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ケルト・アイリッシュミュージックのルーツを辿る旅 ~ Thin Lizzyの伝説その4 「ジョン・サイクスというギタリストのもたらした奇跡」

Thin Lizzy – 「Still In Love With You」


ヘヴィ・メタルの復権

1980年前夜。

英国ロンドンのアンダーグランドシーンには、地上で隆盛を誇るニューウェーブに反旗を翻すべく、より屈強で激しく、ハードなロックンロールを志向する面々が多数、巣くっていました。

彼らがモチーフとした音楽の原型は、この時期オールドウェーブと蔑まされていていた古き良きロックンロールだったんです。

やがて地下に充満したその熱量が、飽和して、沸点を越える時期が到来します。

この時、瞬間風速的に猛烈な勢いで吹いた風の事を「ニューウェーブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル」と呼びます(略称:NWOBHM)

ニューウェーブへのアンチテーゼとして、英国メタルのニューウェーブと名付けているあたりが痛快であります。

Praying Mantis - 「Captured City」

Iron Maiden - 「Killers」

これにより古き良きロックバンドも復活を果たしていくわけですが、Thin Lizzyもまたその影響を受けておりました。

ジョン・サイクスの登場

ジョン・サイクスというギタリストがいます。

性格はやや面倒なものがあったらしいんですが、彼がハードロック、ヘヴィメタルという音楽の歴史に残した功績は少なからぬものがあります。

功績として最も大きいのはホワイトスネイクというバンド時代。ホワイトスネイクの世界制覇の大部分は彼の貢献によるものです。

ホワイトスネイクは、もともと古き良きブルージーな英国ロックを演奏しており、マニアにはたまらない響きを持っていました。ツインギターのハーモニーも素晴らしいし、なによりもボーカルのデイヴィッド・カヴァデールの深くて、味わい深い声にピッタリな音楽嗜好だったんです。

「Fool For Your Loving」

「Ain't No Love in the Heart of the City」

ところが、、、80年代のバブリーなムードに感化されたのか、路線をゴージャスなハードロックに変更し始めます。

その兆しは、1984年。

まずレコードレーベルを変更し、「Slide it in」というアルバムを発表し、これが大成功。

このアルバムは、将来のゴージャス路線突入を感じさせつつも、過去の路線の楽曲を最上級の英国ブレンドで仕上げた極上のブリティッシュハードロックでした。

「Slide It In」

「Love Ain't No Stranger」

英国風味あり、80年代風のきらびやかあり、それらが絶妙な配合でブレンドされていました。

同じメンバーで次作制作に入れば、英国風味が残ってよかったのに、、。

なんと、この成功に気を良くしたのか、メンバーを入れ替え、ゴージャスな音に転換していきます。

ジョン・サイクスの加入

そしてこのゴージャス路線の作曲の要というべき人物がここで登場。それがジョン・サイクス。彼の作曲面での貢献が音としてのホワイトスネイクを最上級に高めることになりました。

彼が作曲の主体となって制作されたのが、彼らの最大のヒット作「ホワイトスネイク(邦題:サーペンス・アルバス)」です。

このアルバム発表後、何を想ったか、メンバー全員を解雇するという暴挙にでます(ジョン・サイクスも含まれる)。

その後、集められたメンバーは、アメリカンロックなどが得意な面々で、残念ながら英国流の哀愁の音を出していなかった面々。

ただ、楽曲は、ほぼすべてジョン・サイクスが産み落としていたので、メンバーは変われどもアルバムの質は保たれていたのが救い。

今にいたる、ホワイトスネイク大成功の道は、ここで産み落とされたのです。

「Still of the Night」

「Here I Go Again」

PVの変遷からも、ゴージャスさがわかりますでしょうか・・・

その後のホワイトスネイク

たぶん、ジョン・サイクスは才能をねたまれたのか、、、性格の不一致か。。。彼がいなくなったホワイトスネイクからは、楽曲の質が消えていき、、、見た目のゴージャスさが高まっていき。。

