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居場所が無いと悩むあなたへ。


私は、空気が読める人だと思います。
というか、読むことに全神経を使っていたと思います。

出る杭は打たれる。

同調圧力の社会で、目立った行動をすることは、リスクが高いことです。
いじめられるか、相手にすらしてもらえないか。
私のようなカリスマ性も才能も何もない人にとって、自分の居場所を失う行為だと思っていたので、絶対に目立たないよう心掛けていて、自分の意見は主張せず、周りにニコニコと合わせることが落ち着くスタイルでした。

いつからそのように過ごしていたか分からないけれど、気付いた時には自分自身の性格として、このスタイルが定着していました。

一見、誰とでも仲良く出来るような八方美人に見えるかもしれないけれど、
世渡りは上手くはなくて、居場所が無いと悩み苦しんだこともあります。
努力することで自分を認めてあげられたけれど、努力が実らなかったことで、また居場所を失い、心が空っぽになったこともあります。

いろんな経験を経て、やっと自分自身を認められる考え方を身に着けることが出来たと思います。

居場所が無い、居場所が欲しい、そう考えたことがある方に共感してもらえるんじゃないかなと思い、そして今まさにその悩みを抱えている方に、読んでほしいと思って書きました。

協調性って何?

高校生の頃の部活での出来事

高1の頃、「協調性が無さすぎる」
部活のメンバーからそう言われました。

部活の同期は20人。中高一貫校だったので、4年目の仲でした。
決して仲が良いチームではなく、女子の嫌なところを詰め込んだような関係性でした。

ある日なんだか体調が優れず、部活の自主練に遅れて行きました。
練習場所に行くと、19人が既に円になって集まってて、遅れて到着した私がその円の一員になるよう、19人の視線が無言で語りかけました。
座るや否や、19人(のうち意見強めの数人)が、
私を口々に責めました。

「前、部活サボって遊んでたって聞いたよ」
「体調不良って言って仮病なんでしょ」
「そもそも話し合いの時いつも黙っててずるい」

そして最終的に
「協調性が無さすぎるんだよ」
と、この先何年も私の心に残り続ける一言を放ちました。

その出来事をきっかけに、部活を辞めました。

協調性って何?

周りに合わせてきたはず。
嫌われたく無くて、目立ちたくなくて。
私は誰よりも空気を読むことに徹していたはずなのに…。

今までの自分の生き方が否定されたような感覚でした。

そういえば、私は中高の頃、ホルモンバランスが悪く、よく体調を崩していました。
婦人科に通っていて、貧血で部活禁止になることも多く、確かにチームの足を引っ張っていた実感があります。

それでもその時点で部活を辞める選択肢はなくて、続けることが美徳だと思っていた私は、体の不調と付き合いながら、チームに迷惑をかけている後ろめたさもあり、より周囲に同調して過ごしていました。

私の体調不良が仮病に見えたってこと?
遊んでたっていつのこと?見間違えじゃないの?
それだけで、協調性がないって言われるの?

なんだかもう訳が分からず、でも協調性の答えが分からない以上、私はこのチームにいてもみんなの負担になるだけだと気付き、逃げるように部活を辞めました。

顧問からも、担任からも、学年主任からも、
突然部活を辞めたことに関して何度も呼び出されて、
理由を聞かれました。

私自身も戸惑っていたので、沈黙を貫きましたが、
他のメンバーも同様に事情を聞かれていたらしく、
結局先生たちには理由を知られてしまいました。

部活の顧問は、19vs1になった構図に対して「いじめだ」と言い、
19人から謝罪の場を作らせるって言いました。

私はそんなの全く求めてなくて、むしろもう、
そっとしておいてほしいんだよって気持ちでいっぱいで、「私が悪いんで大丈夫です。」と言いました。
19人の中で、2,3人直接謝りに来る子もいて、
「本当は味方だったんだけど、みんなの前では言えなくて...」
って正直に伝えてくれた子もいました。

きっと私が逆の立場なら同じだと思います。
同調圧力の強い環境で、そして私の協調性の無さを責める場で、
その輪を乱す行動を、絶対に出来ないと思います。
その時チームは、それぞれの気持ちはさておき、私を責めるという方向に向かって、同調していました。

過去にも、私以外のメンバー相手に同じことをする部活でした。1人の標的に残りのみんなで一斉に責めること。それを私たちは「ミーティング」と呼んでいました。

ミーティングの中で、一斉に1人を責める構図は確かにいじめのように見えたかもしれないです。

過去に責められた子の1人が、当時、同じクラスで仲良くしてる子でした。
私はもちろん、みんながミーティング中で口々に責める中、自分の意見を言わず、輪を乱すことはせず同調したフリをしました。でも、裏では、その子と一緒に遊んだり、話を聞いたりしていました。
偽善者になりたかったわけではありません。

