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僕は生きている

他人からの期待を妄想して、期待された自分を捏造する。苦しくなった根本だ。たった一人ならそんな妄想が生まれることもない。なかったから楽だった。人といると、特に人の目、存在を気にしてしまう性質だと、知らずにその罠にハマる。知っていてもハマってしまう。誰もお前に期待などしていない。期待された自分像を持つ必要もない、それになろうとわたしを合わせることももちろんない。それはありのままでいいとも違う。捏造された縛られた妄想に鎖で繋がる必要はないということ。これが俺なんだぜと見せびらかしもしないこと。人を笑わせたら勝ちだということ。笑われたら笑わせたと同じということ。笑われるくらいがちょうどいいということ。

朝六時に起きる。その前には三時に起きた。どちらも音で起きた、騒音。隣の住人がホットタブを動かす音、夜中の三時に、もちろん誰も使っていない。近所トラブルかもしれない、今日大家に話に行かなければ、気が進まない。このやろうといったりやり返したりしたら相手の思う壺だ、穏便に着実に解決しなければ。新しく決めた部屋は丘の上の海が見える部屋、家賃はだいぶ高めだ。手持ちの金はほぼ尽きていて、来週の家賃も払えない。気が狂っている、狂っていなければこんな部屋は借りない。とりあえず全ての口座から金をかき集める必要がある。それでも雀の涙、一滴落ちてもう枯れる。日本の口座を久しぶりに開くと思っていた額より一桁少ない、家賃の足しで終わり、ゼロだ。ほとんど絶体絶命、仕事はまだない、求職のレジュメは目につくところには配ったから、連絡を待つほかない。いやもっと探すべきだろう、どうしても見つからなければ山を超えて隣町まで行かなければ、そこには地方都市がある、仕事も沢山ある。たぶん、選ばなければ。ここはバカみたいにガソリンが高いから、山道の往復だけでだいぶ負担になる。買った車は燃費が悪くしばらく走ると目に見えてガソリンのメーターが下がっていく。どこか壊れているかもしれない。後ろのドアは鍵がかからない。シガーソケットも壊れていて充電ができない、もちろんタバコも吸えない。もう冬がやってきているから毛布にくるまっても車の中は寒い。キャンプ場の駐車場や車中泊が許されている場所を探して車を停める。山の奥に入り込んで着いたキャンプ場は小川が脇に流れていた。もう真っ暗だったから流れる音だけが聞こえその存在を感じる。空にはたくさんの星が散らばっている、吐く息はきっと白い、着込んでいても寒さが肌を刺す。駐車場には三台の車が灯りとエンジンをつけたまま停まっていて一台の車の後ろタイヤを照らして何人か集まっている。何かのトラブルだろうか、数分もすると解決したのか順番に走り去っていった。流れる川と、風で揺らされる枝の音だけがそこに残った。携帯のライトを頼りにトイレに向かうとぼっとん便所だ、懐かしい匂いがする、そこまでぼっとん便所に親しみはないが懐かしいと思った。荷物を前の座席に移して寝床をつくる。疲れていたのかすぐ眠っていた。車のガラスが結露して曇っている。鳥が起きて鳴いているのをしばらく毛布に包まりながら聞いていた。サイケデリックトランスに聞こえる。いや鳥の声を知っている体からサイケデリックな音楽が生み出されたのだ。元は鳥の声、天然のサイケデリック。鳴き声がサイケに聞こえるこの頭はおかしくなったのではと考え込む、少し怖くなる。スライドドアを開けブーツを地面に放って履く、足先が冷え切っている。トイレに行ってその後に奥に流れる小川に向かいながら、おかしくなったのかと考えていた。川が流れている、流れを見る。久しぶりに川を見た、気がする。透き通った水は綺麗だ、キンキンに冷えていそうだ指をつけてみた、思っていたほど冷たくはなかった。ほとりにしばらくしゃがんで眺める。流れ続けている、音が気持ちがいい。頭がおかしくていいじゃないか、元々おかしいならもうしょうがない。勝手に悩んで勝手に納得したが、今でも起きるたびに気が狂ったのではと恐怖を感じることがある。起き抜けのあやふやな頭に無意味な、わたしにとって無意味なイメージが勢いよく流れ、止めることも理解することもできない、わたしは少し不快に感じている。そこには不安も混じっている。起きてしまえば大丈夫とも微かに、遠くで感じている。今朝は知らない女が何かふざけて笑っていた、もうイメージはぼんやりだ、正確には思い出せない。
いつでも自然の中で車を止められるわけではない、そして車中泊は禁止されていて見つかれば罰金だ、払う金はもちろんない。街中では安全な場所を探すのは難しい、そもそも存在しないかもしれない。困って夜のマクドナルドに行く。トイレがあり充電ができるマックは便利だ。やっつけで作られたチーズバーガーと少し萎びたポテトを五ドルで買う。後ろの席に家族連れが入ってくる、小さい子供が走り回る。賑やかな家族は兄弟家族たちで集まってきているようだ。やんちゃそうな若い男二人が列に並んでいる。疲れ切ったアジア人の男が席につき空を見つめている。ウーバーのタクシーか、配達か。