成功は収めたものの、これ以降のライブで演奏されるのは、このジョン在籍時期の楽曲ばかりですし、ジョン脱退以降のアルバムは、さほど面白いものではありません。。。

とたんに楽曲の質が落ちた。。

さて、そんなホワイトスネイクというバンドとハードロックの歴史を変えた一人ジョン・サイクスが、なんと1980年を迎えるころ、NWOBHMのムーブメントの中、Thin Lizzyに加入することになります。

メタリックな音楽性に変わっていったThin Lizzy

1983年、NWOBHMが一段落し、それがアメリカに飛び火し、クワイエットライオットの「Cum On Feel the Nose」が大ヒットを飛ばす中、ジョン・サイクスの加入したThin Lizzyのラストアルバムが発表されました。

この頃のハードロック界についてはこちらに以前まとめております。

1983年というのが面白いですよね。1984年にヴァンヘイレンの「ジャンプ」が発売、前年のマイケル・ジャクソンの「スリラー」と併せて世界を席巻していた時期なんですよね。

そんな時期に、発売されたラストアルバム。このアルバムは、NWOBHM直結のメタリックな色彩に彩られていました。

メタリック=ヘヴィメタルとは何ぞや?といえば、過去まとめているように以下の要素がピックアップされます。

1、 楽曲の構成、劇的なイントロからの、スピードチューン or ドラマチックな楽曲への流れ
2、複雑な構成と長尺の楽曲
3、ギター中心。ツインギターのハーモニー。
4、湿り気のある、抒情的な旋律、メロディ
5、メタリックな響き
6、ヘヴィな響き

ジョン・サイクスがThin Lizzyに持ち込んだのは、上記のうち、1と5でしょうか。

では、それぞれ曲を見ていくと

「Cold Sweat」
ありそうでなかった、スピードチューン。ギターソロも出だしもすばらしい。

「The Holy War」
ツインリードの響きがすばらしい

そう、こういった要素を加味することで、一段とパワーアップしたThin Lizzyはこのまま活動を続けても、傑作を産み落とすことができたと思います。

しかし、時代の要請か、フィルの体調問題か、、解散の道を選択していくことになりました。

その後のフィルとゲイリー

フィルの永眠

その後、フィルはジョン・サイクスとライブをしたり(ブートでさがせば見つかるかもしれません)、グランドスラムというバンドを結成したり、ゲイリーと再会し「Out In the Fields」という傑作を生み出していきましたが、若気の至りからか、体調が急変、1986年にこの世を去ります。


ゲイリーのブルーズ転向

ゲイリー・ムーアはハードロックの世界でも80年代に大成功をおさめます。泣きのギターがふんだんで、個性的な楽曲は多くのファンを虜にしていきました。

そして1987年、祖国への回帰、原点回帰を果たします。Thin Lizzyがそうであったように、祖国の音楽をアルバムに取り入れていきます。

「Over the Hills and Far Away」

「Wild Frontier」

この原点回帰でハードロックに一区切り、、、という意味合いがあったのかどうなのか。ゲイリーはこの路線の後、すぐにブルーズへと転向。数年前に亡くなるまで、この路線を追求していました。

もともとブルーズという音楽自体、ものすごく奥行きがあるわけでもないですし、楽曲バリエーションがあるわけでもないので、いかにゲイリーといえども、ブルーズ転向初期のアルバム以外は、やや、、、退屈だったのは否めません。

「Still Got the Blues」
まだまだブルーズに捉えられているというような意味合いの名曲。なんと、エリック・クラプトンもカバー

最後に

いかがでしたでしょうか?
アイルランドの生んだ英雄二人と、彼らが出会いと別れを繰り返したThin Lizzyというバンドの歴史を振り返ってみました。

彼らの共演作が羽生くんの演技の音楽として採用されるとは思わなかった。ファンとしてはうれしい事実でした!よい曲は時代を越えますね。

では、この記事最後に、永遠の愛を誓った名曲を。

Thin Lizzy – 「Still In Love With You」

今回もお読みいただきありがとうございました!

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