ず動きを要する。現実のあれこれが邪魔をして、言い訳は簡単に作られる、捏造される。動き出せば簡単なもの、でもないかもしれない分からない、でもこうして手を動かせば形にはなる、それがみにくいものでも。いくつかの文章は手をつけたまま保存され放って置かれている。これを書こうと決めて書き出したものは適当に文字を連ねる以上に、調べ考えまとめる必要がある。それが億劫でそのままにしてある。放っていられればまだいいが、その姿が目に入れば嫌でも投げ出した自分の痕跡が不必要に焦燥感を生む。いや焦りと不安が至る所から吹き出して手頃にその原因にできそうなものに投影している。不安だ。雲が暗くする丘、湿った空気、突然に降る雨は風に押され斜めに走る。もう家賃も払えない部屋から窓越しに眺める。ギャグみたいな残高はもう見ない、眺めてもしょうがない。ほんとに、ギャグみたいだ、と思うと少し笑えた。何やってんだか、とここで笑えるかが瀬戸際だ、もちろん笑っても口座の0は増えない、0に近づくばかりだ。隣の家の猫がまだ晴れていた昼間にやってきた。少し窓を開けてあげるとするりと入ってきて足元のヒーターとわたしの足の間を体を擦り付けるようにしてすり抜けた。ピグレットという名の虎柄の猫、一、二歳。家猫だからか触っても嫌がらずにゴロゴロと喉を鳴らす。好奇心のままにゆっくりと部屋の中を歩いて、またヒーターの元に帰ってくる。猫を飼ったことはないから接し方の正解は知らないが、犬と違って一方的に可愛がればいいというものでもないらしい、無理に撫でると嫌がられる。猫は犬より独立心が強い。性格も色々あるだろうけど、一匹対自分として対等に扱わなければならない。

頭が回らない、深夜、くだらないことも浮かばない、雲に透かして細い月が浮かんでいる。書けばいいのに書かないで流される時間とわたし。同じことを繰り返すバカと光る画面に浮かぶくだらない文字と動画。

そう、なんとしても書くことだった。ここまで書く、そうでないとダメと決めるからいけない。最優先は毎日書くだ、最初はそうだった。いつの間にか手段が目的と化していた。よくあることだ、よくある罠にハマった。いや罠というのがそもそもよくあるものか、滅多に起きないことは罠と呼ばない、それは不運だとか不幸だとか呼ばれる。頻繁に起こらないから手立ても防ぎようもない、気付きようがない天災として扱われる。罠は仕掛けがある、誰かが仕掛けたものだったり、注意深くあれば見破って回避できるものだ、引っかかるものにも落ち度がある。元来注意不足なのだ俺は。うっかり忘れ物をし、道でクソを踏む、人が悩まないことに一人気を揉む。最後は関係なかった、勢いで自分の改善すべき、まで書いて改善すべきとは思っていないから他にどう書くべきだと考える。嫌なところ、嫌とまでいうと強い、マイナスポイントというのもネガティブすぎる、ウィークポイントだろうか、自分の弱点を自ら探すのもまさに弱い人間らしくて嫌だ、嫌ってすぐ使ってしまったそのぐらい嫌なのだろう。そう俺はもう改善すべきと思っていない、もうそんなものだと納得しているのだ、無理に足掻いて変えられないことを知っている。諦めているのだ。「諦め」という時にもネガティブなイメージがある。諦めるなと親や先生やテレビや漫画から何度も言われてきたからだろうか、こう書いているとマラソンのQちゃんが浮かんできた、苦しい顔で走りながらサングラスを側道に投げた、ゴールはもう少しその先だ、、、それで。諦めるでなく明らめるとしよう。元々は仏教用語だったか、明らめるとは、
1、(心を)明るくする。晴れやかにする。さわやかにする。
2、明らかにする。はっきり見定める。事情などを明白に知る。判別する。
と辞書にある。わたしは自分の困ったところを明らめている。困ったところを明らかにし見定めている、さわやかにまでしちゃっている。なんとも明るいことだ。明らめるの漢字の通りだ。これであなたも明らめやすくなったのではないか。みんなもどんどん明らめていこう、未来を明らめ人生を明らめ日本を明らめるのだ。「日本を明らめよう!」と叫ぶ政治家がいれば投票するかもしれない。わたしが!わたしがすべてを明らめてみせます!なんですかあなた、何、何もあきらめていない?あなた。だから顔が暗い。まずは一つ今日明らめてみなさい、どこか軽くなるはずだよ。とか占い師のようだ。そうだ、明らめる。言葉、漢字一つで意味も変われば印象も変わる。明らめるとなんだか身が軽く感じるのは今まさにそう感じていて、だから本当だ。上手に書こうと思っている自分を明らめたのだ。同時にストンと何か落ちて軽石くらいだけ体が軽くなった。うまくやろうとする自分を明らかにして見定めて、明るくさわやかにした。暗い自分がその影が消えたのかもしれない、影は軽石ほどの重さがあったのだ、怖い、あと何枚の影がこの体を覆っているのか。まあいいそう明らめるだ。言葉には力がある、言霊、かは分からないが明らめるのはいいことだ、なんか気持ちいい、気持ちいいことはいい。

