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#5 人生3度目の保育士休業《沖縄での療養期間を経て》


留学から帰国してからというもの、すぐ保育士へ戻ったかというとそうではなかった。

復帰には少し遠回りすることとなる。


不本意にも人生で3度目の保育士休業。

この療養期間は歩んできた人生を振り返るいい機会となり、保育士に戻る決意を強くしたのである。


何度だって保育士に戻ってくる保育士バカでありたい。


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日本での療養期間


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2017年、12月。

オーストラリアから帰国し、私は沖縄にいた。


沖縄の姉のところへ身を寄せ、オーストラリアで発症した肩甲骨の痛みと向き合い、日本でも治療を開始することとなったのである。


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私は沖縄で生まれた。育ちは千葉だが、心の安らぎは沖縄にある。

沖縄の自然が大好きだ。

大好きな沖縄の海や木々に囲まれている療養生活は心も穏やかにしてくれ一番の薬となった。



病院を渡り歩く日々


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病院嫌いな私には辛かった病院通いの日々。


それでももう一度日本でも検査をしようと病院を回った。


あるところでは「脊柱管狭窄症」と診断され、別の場所では「胸郭出口症候群」との疑い。


訪れる病院ごとに下される診断名が異なりどの病院も信用できなかった。

強い鎮痛剤を出されても、座薬を入れても痛みは和らぐことはなかった。


直接痛み止めを首に注射したけど効き目はなかった。ただただ首に注射を刺されるという痛い思いをしただけだった。



そんな中訪れた一つの病院は、他での病院での診断を決めつけず、痛みの根本を探ろうと色んな検査をしてくれた。説明も細やかで対応も信頼でき、私はそこでの治療をしようと決めた。


MRIも行い、医師が診断してくれたのは「頸椎椎間板ヘルニア」

MRI画像を見ると私の首は本来の健常の首のカーブとは反対にカーブしていて首に負担がかかりやすいようだった。画像を見て納得できる診断結果だった。

長らく分からなかった痛みの原因がやっと分かり、少しだけホッとできた瞬間だった。


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こうしていよいよ治療に取り掛かることとなった。

この病院では理学療法士がリハビリを行ってくれ、地元では人気の病院だった。担当してくれた理学療法士の方も私の経過を見ながら色んなことを試しながら施術を行ってくれた。

薬をできる限り飲まずに生きてきた人生だったので、なるべく薬は飲みたくないと言う私の意思も汲み取りながら対応してくれたのはとても有り難かった。



働けないことの罪悪感


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治療中はもちろん、働けなかった。こんな体では働けなかった。


毎日付き纏う痛みに加え

「働けない」

「何もできない」

「自分の価値のなさ」

という自己嫌悪の念は拭えなかった。



この時初めて、「働くこと」に対する思いが芽生えた。


「仕事嫌だなー」と思いながら通勤してたことを思い出しては


仕事ができることが有難い

お金をいただけることは有難い

社会貢献することは素晴らしいこと


こんなことに目を向けられた瞬間だった。

「有難い」


働くことに対して当たり前であるとか、やらなきゃいけないという思いで生きてきたが、こんな風に当たり前のことに気付けたのは、私の人生で大きな財産だとなった。



姉の言葉は私を救う


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私は療養中、姉のさりげない一言に救われた。

自分に役割を与えてくれて、私の価値を底上げしてくれた。


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毎日治療に向かい、精神的に少し弱っていたのだろう。

自分が働けないこと、働かずに姉の家にお世話になっていたことが申し訳なくて仕方なかった。

「自分ってなんの価値もないな・・」と嘆くばかりだった。


そんな時、姉は

「何言ってんの?あんたは自宅警備員なんだから立派に仕事してんだよ!」

と言ってくれた。


今考えたら笑ってしまうくらいの一言。

でもあの時の私の心にはいい意味でグサっと刺さった一言だった。あの一言がなかったら私は今もあの日の自分を責めていたかもしれない。


姉の私をさりげなく気遣った言葉が嬉しかった。こんなにいい姉を持って私は心から幸せだと思えた瞬間だった。


姉は仕事をしていたから私は仕事を終えて帰ってくる姉と保育園から帰ってくる甥っ子にご飯を作って待っていた。


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これくらいしかできなかったのだけれど、姉はいつも私に「おいしい、おいしい」「ありがとね、本当助かるよ!」と毎日感謝を伝えてくれた。


姉の気遣いのおかげで私は家にいることに罪悪感を抱かず、自分にもやれることがある、と前向きに過ごすことができた。


大好きな2人の姉の存在はオーストラリアでも日本でも大いに心の支えとなった。

私の人生は姉二人がいなければ完成しないであろう、大切な大切な存在だ。


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千葉の実家へ


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沖縄では2ヶ月ほど滞在して療養し、千葉の実家に戻ることとなった。

