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子どもたちの主体性・自発性を、大人たちが奪っている。

こんにちは〜honaです!毎日投稿中です。眠いけど今日も書きます。

今日は、個性とか主体性が大事だとか言いながら、結局子供の主体性を奪っているのが大人たちではないかと思ったことについて残します。

昨日、子供の保育園時代のお友達と遊んでていて、相手のお母さんとも結構いろいろ話をしました。その中で、どうやらコロナ禍で保育園が窮地に立たされ余裕がないようで、転園を考えていると。ちょうど私は年少長女を4月に幼稚園に転園させたこともあり、幼稚園の話をしたり私の保育感について話したり、保育園の見学に行ったことも聞いたりしました。

保育園では保育士さんの間でもコロナ感染が広がってしまって、保育士さんの人数が確保できずに結局休園したり、いつも通りの保育ができなくなり不安に感じている、と言うことを聞きました。

きっとこういう状況になっているのは、その保育園だけでは無いだろうし、むしろコロナとは関係なく、以前からそういった窮地に立たされている保育園は結構あったんじゃないかなと思います。

結局、そうやって大人に余裕がなくなってくると、割を食うのは子供たちです。

幼少期における心身の育ちと言うのは、その後何十年とは比べ物にならない位、重要な時期だと私は思っています。それは多くの幼児教育に携わる教育学者の方が述べているだけでなく、最近では脳科学でもエビデンスを持って述べられていると思います。

そんなとても大事な時期に、大人の都合で、子供たちがおざなりな保育や教育をされることは、あってはならないはずです。

最近では、非認知能力を伸ばすとか、STEAM教育とか、またそれ以外に古くからあるモンテッソーリ教育、シュタイナー教育などなど様々な素晴らしい教育手法が様々にあります。

そうした教育手法に共通する、根幹になっている部分に、「子供が自ら取り組む自発性、主体性」がある、と私は思っています。

誰かに何かを言われてやるのではなく、自らの内から湧き出る好奇心や興味関心から、物事を考えたり体を動かしたりすること。そうやって自分の五感を使って経験した事が、彼らの血となり肉となり、発達が促されて、少しずつ少しずつ積み重なって成長していく。

「正解」を求めるのではなく、「自分が好きなもの、自分が興味があるもの」をについて時間を費やし、自分の能力を費やしていく。

幼い彼らには、実はもうすでにこうしたことができる能力が備わっている。それを大人が忘れてはいけません。

そして、そうした素晴らしい教育方法が流布していて、高らかにうたわれて、教育熱心な親御さんがこぞって取り組ませている状況があるにもかかわらず、結局なぜか「大人がやらせたいこと」をやらせてしまってはいないのか、と感じます。

恐縮ですが私は自分の娘が通っている幼稚園・保育園以外の事はあまり存じませんが、少なくとも以前通っていた保育園では、子供の自由遊びの時間はほぼなく、保育士さんによってカリキュラム・時間ごとの活動が決められていたのだと思います。

また何か制作するにしても、基本的にはゴール、つまり保育士さんのお手本=正解が提示されて、子供はそれに向けて制作をすると言うような時間だったと感じています。

また少し話は変わって小学校においても、公立の小学校では時間割が決まっているのが当たり前で、30名に先生が1人だけついて、30名に大して同じ授業内容を毎日を行っています。

こうした画一的な教育方法が今でもあまりにも当たり前に行われているから、大人がたちがそれを疑問に思うことすら少なくなっているように感じ、怖く感じます。

もちろん、子供一人ひとりに寄り添った教育と言うのは、教育を与える側の負担が相当大きく、実現が難しいと言う事はわかります。
でも、このままだと結局、同じような質や能力を持った子供たちが育つんですよね。
そして与えられたカリキュラムや授業に慣れてしまって、自分で考えることをしない、主体性も自発性も弱い子供たちが育つと思います。

このVUCAの時代に全くそぐわないこの画一的な教育方法を、大人が実現が難しいと言う理由を前面に押し出してこれからも続けていく事は、子供たちから自発性・主体性を奪うことになると、改めて考えさせられました。

子供も社会の一員であると言う考え方がもっともっと浸透していかなければ、日本の未来は明るくないかもしれない、と危惧しております。


なんだかまとまりなくなってきましたが、今日はこの辺で。

お読みいただきありがとうございました!


hona

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