むしろその子に対しても、部活のメンバーに対しても罪の意識がありました。同調圧力を前に彼女を助けてあげれないこと、そして同調圧力の中で、密かに違う意見を持っていること。隠れキリシタンと言えば大袈裟かもしれないけれど、万が一踏絵でもさせられたら、私はその絵を踏むことは出来なかったと思います。もしそうなったら、私は組織の中でどういう扱いを受けるのかな、と当時はまだ集団から拒絶されることが何よりも怖く、どう振舞ったらよいか分からずにいました。
その苦しさを、自分1人では抱えきれず、結局彼女と普段通り仲良くすることで、苦しさを共有した気分になっていたんだと思います。

その子は、私が標的になった時、1番に謝ってくれて、メールもくれて、ほっとしたのを覚えています。その子はキャプテンでした。

私的に、キャプテンが分かってくれてるなら
それでいいよって思って、そこで気が済んだんです。だから19人みんなからの謝罪なんて不要だし、これ以上この件に関して触れてほしくもなくて、そしてそれと同じくらいその部活とは関わらずに学校生活を送れたらそれで良い。この件は私の中では解決しました。

ただ一つ、協調性がないという不可解なワードが、うまく消化されず、
自分の心に残り続けたまま。

居場所が無い

部活を辞めて、コニュニティーを失った時の話

部活を辞めて半年後、文化祭と体育祭シーズンがやってきました。
私はこの時、「居場所が無い」という実感が湧いてしまいました。
これまで当たり前に文化祭は部活のメンバーと過ごし、クラスの出し物をちょっと手伝ってほぼ部活の方に顔を出していたので、部活を辞めて大きく環境が変化しました。
クラスの出し物は劇だったのですが、私は裏方に回ったので、劇の時間以外はやることがなく、そしてそれ以外の時間やることがなくなってしまったんです。クラスの仲良い子はみんな部活単位で動いていて、一緒に回る子もいなくて、帰宅部の友達は当時いなく、「ひとりぼっち」になりました。下手に動き回ると、あらゆるところに辞めた部活の同期先輩後輩と遭遇することに居心地の悪さも感じ、その文化祭の最中に苦しくて仕方なくて、トイレだったかカウンセリング室だったかに駆け込んで時間を過ごしました。

その1週間後の体育祭も同じでした。
出る種目は決まっていて、それ以外の時間は自由に過ごして良く、みんな部活単位で動いていました。先輩後輩と写真を撮ったり、部活の出し物があったり。

そんな状況に、すごく居心地の悪さを感じました。文化祭の時と違い、体育祭は屋外で開放的な場所だった分、逃げ場が無く、ただ居心地悪いなと思って時間を過ごしてた気がします。
正直あんまり覚えていません。

文化祭、体育祭と怒涛のイベントシーズンが終わり、私の心が完全に疲弊してしまったのだけは分かりました。

体育祭が終わった後から、「学校に行きたくない」という気持ちがだんだん強くなり、ついに登校拒否を起こしました。

2週間学校に行けなかった

母親に、
「もう学校に行きたくない、私の居場所がどこにもなくて辛い。辞めたい。」泣きながらそう伝えました。

そこから2週間学校を休みました。

家族は、私が不登校になると思ったらしいです。
数年後、親の本棚に、ブックカバーのついた「不登校の子供の育て方」みたいなタイトルの本が置いてあったのを見つけました。きっと当時の私を見て、親なりに不安に感じていたのかなと思います。

学校を休んだ2週間、親と約束をしたことは、
授業の時間中はネットを見ないこと、勉強をすること、でした。

とにかく勉強をしました。テストも近かったので、とりあえずいつ戻っても大丈夫なように、勉強をゆっくりしていきました。
そうすると、だんだん、授業受けないと…!という気持ちになりました。

そして2週間学校を休んでみた後、勉強の為に学校に行こうという気持ちが芽生え、私は不登校にならずに済みました。

その頃から私は、自分の心の拠り所を「勉強すること」にシフト出来たんだと思います。学校に、居場所のないことや、居心地の悪さで悩むことが減りました。 
お弁当は、授業と授業の間の休み時間に早弁し、お昼休みは図書室に駆け込むこと。放課後、周囲が部活に行く時間も図書室や近くのカフェに行くこと。とにかく勉強することで、自分の寂しさを埋め合わせることが出来るようになりました。

心の拠点が「勉強」に変わった

自分の意思で行動するように

その頃から、周りに合わせることを徐々にしなくなっていったような気がします。以前は、授業の移動で、仲良い子に合わせて、チャイムギリギリで教室に駆け込むことがよくあったけど、その頃から1人で行動するようになったので、時間に余裕をもって移動出来るようになりました。

仲良い子を置いていったら嫌われるかな?ではなく、時間に余裕をもって行動して授業に集中したいから置いていく。そう考えられるように変化しました。自分の意思を持てるようになったのだと思います。

勉強をすることで成績もグンと伸びました。学年の平均か、それ以下くらいの冴えない成績が、上位20位前後まで上がり、勉強は自分を裏切らないんだなと嬉しくなりました。
志望校の選択肢も広がって、高みを目指すようにもなりました。
とにかく勉強をして、志望大学合格を目標に一直線に努力する日々は、
ここまでのどん底人生を明るく色づけてくれたのです。

