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読書日記 2011年3月


 2011年────。
 集英社の文芸誌、月刊『すばる』の「読書日録」というコーナーを3か月間担当した。
 編集部から特にこの本を読めという縛りもなく、自由に本を選び、自由に書いていいとのことだった。
 私はこの年(2011年)の4月号5月号6月号を受け持った。

 ところが3月11日、この5月号の原稿を書いている時、東日本大震災が起きてしまった。

 読みかけの本は崩れた本棚の下敷きとなり、掘り出したところで、それはもはや読みたい本ではなくなっている。
 パソコンの前に貼りついて、ネットで被災状況を確認するのに必死で、とても別の本を選んでいる余裕もない。

 それより食料の確保である。
 それも一歩出遅れて、駆けつけたときにはもう、スーパーもコンビニの棚もすでに、もぬけの殻だ。
 
 余震に怯えながら眠りの浅い日が続き、やっと倒れた本棚を整理する気になったのは、震災から10日余り過ぎたあとのことだった。
 







読書日録2011年3月 


(月刊『すばる』2011年5月号掲載)

 テーブルの上の植木鉢を押さえているのが精一杯だった。       
 激しい横揺れが三分以上は続いたような気がする。
 揺れが静まり、壁や天井を見上げ、ひび割れが起きていないことを確認。
 一まず安堵し椅子に腰かけたが、あっと思い振り向くと隣の部屋の本箱が崩れて書籍が床一面に投げ出されている。
 三月十一日午後二時四十六分、東北関東大震災が発生。
 時折、東京を揺らす大きな余震にビクつきながら、メディアが次々と伝えてくる悲惨な現実を目のあたりにする。
 地震と津波による未曽有の被害と、それに続く原発事故の危機的な状況を、テレビ、ラジオ、ネットで追いかけながら暮らす日々が始まった。

三月某日
 気持ちが高ぶり何も手につかなくなっていたが、とりあえず床に散らばった本の整理を始めた。
 床の上で積ん読本と、すでに読み終えた本がすっかり混ざってしまった。
 この、北杜夫どくとるマンボウ青春記』は未読か既読か、どちらに分類されるだろう。
 栞紐が一九八頁と一九九頁の間に挟まっている。
 記憶が蘇る。
 この本は二人の人物に薦められて読み始めた。
 一人は父で、もう一人は以前の職場の取引先の方だ。
 ところが文体が自分の体質に合わなかったのか、ここまで読んで中断。
 別の本に取りかかってしまったため、それきりになっていた本だ。
 場面は、松本の旧制高校を卒業、仙台の医学生となったマンボウ氏が今まさに文学に目覚めるところである。
 トーマス・マンに心酔、自分も詩人か小説家になるしかないと思い詰め、同居人が寝静まった下宿で大学ノートに文字を書きなぐり始めるマンボウ氏。
 当時のノートから実際に書かれた短文が引用されている。
うそを書くなと嘘を書いているその嘘さ加減。」
「笑ってくれ。笑われているうちは、まだいい」
「今は、錯覚にすら、すがりたい」
「一切への不信が、僕をかえって信仰へと駆りたてる」
 まるでネットのツイッターだ。
 私もライトユーザーだが、フォローしている人の約半数は、優れた論考や鋭い一言をつぶやくタイプの人たち。
 もう半分は、ギャグや謎ポエムで和ませたり笑わせてくれるタイプの人たちなのだが、この数日は深刻なつぶやきでタイムラインは埋め尽くされている。
 久しぶりの謎ポエムに微笑んでしまった。
 その後、マンボウ氏はカストリ雑誌へユーモア小説やコントを投稿し始める。
 酒に酔い痴れたりキャバレーの女性に夢中になったりしながらも、初の長編小説を完成させるのだが、気がつけば最終三一八頁まで読み終えていた。
 これはちゃんと読もうと考え直し、最初の章へ戻ると、そこにはギラギラした太陽と玉音放送、あの終戦の日の光景が映し出されていて慄然としてしまうのだった。