客は途切れることはなく、列に並ぶ人間も様々だ。ほとんどが男でいや俺が見たのは男だけだった、皆少し気を張っている、朗らかな男はいない。物を取りに車に戻ろうと列の間をすり抜けるといくつかの目がじろっと見てくる。無表情の目でそれを見返す。ドライブスルーを囲むように駐車スペースがあり、それを囲むように車が通れるスペース。そのまた向こうに駐車禁止のオレンジで斜線が書かれているのがいくつかあって、走り屋仕様の車が何台か並んで停まっていた。ハッパの匂いがぷんとしてくる。サーキットのピットのように彼らはここに寄って一服しまた街に繰り出していく。バババと大きな音を立てて真っ青な一台が走り去っていった。そばに停まっていた車に女が乗っていた、目が合う。三角の目をしている。あれはハッパじゃない、ギラギラした目、あれはあんまり見ちゃダメだ。
結局たどり着いたのは教会だった。日本の寺が浮浪者や金のない者を手助けしてくれるように、と勝手な言い訳を持って車を停めさせてもらう。中心街を離れて住宅が並ぶ道に入っていく。静かな住宅地には車は走っておらず、バス停の透明な仕切りにスプレーでタグが書かれている。くたびれた家が並んでいて、低所得層が住む地域なのだろうか、だからこそ静かなのかもしれない、自らの家の周りでやんちゃはしない。停車した後にできるだけ音を立てないように寝る準備を済ませる、最近で一番に冷えた日だった、狭い寝床で体の位置を変えられずにモゾモゾと動いて寝返りを何度も打った。
起きると体は冷えてバキバキに固まっていた。人の来ないうちに移動しようとタバコを咥えながら座席の荷物を後ろに移す、起床後すぐにテキパキと動く。寝起きの一瞬の不快を乗り越えると快楽がやってくる、機械的に体を動かす気持ちよさ、わたしが不在の動き、それに任せる、流されるように。街中のトイレを目指す。水場が身近にないのが住居を持たない者の大きな煩わしさの一つだ。トイレとシャワー、水が飲める、料理できる、水は生活と密着している。川辺にあったトイレの側にはカヤックを置く倉庫があり、遊歩道は時折散歩する人が通るくらいで静かだ、鴨の親子が川に浮いている。タバコを吸いながら二匹が淵から流れのある方へ進むのを写真に撮った、下流の方にカヤックを上げ下ろすスロープがあり、高校か大学かのカヤック部がちょうどカヤックを上げているところだった。引き締まった太腿が短パンから剥き出しでこの寒い中に濡れた草きれがへばりついている。倉庫に運び込んでしまうとさっさと駐車場に向かってそれぞれの車に汚れたユニフォームのまま乗り込んでいく。前を進むチームメイトの車にピッタリとつけてクラクションをパーっパーっとふざけて鳴らしながら帰っていった。漲った若々しさが朝の空気に散らばって光っていた、僕は荷物が詰まった車に向かって一人歩いた。三万円と数百ドルを両替商に持っていく、これで入居にかかる費用を賄う、それでさっぱり手持ちの金が消える。朝一に並ぶと一人の先客がいてすぐに受け付けてもらえた。移民の女性だ、仕事を探しているんだと言うと、どこそこにいくといいと親切に教えてくれる。こっちに住んで数十年の彼女は今はこうして両替商の受付だ、きっと安定はしているだろう、両の手首に金のブレスレットが光っている。一杯のコーヒーがあたたかい、スーパーで買ったパンを齧る、腹が減ればなんでも美味い。大丈夫だ、生きているし生きていける。この街にだって路上で生きる人たちがいる、どの街でだってそこかしこで這いつくばっても命を冷え切らせないように蠢き続けている、人。
街から四十分も走ると海辺の町だ、牧場が広がる中の一本道、切り立った小山に羊が引っ掛かるように散らばっている。舗装されていない道を通ると柵越しに牛たちが見ている、幾つもの顔がこちらを向いている、その顔からは興味も何も読み取れない。緑の丘の牧場が何度過ぎても現れる、遠くの牧場が重なり合って緑の濃淡が美しい。美しいと感じているだろうか?寒空の寂しさとただ広がる牧場を走る車から眺めていると、むなしさの波が静かに打ち寄せて引いていく。すぐに見失いそうになるわたしを。それでもいい、けど投げやってはいけない。遠くに放っても取りに行くのは自分だ。それぐらいは知っている、分かっている。車のように人生も進んでいく。この一本道はやがて静かな街に着く、そこで始めなければいけない、新しい色々を。とまってもいいがとめられないものはある、流れ続けていく。わたしも誰だって少しずつ、確実に流れ進み、近づいている。終わりは勝手にくる。最後は自分で決めなくていい、せめて目の前は自分で決めていく。むしろそれ以外にできることはない。どうしたっていい。どうにでもなるし、どうにもならないこともある。書かなければと教えてもらった、わたし自身に。自分のために。五時過ぎには青暗くなってきた、雨がぱらついてすぐ止んだ、風はずっと吹いている、ずっと曇りだった今日。暖炉でもあればあたたかいだろうに、冷え切った部屋の中は着込んでいても芯から冷えてくる。動かしている指先がかろうじて温かく、書くことそのものが生きるにつながっている。そう感じる。感じている、感じられることが嬉しい。僕は生きている。

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