ロケットスタートがいい、手をつけた瞬間から全体の八割まで終わらせろと読んでその通りに実行している。私は素直なのだ、バカでもある。素直をバカとも呼べる、それだけのことだ。何でもかんでも聞いて飲み込むのはバカだ。うっかりフグでも食べてしまって死ぬのがオチだ。これまでお腹を壊すぐらいで済んできたわたしはバカなりにも考えてはきたのかもしれない、なんの話だ。ロケットスタートだ。ここまでの文章は寝起き五分で書き始め、おらおらおらとただ書き進みここまでノンストップだ。いつもなら途中でへたった時にコーヒーやタバコに逃げ込むことができた。しかし今日は違う。とにかくロケットスタート、八割までは界王拳二十倍だ。と書かれていたからその通りにしかし二十倍はいきなりは無理だ体が壊れてしまう、せいぜい二、三倍でやらせてもらっている。やらせてもらうってなんだ、変な文が出る程には疲れているのか、頭が回っていないのか、タバコと書いた時からそっちに気を取られているからか。ただ書いていた間は気にも留めなかったのに意識した途端にニコチン中毒の頭はその瞬間を待ち望みだしている。これはタバコの弊害だろう、集中を乗り越えてくる欲。もうやめようか、辞める時はスパッとだ、しかしまだ決着はつけなくていい。中毒からの離脱の苦しみはそのままここに書けるだろう、いい書くネタだ。そうでも考えて付属のおもちゃみたいにメリットをいくつもぶら下げないと踏ん切りはつかないだろう。まあいい、飛び込むと覚悟を決めるのは清水の舞台に立ったその時でいい。いやそうだろうか、腹を括っていない男が舞台から下を見下ろして足がすくまずにいられるか。禁煙はそんな大袈裟なことじゃない、だから大丈夫だ。禁と書くから嫌になる破りたくなる、脱煙、無煙とかでいい。金煙もいいかもしれない、吸わない分だけ金が貯まる、禁煙のススメに書いてありそうなよくある文句だ。なんにしろ辞めたいなら辞めればいい話だ。とりあえずもう少し、もう少し書けばタバコが吸える。まるでタバコを吸うために書いているみたいだ。目的と手段が、の話じゃないかそれは。目的と手段が入れ替わる、って表現があるがよく理解できていない正直なところ、入れ替わるってなんだ。手段が目的になるのは分かる、目的が手段になるのも分かるがそれは新しい目的を見つけたからで悪いことじゃない気がする。そもそも手段が目的に、という言葉にネガティブなイメージをわたしが勝手に持っているだけか。ややこしいややこしい。つまらないことをややこしく考えるのが一番嫌いだ。一番つまらないからだ。腹が減ったしコーヒーも飲みたいしタバコだって吸いたい。やっつけになりそうだ、やっつけられるほど文章は言葉は弱くない。何を書いたって許してくれる。太っ腹でタフなのだ、言葉は。だからって好きに遊んでいいわけでもない気が初めて今、した。神聖なものだと怒る人がいてもおかしくなさそうだ。下品なことは書くものじゃない。しかし禁止されるほどに書きたくなる。むしろ書くが始まった時の人々はどうだっただろう。ここまで自由になんでも書けない時代がたくさんあったはずだ。

ほとんど眠りに落ちていた。夢うつつ、久しぶりにうとうとしていた。何もしない時間がなかったからだ。うとうとしている間すら考え事が列車に乗って脳の回路を走り続けていた。どこまでもは続かない線路は見渡せる範囲を一周回りまた同じルートを永遠と回り続ける。何も生み出さないと同時に悩みの煙をモクモク吐き続ける。曇りに曇って煤で汚れた頭では考えることだってもうできない。休むことにも体力がいる。なんだ、金だっているのか。金か、生活のための金。室内に吊るされた植物、洒落たものだ、白い植木鉢から花火のように四方八方に蔦を伸ばしその先に葉がついている。微動だにしないその姿は何かが弾けている、ように見える、生命力がポップコーンのように。鉢が包まれ吊り下げられている綱も白く螺旋に編み込まれていてDNAの螺旋構造状に捩れている。三つの捩れがまとまって太い一本になりフックに引っ掛かっている。包まれた鉢の下にも編まれた糸が集まって束ねられ馬の尻尾のように垂れ下がっている。まるで全体が生きているみたいだ、発せられた生命力がソファに寝そべる寝ぼけたわたしに届いている。未だ夢半分の頭がやっと少し動きだした。二つ並ぶ植物のもう一つは板の四隅から伸びた紐がフックに掛かって三角形を作っていて小さな鉢が板に乗っている。同じく白い蜂からパイナップルのように細長い葉っぱが伸びている。三角形はしっかりバランスが取れて安定している、土台の固まった安心感を発している、少し縦長の二等辺三角形。キッチンを照らす四つの照明は優しめなオレンジ色で真っ白な強いのが苦手な自分には嬉しい。ここはまさに今わたしが住んでいる部屋だ、住んでいる部屋なのにどこか遠くに感じてモデルルームのようだ。毎日起きて料理をしているのに自分の匂いがしない、そんなことはないはずだ、この鼻が感覚が今は遠いところにある。遠くのどこかに繋がっていればまだ面白い、嗅いだことのない匂いだって嗅げる、感じられる。自分の中に閉じられた感覚では新しいに触れられない。自分の内に開かれれば無限が広がっている。なんとなく呼吸が気になって、ちょうどいい本が現れて、久しぶりにまた坐ってみようと思う。

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