自由に生きる保育士 こども専門家 小西なつき

訪問保育士として沖縄県⇄千葉県にて2拠点活動中。 保育園勤務→海外留学経験→独立しフ… もっとみる

自由に生きる保育士 こども専門家 小西なつき

訪問保育士として沖縄県⇄千葉県にて2拠点活動中。 保育園勤務→海外留学経験→独立しフリーの保育士へ。海外の保育を見て「人は自由でいい」と感じるようになり、ありのままの個性を活かせる一対一の保育を行う⭐️ マルチポテシャライト→保育士、環境保護活動、ハンドメイド、写真撮影etc..

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#6 私の選んだ「保育士」のカタチ

  初めまして! 保育士ベビーシッターの小西なつきです。   2018年に起業し、個人でベビーシッターとして活動中です。   保育士に戻ってくるにはたくさん遠回りしました。 でも、遠回りしただけ、私は保育に真っ直ぐ向き合っています。 保育が恋しい、保育が尊い。 遠回りしなければこの思いは抱けなかったと思います。   ー 私がベビーシッターという道を選んだ理由   ベビーシッターというと保育士とはちょっと違ったイメージかもしれません。 なので私は保育

    • プロフィール

      こんにちは! 訪問保育 IROHA代表保育士小西なつきです♩ 私は大好きな旅をしながら自由気ままに訪問保育士を軸としてマルチ保育士として様々な活動しています。 このページではプロフィールや私のスキルなどをまとめています☺︎ ご依頼やお問い合わせでは下記へお気軽にお問い合わせください! ▼プロフィール・経歴 プロフィール 1986年五黄の寅年生まれ🐯 出身:沖縄県那覇市 在住:千葉県松戸市 趣味:旅・写真撮り・ものづくり・書道・リメイク、デザイン 特技:整理整頓・時間

      • 世界一の海塩【ぬちまーす】

        こんにちは! 保育士ベビーシッターの小西なつきです^^ 今日はみなさんも一度は見かけたことのあるお塩、【ぬちまーす】について記したいと思います! あまりにも有名なぬちまーす。 今やどのスーパーでも見かけるようになりました! なぜぬちまーすが有名になったのかご存知でしょうか? 私はぬちまーすを数年前から愛用しています。 キッカケは私の祖父母が生まれ育った沖縄県の宮城島にぬちまーすの工場(ぬちまーすファクトリー)があったことです。 ぬちまーす自体は知っていたものの、若

        • 「つまらない先生!」と言われ

          少し前のお話でありますが、 私の中で衝撃的だった子どもの言葉を記録に残したいと思います。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ コロナ禍でテレワークのこのご時世。 普段はシッターを使わないご家庭へも内閣府の補助金が出ることもありお伺いする機会が増えた。 普段は保育園に行っている子も、今まで馴染みのなかったシッターさんに毎日のように来てもらうという現状。 そんな中、お伺いしたご家庭での子どもとのお話。 「先生、何持ってきたの?」 彼女はこんな言葉を発っした。    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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        • 諦めが悪いわたし。保育士への夢。
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        • マニアック保育士の学びの沼
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        • 子どもの個性を活かし、輝かせる保育。そして子育て。
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        • 自由でいたかった子どもの頃のわたしの想い
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          早期英語教育は本当に必要なのか?

          こんにちは! 保育士ベビーシッターの小西なつきです^^ 夏の暑さもあっという間に通り過ぎていき、秋の雲も見られるようになりました。暑かった夏が通り過ぎるとなんだか暑さが恋しくなるものです。   「読書の秋」ということで、最近は読書の習慣を見直しています。 日頃から読書は習慣にしていますが、どうしても読んだ本の記憶が薄っぺらで断片的な気がしまして・・ インプットだけでなく、アウトプットも質を高めたいと思ってアウトプットするやり方を変えてみました。新たなことを習慣化し

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          ふと、あの頃の保育士の自分と対峙してみる

          こんばんは! 保育士ベビーシッターの小西なつきです。 9月に入って、コロナで自粛の保育園や幼稚園もあるようですね。 自宅でご家族が在宅のシッターもこのコロナ禍で多くなったように感じます。補助も使えるようになったことでシッターの存在がかなり大きくなったのではないかと思ってます。 今後は働き方もどうなるか・・誰も分からない状況ですが、少しでもシッターという存在が社会の中に浸透していくことを願います。 ___ シッターを始めて4年目となりましたが、随分と働き方改革もできる

          ふと、あの頃の保育士の自分と対峙してみる

          育てたように子は育つ

          こんにちは! 保育士ベビーシッターの小西なつきです。 関東は9月に入るとうだるような暑さから一変、しとしと雨で急に温度も下がりました。その温度差に体がついていきません・・・。 体調には気をつけながら9月も過ごしていきたいですね・・。 雨の日は家で読書をするのが至福の時間だったりします。 今日は相田みつをさんの書を佐々木正美先生が解説した本のご紹介です。 個人的に相田みつをさんの書も大好きですし、佐々木先生の温かな子どもへの眼差しや言葉が大好きで、何度も読み返す一冊

          子どもたちを非行少年にしないためにできること

          こんにちは! 保育士ベビーシッターの小西なつきです。 この本は何回も読んでいますが、読む度に考えさせられ、私たち大人や保育者、教育者が子どもたちにできることを模索させられます。 著者は児童精神科医の宮口幸治先生。 様々な事情を抱える子どもたちと向き合ってきたそうです。 想像にも及ばない壮絶な幼少期を過ごしてきた子どもたちの話を真正面に受け止めてこられたと思うと、このような方が子どものケアをしてくれていることに安堵する思いです。 ※内容についてはネタバレありなので、本