結果として大学受験で、私は勉強に裏切られてしまい、志望大学には悉く落ちてしまって、また次のどん底人生がやってくることになるのですが、
それはまた別の話。一旦ここでは話さないでおきます。

それでも「勉強」が、高校生の私を苦しめた「協調性」というパワーワードを乗り越えるきっかけを与えてくれて、自分自身の存在意義を見出してくれました。居場所を探していた私に、居場所を与えてくれました。

他人軸から自分軸へ

他人軸=居場所を与えてくれるのは他人

周りに合わせなきゃ、目立たないようにしなきゃ、という他人軸だった私は、部活という強固な繋がりを失って、他人との繋がりが希薄になってしまい、路頭に迷っていました。
ですが、「勉強」の楽しさに気付いて、とにかく「勉強」のために学校に行き、人生のやりがいをそこに見出せるようになった時、自分の意思を持ち、その意思に従って行動が出来るように変化しました。これが自分軸なのだと思います。

自分軸に変わってから数年経っても、他者との繋がりを持った瞬間や勉強の成果が叶わなかったとき、脆弱な自分軸では居場所を見失ってしまい、苦しむことが何度もありました。

勉強ありきの自分軸の脆弱性

自分軸がまだまだ弱く、他人軸に邪魔された経験で思いつくのは
高2の頃の、修学旅行ボイコット事件。名前の通り、修学旅行を当日行きたくないとごねて欠席して、親にキャンセル料を支払わせてしまったことです。この話は結構ボリュームがあるので、また記事にしたいと思います。
(記事を書いたらリンク貼り付けます。)

他には、高3の頃の、センター試験大コケ事件。
勉強に自分の居場所を見出した私にとって、センター試験は人生をかけた大勝負でしたが、本番緊張しすぎてしまい、頭が真っ白に。
自己採点した後、3日間くらい意気消沈してしまい、動けなくなりました。

あとは大学生の頃の、燃え尽き症候群時代。
個人的には黒歴史にしたいくらいですが、
志望大学に悉く落ちて、何とか受かった大学の、興味もない学部への進学に
不満をずっと抱いていました。
大学の頃、大した努力もせず、目標もないまま、ただ時間とお金を浪費していました。授業も最低限しか行かなかったし、大学の頃の4年間は正直なんのために生きてるのか、本当に分からなかったんです。

結局自分の拠り所が「勉強」にしか見いだせていなかったため、自分軸が脆弱だったんだと思います。勉強の為に単独行動をする、勉強のために○○する、といったように勉強ありきで芽生えた自我だったために、屈強な他者からの刺激や、勉強に裏切られてしまったとき、また居場所を失った感覚を取り戻してしまうのでした。

居場所を求めない

他者から必要とされていないと感じた経験

今私は24歳で、ここまでいろんな経験をしました。
今日この記事で書いた出来事だけでなく、就活で最終面接で10回近く連続で落っこちたり、会社を2回短期離職したり、恋愛もロクに続けられなかったり。その度、その出来事1つ1つに真剣に向かい合いました。

辛いことが続くと、人生どん底だ~って思い、死ぬんじゃないかってほど落ち込んできました。私は周りに必要とされていないのかな、そう考える癖があることに気付きました。

そう考えることは紛れもなく他人軸。必要とされるかどうかなんて他人の意思であり、私がコントロールできる範疇ではないのに、そこに対して落ち込む私は人生の時間を無駄にしているのだと思います。
私自身が私の人生を必要だと思えているかどうかが重要で、
私は少なくとも自分を必要としています。

自分が自分を必要としているという事実

悲しみや苦しみを感じるのと同じように、楽しい、美味しい、面白い、などといったポジティブな感情を抱くのも私自身です。私には生きていてもらわないと困ります。
だから、就活の最終面接で落ち続けても、お金のために就職したいと思えたし、短期離職を繰り返しても今は堂々と生きるし、今までの恋愛がうまくいかなかったのなら、うまくいくまで新しい出会いを求めて行動をすればよいし。
とにかく自分自身が、またこれからポジティブな感情で得られる幸福を味わうために、自分を必要としています。
それが本当の自分軸で生きることなのかなって思います。
これまで自分軸の主軸だった勉強も、自分軸を得る手段の1つ。

居場所は常に自分自身の心の中にある

居場所をどこかに求めることは辞めました。居場所は常に自分の心の中にあります。自分自身が生きてる限り、その場所は決して消えることがありません。
だから自分が自分を認めてあげることで自分の居場所を強く認識出来るのだと思います。

まだまだ私も、探りながら生きています。
今ここで気付いたことが、正解とは思っていません。

24年間生きた現時点での知見ですが、
もし今自分の居場所を見失っている人や、アイデンティティに苦しんでいる人に、少しでもヒントを届けられたらいいなと思って、書きました。

拙い文章ですが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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