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戦争映画としてのゴジラ ~ 「ゴジラ-1.0」(日本映画)

戦争映画としてのゴジラ

ゴジラ-1.0は、従来のゴジラに比べて、モンスターと人類の戦いや破壊は「それなり」の水準にとどめ(といっても見応えは他のシリーズに勝っていると思います)、ストーリー性に比重を置いています。

この作品のストーリーについて言うならば、この作品では、戦争から戦後復興までを、日本人が頭に思い描く歴史そのままに描いています。

戦争末期、勝ち目のない戦いに向かわざるを得なくなった現場のやるせなさ。戦後、破壊されつくした街からの復興の芽生え。おそらくその渦中で発生していたであろう出来事たち(孤児など)。復興とそのシンボルとしての銀座および日劇。

このイメージは、多くの日本人(今となっては40代以降の日本人とくくってもよいかもしれませんが)には共通のものなのではないでしょうか。

ここまでの場面で、ゴジラは戦争の狂気の具現化のようなものとして冒頭に登場していますが、映画としては怪獣映画の雰囲気はありません。

戦後復興の映画を見ている印象です。

二度目の破壊。-1.0へ。

復興で、輝かしいミライがようやく見えてきた。と思ったところでゴジラが登場。日本は二度目の破壊に見舞われます。それは圧倒的な破壊。人類はなすすべもなく、たたずむことしかできません。災厄が上陸し、去っていくその姿を、見ているだけしかできません。

これは二度目の喪失といってもよく、実際、主人公は大いなる喪失に見舞われますし、日本人もまた、多くのものを失ってしまいます。

戦争で状況が-1.0になった。復興してそれが0に戻った。しかし、さらに-1.0に逆戻りになってしまった。そんな世界、そんな状況が、大画面の中に、申し分なく描かれていきます。

ゴジラがゴジラらしく暴れるのはこの場面のみですが、この迫力、音の明確さ、視聴者に与える影響は、他のゴジラシリーズに優っていると感じました。

そして、0地点へ

ゼロ地点。マイナスがプラスに転じて0になるという意味で、ここから復興が見えてくるという意味合いもあり、大いなる災厄が消え去ったという意味でもあり、更には、人々の心の復興がなされていくという意味でもある、そんな風に感じます。

0地点に達するには、いったん目盛りが「-」に触れる必要がある。そういう意味でも、将来への0地点を示すには、大いなる災厄が必要だったということでしょうか。

戦争という状況と、ゴジラという状況

この作品は、戦争という状況と、ゴジラという状況の二つを示したものと言えます。そして、その戦争とゴジラが一体となった時、露になったのは、初動では人類がいかにそれらに対して無力かということであり、しかしながら人類はそれらを乗り越えることができるということでした。

この作品では、戦争が起き、戦後10数年でゴジラによる災厄が発生していましたが、この間隔を伸ばしてみると。それは現代に通ずるものなのかもしれません。

エンディング、まるでゴジラがそこまで迫っているようなリアルな音を聞きながら、この映画のテーマについて考えながら映画館を後にしたのでした。


■個人的にシリーズ最大の傑作と思っている1984年ゴジラの記事はこちら



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