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          愛する甥っ子が自閉症だったお話。

          2021年7月9日。 オーストラリアに住む甥っ子は 「自閉症スペクトラム」と診断を受けた。 "なんで" ではなく、"ようやく" この診断にホッとしたのは 今まで私たち家族はたくさんの苦しみと悲しみを味わったから。  ̄ ̄ ̄ ̄ 彼は小さい時からじっとしてられなかった。 スキンシップが嫌いだった。 大きな音が苦手だった。 人と目を合わせるのが苦手だった。 こだわりが強かった。 とっても不器用だった。 私は保育士である。 彼の「違和感」にいち早く気付いたのは

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          スマホ脳を読んで子どもたちの未来に想いを巡らせてみる

          こんにちは! 保育士ベビーシッターの小西なつきです。 本日は「スマホ脳」という本をアウトプットもかねて書き綴りたいと思います✏️ 先日テレビでこの本の著者が出ていて、とってもタイムリーだったのでシェアさせていただこうと思います! ___ あなたはスマホを使う時間は決めていますか? ご自身の子どもにもスマホを見せる時間を決めていますか? 今やスマホなしの生活は考えられないほどスマホの便利さは何にも変えがたいものです。 私自身もどのくらい1日にスマホを触っているか、

          スマホ脳を読んで子どもたちの未来に想いを巡らせてみる

          #5 人生3度目の保育士休業《沖縄での療養期間を経て》

          留学から帰国してからというもの、すぐ保育士へ戻ったかというとそうではなかった。 復帰には少し遠回りすることとなる。 不本意にも人生で3度目の保育士休業。 この療養期間は歩んできた人生を振り返るいい機会となり、保育士に戻る決意を強くしたのである。 何度だって保育士に戻ってくる保育士バカでありたい。 _______ 日本での療養期間 2017年、12月。 オーストラリアから帰国し、私は沖縄にいた。 沖縄の姉のところへ身を寄せ、オーストラリアで発症した肩甲骨の痛み

          #5 人生3度目の保育士休業《沖縄での療養期間を経て》

          #4 保育士人生にドン底を見た《セラピーとの出会い、そして希望の虹》

          人生のどん底 オーストラリアに滞在中。 留学生活もあとわずか、という期間にどん底に落ちた。 思えばこの時人生で初めて「挫折」というものを味わった。 "わたしはもうだめだ" と人生で初めて感じた瞬間。 そんな挫折からの立ち直りは、今思い返すとほんの一瞬の出来事だった。 ____ 帰国を目前に 人生ドン底の挫折を味わったその頃はまだゴールドコーストでオーペアの家庭にお世話になっていた。 オーナーの勧めもあり、とうとう私は現地の病院を訪れ、受診を開始。 何を隠そ

          #4 保育士人生にドン底を見た《セラピーとの出会い、そして希望の虹》

          #3 保育士の寄り道 《フィリピン留学〜オーストラリアへ》

          保育士人生に寄り道あり 一度諦めた保育士へ再就職したかと思いきや ふと降りてきた感情は ”人生一度きり、やりたいことを「今」やろう” 「留学」という突拍子もない出来事。 導かれるように私の人生は進んでいく。 ___ 保育士から一転、学生へ ワーホリは30歳まで。 私を動かしたのは紛れもなくこの制限。行くぞ!と決めた時は29歳。ギリギリだった。 なぜその制限を知ってたかと言うと、私の姉も同じようにワーホリ制度を利用してオーストラリアへ留学したからである。

          #3 保育士の寄り道 《フィリピン留学〜オーストラリアへ》

          #2 保育士人生、第2章、はじまり。

          第2章のはじまり 一度手放した大好きな保育士という尊い職業。 私にとっては天職と思えるほど魂が「好き!」と訴えてる職業。 今度こそはと再就職。 まさかこの4年後、留学を決意するなんて誰も思ってなかった。本人すらね。 ___ リベンジ再就職 一度保育士を離れていたから、私は保育に対する熱量は更に大きくなっていた。 子どもと離れていたからこそ、子どもと毎日一緒にいられること、そして日々子どもたちの成長を見れることが幸せだった。 もちろん指導は大変だったし、うまく

          #2 保育士人生、第2章、はじまり。

          #1 憧れの保育士。そして理想と現実。

          2007年、春。 私は長年の夢を叶えて「保育士」になったのだ。 でも、その夢は呆気なく2年で終わりを告げた。 好きな仕事を諦めなくてはならない喪失感と理想と現実のギャップに心がぽっかり開いてしまったようだった。 ____ 私が保育士への夢を抱いたのは漠然と小学校高学年だった。 末っ子で自分より小さい子はそばにいなかったのだけれども、遠く離れていたけど沖縄にいる年の離れた従姉妹たちを面倒見てた。 考えてみれば私の母はすごく子どもが好きだった。 どの子にも優しく声

          #1 憧れの保育士。そして理想と現実。

          #7 オージーから学んだ気楽な生き方 -自分らしく生きると決めた瞬間から人生はものすごく気楽 -

          私は型にはめられるのが嫌いだ。 「女性なんだから」 「男性はこうあるべき」 「普通はこうでしょ」 幾度となくこんな言葉に嫌気がさして、違和感も感じて、いやな感情に包まれていた。 特に日本人は型にハメようとする。 そして型にハマっている方が安心、だったりもする。 私はなぜみんな型にハメようとするのか不思議で仕方なかったし、すごく息苦しかった。 そうやって過ごすうちに日本にいること自体が息苦しくて、もどかしくて逃げたくなってたのかもしれないな。 逃げるようにオー

          #7 オージーから学んだ気楽な生き方 -自分らしく生きると決めた瞬間から人生はものすごく気楽 -