劇的にヘルニアによる肩甲骨の痛みが改善したかというとそうではなかったけれど、私のメンタルは随分と回復に向かって行った。


とはいえ、まだまだ働ける自信はなかった。

帰国してからというもの、やはり私のやりたい仕事は「保育」だった。

子どもたちを抱きしめてあげるにはこんな体では到底無理だ。


保育士に早く復帰したい思いと、なかなか良くならない体がもどかしくて精神的にバランスがとれなくて辛かった。


そして働けないことに実家の父母にもとても心配もかけたし、お世話にもなってしまった。帰れる場所があることは有り難い反面、面倒を見てもらうことに対してすごく申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


そして5年ほど連れ添っているパートナーにもたくさん心配をかけてしまうこととなった。

それでも塞ぎがちだった私をよく外に連れ出してくれては何も聞かずに私が不安にならないようにとにかく笑わせてくれた。一人でいるとネガティブな感情にまみれて自分の価値を感じられなかったけれど、彼はそんな私を何も変わらない眼差しで見守ってくれた。そばでずっと支えてくれた。


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思えばヘルニアを発症してから大変な事ばっかりと思っていたけど

私の周りには私のことを心配してくれる人がいる、守ってくれる人がいるという安心感は何にも変えがたいものだった。


そして一番大きな心の変化は、この痛みのおかげで当たり前に感謝できるようになった。


当たり前にいてくれる家族、パートナー、親友

当たり前の存在がどれだけ大切か、有り難いか、この挫折を味わうことがなければ気付けなかったことばかりだった。



やっと見えた希望の光


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千葉に戻って治療を続けていたが、なかなか良くならず苦手な病院通いを続けることに嫌気がさしてきた頃。

「どうせこの痛みは無くならない」という悲観的な感情に行きついてしまった。


苦手な病院に通うことも、医者の言うこともなんの信憑性も感じられず、治療することの意味を見失っていた。



そんな時、パートナーが「ここに行けば絶対良くなるよ」と、ある接骨院を勧めてくれた。


私は治療を諦めていた。どこに行っても良くならないんだからそのへんの接骨院なんか行っても変わらないと心のどこかで感じていた。


パートナーに半ば強引に連れて行かれた接骨院は、完全紹介制の小さな接骨院。彼のご家族の知り合いがやっている接骨院だ。


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良くなるなんて思ってもみなかった。

施術が始まって30分後。


私は大きく呼吸ができていることに気が付いた。私の周りにある空気が私の体の中に一気に取り込まれていく。今までにないほどの感覚に驚きを隠せなかった。

たった一度の施術で体が変わるのを感じ、引き続きこの接骨院へ治療に通うことを決めた。



そして、3回ほど治療に通った頃、体が驚くほど軽くなった。

今まで重りを背負っていたんではないかと思うほどの体の重さがす〜っと抜けていく。足が軽くて自分の足ではないような感覚。治療から帰るときは足が思いの外上がってしまうのが笑ってしまうくらいだった。


病院にいくら通っても良くならなかったのに、接骨院に通い始めてから体が変わっていくのが手にとるように分かった。


私は病院ではなく、医者でもなく、接骨院の先生を信用してもう一度治療に取り組もうと心に決めた。


先生は今までの治療のことはほとんど聞かなかった。ただ目の前の私の体の様子だけを見て、何の先入観も持たずに治療をしてくれた。


加えて先生は治療だけではなく、食事のことも指導してくれた。

それをキッカケに私は体のこと、食事のことを勉強した。治療も続け、食事改善も同時に行い、治療を初めて10キロの減量に成功した。(のちに食生活アドバイザーも取得)


先生のおかげでどんどん良くなっていった私はやっと希望の光が見え、社会復帰をすることができた。


先生なしでは保育士復帰はなかったであろう。

先生には本当に感謝しているし、今でも定期的に体のメンテナンスをしてもらっている。


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やっと、保育士に復帰できる。

遠回りして、やっと。


こんなに嬉しいことはない。

保育士は私の天職だ。


いよいよ、保育士ベビーシッターの誕生。


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色んな人に支えられて歩んでこれた挫折の日々。


私はみんなに恩返しがしたい。社会貢献がしたい。

この肩甲骨の痛みは消えない。それでいい。

周りへの感謝を背負っているのをいつも感じられるのだから。



すべての出来事、すべての人たちへ感謝を。

私は恩返しをするんだ。支えてくれる人たち、そして子どもたちへ。


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