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「ストレスフリー」な社会はくるか? 〜 森高千里、miwaの楽曲に見る時代性 〜 80・90年代日本音楽史「拾遺」Vol.6

ストレスという言葉を最初に聞いたのはいつだったろうか。

一番古い記憶は、そう、たしか、、。
毎週日曜朝に放映していた子供向け実写番組。それは正義のロボットが悪を倒す勧善懲悪もので、悪の使いの名が「ストレス」だった。

彼は悪のパワーで人類にストレスを蔓延させようとしていた。

ストレス、、?

小学生だった自分には、まだ理解できず、両親に尋ねても明確な回答はなかったように記憶している。

おそらく言葉自体が、まだ現代用語の基礎知識足らなかったんだろう。

あれは1980年代の終わり頃。
バブル真っ只中で、「24時間戦えますか」とか「5時から男」という言葉が流行り、「東京ラブストーリー」というドラマでは、溌溂と仕事し、プライベートでは恋愛に悩む当時のサラリーマン像が描かれていた。そんな時代。

セクハラという言葉が出てくるのは、もう数年先で、パワハラなんて概念は無く、マイホーム幻想に取り憑かれていたであろう当時のサラリーマンの事を思えば、悲しみの感情すら湧いてくる。

やがてストレスという言葉が一般に広まって行く。社会問題から、人の心の問題にステージが移っていく。「ストレス」という歌を森高千里さんが歌っていた時を「現代用語の基礎知識足るようになったとき」、つまり一般認知のタイミングと捉えても良いだろう。

「ザ・ストレス」森高千里
ストレスが女をダメにする、、、などコミカルな映像の割には、深刻な歌詞。。

ここで、視点を変えてみると、サラリーマンだけではなく、子供世代にも時代の波は襲いかかっていたことに気づく。受験戦争、詰め込み教育、その世界からの卒業と言わんばかりに発生した非行や、“理由なき”反抗。

「卒業」尾崎豊

その事への極度の反省からか、ゆとり教育がスタート。やがて、ゆとり教育世代が社会人になり、80年代モーレツ社員との意識格差が問題になり。。21世紀も10数年進んで、ついにパワハラが現代用語の基礎知識認定されるに至るわけです。

華やかに見える80年代には、こんな側面があり、それが未来に影響を与えているわけです。

一億総中流社会の実現の立証の前に、
一億総ストレスフル社会がやってきて不文律的に立証されている。

ストレス社会への是正活動の一環として、マインドフルネスやポジティブ心理学の様な、より自己の内面に解決策を見出す方策が生まれ、メンタル、マインド、などと言う言葉が今度は現代用語の基礎知識に表れ、一般的になっていく。

さて、つらつらと書いてきたが、時代を経て、働き方改善や各種人間関係の処方箋、マインドフルネスが流行ろうとも、日常社会ではさまざまな事が起きていて、ストレスという言葉は消えずに残っている。

根拠は無いが、単語として言語化され、現代用語の基礎知識化されたが故に、日常社会に発生するある種の感覚をストレスと呼ぶことは、この先なくならないのだろう。

ストレスという言葉からフリーになることはないのだろう。

それは、あの番組の悪の使い「ストレス」が奏功したということか。一時間弱で正義の使者に倒されたはずなのだが。

、、と、なんとなくこの記事のオチが無いことが、若干のストレスになっている。。

「ストレスフリー」miwa
ストレスは、もはや日常生活に入り込んで、笑い飛ばす対象と化している。はっちゃけて吹き飛ばす対象物になっている。




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