三月某日
 テレビからは、被災した妊婦の感動的な出産シーンが流れてくる。
 ネットを覗くと、救援物資が届かない避難所で餓死している人がいるという不確かな悲劇が語られている。
 余震に揺さぶられ、数多の情報にも翻弄され、何もかもが揺らいでいる。
 今こそ、この本の出番だろうか。
 佐々木俊尚キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』を読む。
 キュレーションとは、元は美術館の学芸員などが作品展示を通して芸術の新たな文脈を生み出す行為を意味する言葉だが、ここでは情報の断片を「収集し、選別し、そこに新たな意味づけを与えて、共有する」技術のことを指している。
 著者は言う。
「事実の真贋をみきわめること」は難しいが「人の信頼度をみきわめること」ならば容易だと。
 現在ではネットのアーカイブを遡れば、その人物の過去の発言や行動履歴は幾らでも検索可能だからだ。
 著者のキュレーションの実践の場でもある公式サイトでは、救援活動中のNPO代表の話として、水があれば被災地で餓死が起きる可能性は低いが、津波で衣類が濡れたため凍死する危険は極めて高く、着替えと燃料の重要性が説かれている。
 私はこの情報を信用しようと思う。


佐々木俊尚キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』は
部屋中探したがどこにまぎれたのか見当たらなかった。

震災から13年たって思うことは
結局「キューレーションの時代」は来なかった、ということだ。
代わりに来たのは、SNSとYouTubeを荒らしまくる
陰謀論者と愛国者たちの地獄のようなパラダイスである。
ゼロ年代のIT知識人たちが夢見た「情報革命」は
すっかり彼らに収奪されてしまった。

そしてやがて来るのは、生成AIが作る人類すら必要としない世界。
陰謀論とウソ歴史を吸収した人工知能がどんな「革命」を起こすのか
案外まともなことをやりそうでそれはそれで怖い気もする。


三月某日
 福島第一原発の事故は依然として注意深く見守られねばならない状況のなかにある。(※注)
 一方、孤立していた被災地とは陸路や通信が繋がり始め、震災被害の全貌が明らかになりつつある。
 曽野綾子貧困の光景』は、著者自らが立ち上げた組織「海外邦人宣教者活動援助後援会」(JOMAS)の貧民救済活動を中心に、発展途上国における貧困の実態を描いたエッセイ集。
 頁を繰るごとに現れる悲惨な〝光景〟に、このタイミングで読み始めたことを後悔したくなる。
 ここには、支援が実を結び、人々から感謝され、やりがいを感じるような分かりやすい物語は存在しない。
 アフリカの荒れ放題の病院に使い捨ての注射器を渡しても、意に反して使い回され、逆にエイズを拡散してしまわないか心配しなければならない。
 ホスピスに霊安室を寄付すれば、次々と運び込まれる遺体を見て、効果的な投資ができて良かったと思うべきか否かを悩まなければならない。
 発展途上国が抱える構造的な貧困と、我が国を襲った自然災害を重ねてみることに意味はないのかもしれない。
 援助を必要とする場所にはただ、そこが世界のどこであろうと、それぞれの事情に即した支援が速やかになされるべきである。
 避難所では、まだ水と情報が不足しているらしい。被災地へラジオを送る活動があると知り、小型ラジオを都内の受付所まで持っていくことにした。
 この本には、ユーモアはあっても気晴らしになる話は一篇も載っていないはずだ。
 はずというのは、実はまだ読み終えていないのだ。
 栞紐を挟んでいったん閉じるが、積ん読本にはしないつもりだ。

※注 初稿で「一進一退を繰り返しながら、ゆっくりと終息へ向かっているように見える」と書いて、担当編集者に修正を求められた。

 あれから13年……原発事故は、まだ終息していない。
 廃炉に向け、ようやく処理水の海洋放出は始まったが、燃料デブリの取り出しについては、未だ調査と工法の検討中で難渋の極みである。



月刊『すばる』前号(2011年4月号)の特集記事
岡本太郎 爆発は永遠だ
芸術家岡本太郎の生誕100年を記念した企画なのだが、
代表作
「太陽の塔」と「明日の神話」で
地球文明の光と影を巨大な作品に結実させた岡本が
震災の前月に特集ページを飾るというこの偶然
これ自体が岡本太郎的な、読者をギョッとさせる現象であった。
同じく前号(2011年4月号)の目次
岡本太郎特集でインタビューを受けたなかに
現代美術家ヤノベケンジの名がある。

放射線防護服を着てチョルノーブィリ(チェルノブイリ)の廃墟を歩く
アトムスーツ・プロジェクト
水爆実験で死の灰を浴びたマグロ漁船・第五福竜丸をモチーフとした
ラッキー・ドラゴン」など
科学技術と現代文明を作品のテーマとするところは
同じく第五福竜丸に触発され
大作「明日の神話」を描いた
岡本太郎と重なる部分が多い。

ヤノベが震災後に制作し被災地福島に設置したパブリックアート
黄色い防護服を着た「サン・チャイルド」は
風評に怯える市民たちから批判を浴び、のちに撤去された。


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