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「教員、もう辞めたい…」「1年で転職する!」初任者3ヵ月でそう思った僕が、たった1つマインド変えただけで感謝されまくって10年目迎えた話


1.【事件①】
「教員、もう辞めたい…」採用1年目の7月。子供のことが怖くなったレター




私が教員採用1年目。夏休み前。
子供だけでなく、教員も。

みんながウキウキしだしてる、
7月あたまの事件でした。


4校時が終わっての給食準備時間。

丸付けのため、29人分の宿題ノートを
ザザッと見ていた僕は、はじめ
何が起こってるのかよく分かりませんでした。

クラス児童Aの宿題ノートに、
乱雑に書かれた私への誹謗中傷の数々。。。

『コロスケ、調子乗ってんな』
『なに自分が好かれてると思ってんの?』
『ウゼーw アイツ◯◯のこと好きなんじゃないの??』
『◯◯のことだけいつも褒めてるし、キモイ。〇〇カワイそーww』

冒頭の言葉に加え、目についたものだけでも
こんな感じ。

B5ノートがびっしり埋まるぐらい
書かれてましたが、そのときの私には
とてもそれ以上は直視できませんでした…

(ちなみに、自分より圧倒的に年下からの呼び捨てって、それだけでかなりダメージくるんですね。。。このとき初めて知りましたw)


「…ああ、、なるほどー…」

多分ですが、私の学級の児童Aは
友達と一緒に宿題をしながら

担任である私の悪口で盛り上がり、
その日の宿題ノートに記入。

そのとき記入しまくった悪口の存在を忘れて(?)、そのまま提出してしまった模様…


いや、陰口ならもっとバレないように
してくれよ。。。
コレ、このさきどう接すれば良いんだ…

当然、「◯ね」の◯部分はしっかりと
強めのなぞり書きがしてありましたw

(ん、…てことは、見せたかったのか…?)


しかも、Aはちょっと内気なおとなしめの子で

よっしゃ!仲の良い楽しいクラスつくったる!」と燃える初任者だった僕としては

むしろAがクラスに溶け込めるよう
「ちょっと気にかけてやってた」
ぐらいの印象。

…え、おれコイツにここまで言われなアカンの?


軽く放心状態になった私でしたが
何とか気持ちを切り替え

「…今からでも大丈夫。ここまで言われる理由は全く分からんが、とにかくAから事情を聞いて、信頼関係の修復に努めなくては…!」

そこから、できるだけ冷静にAを呼び
他の子に配慮するため、ベランダに出て
傾聴に徹しました。

が、なにを聞いてもAは黙ったまま。
まさに「お話にならない」状態。

このとき私は察しました。

Aの行動には、何かしら理由がある
そして友達と悪口を書いてる以上、
Aには賛同する仲間が複数いる。

理由を話してもらえなくても、
今ここで謝らなければ

Aとの関係性が終わる = 学級が終わる


本能でそう感じた私。
そこからは、Aに対しひたすら説得 & 謝罪。


「先生が何をしてしまったか、話してくれないかい?」

「…まあ、言いたくないよね。すまない。それだけ、先生がAさんを傷つけることをしてしまった、もしくは言ってしまったんだよな…?」

「楽しいクラスにしたい!と言っておきながら、Aさんにイヤな思いをさせてしまって、本当に申し訳ない。ごめんね」

いくら話しても、無言のA。

いや、もう、、、、

ムっっズっっっっっっ!!!!!

え、小学生の高学年ってこんなにムズいの??

1回も対応ミスれないの??

ここまできたらもう、ぶっちゃけ

メンドクサっっっっっ!!!!!


自分の無能さを棚に上げ、
勝手ながら私は思ってしまいました。

子供への対応って、実は大人以上にムズカシイ

そんな「プロ意識ゼロ」カス担任の気持ちを
見抜いたのか、さいごまでAは無言のまま
離れていきました。

とはいえ、29人学級。このことを
引きずっていては、学級が回らない。

気持ちを切り替え、なんとか6校時まで
乗り切り、全員を帰しました。



誰もいない教室で、テストの採点をしながらも全くペンが進まない私。
今日あったことをボーッっと振り返りながら

あそこまで言えた俺エライ!!!
やってしまったことは、もう仕方ない。
明日からまた頑張るぞ!!


っと気持ちを奮い立たせた放課後
すぐ次の事件は起こりました。

2.【事件②】
保護者ってナニ様なん?学校って、高級レストランなんか??

『コロスケ先生、Aさんの保護者から、お電話です』

なんだよ、、、 教室3階だから、
事務室とおいんだよな…

とは思いつつも事件直後だったため、
内心かなり不安・・・

軽くゼハゼハしながら1階に降り、
事務室の電話をとった私に
Aの保護者から、興奮気味の第一声。

『先生、うちのAが明日から学校に行きたいくないと言っています。』

『今日の先生の対応は、有り得ない。教育委員会に報告させてもらいます。』


・・・え?


・・・なんで?  ていうか、なにが?



全く意味が分からんまま受け答えし、
とにかく謝り、事情を教えてくれるよう
ひたすら説得。


向こうはかなり興奮状態で、私だって衝撃すぎて軽くパニック状態。

どうにか、話を自分なりに整理してみると

・Aが学校から帰るなり、泣いて親に相談
・話を聞くに、担任が自分だけを怒った
(理由は不明)とのこと
・他の友だちも一緒にやったのに、それは不問
・今は「差別された」ということで、極度の
 不安状態にある

ということを主張している模様。

そのうえで、おそらく我が子の言葉を全力で
信じ切り、それをもとに「教育委員会へ報告」するという。


なるほど・・・


どこから突っ込んでいいのか分からん…笑

当然、私はAのことを叱ってなどいなく、
むしろ

「コイツ、どんなことでキレるか分からんから
なるべく当たり障りのないように接しよう…」

て感じで傾聴に徹したつもりでした。

念には念を入れて、最後に
「先生が悪かったね」と、大人の対応(したつもり)。

それを極限まで歪められ、その歪めた話を、
大の大人が確認もせず
子どもの話を全力で信じている。

かつ「教育委員会」という、教員の僕(1年目でしたが)ですらよく分かってない
ナゾの組織に電話しようとしている。。。

保護者のエネルギーってすげぇ…

とにかく、信じてもらえなくても
事実は事実として説明せねば…

直感でそう感じた私は、
ことの経緯を細かく説明。


たぶん、途中である程度、我が子の行いを
察した保護者は

「…とにかく、保護者としては、そんな勘違いさせる指導をするような学校には、安心して子どもを預けられません!

「明日から、うちの子は休ませますから!」

とのこと。

その日の電話は終了。

全く納得はできなかったけど、ひとまず再度
自分の非(?)を詫びて電話を切った私。


電話をおいた後、事務室中の職員が私の
電話応対に注目していたことは
ハッキリ覚えてます笑


このとき、私はなんとなく悟りました。

保護者は、学校という組織に対して

我が子を預けてやってる

みたいな感覚があるんだ、と。。。


3.【事件③】
いや僕の話、聞いてます…? 管理職のアナタは一体何を守ってるんですか…?

その後、すぐに学年主任 → 管理職に相談。

話をきいた校長は、私へこう一言。

「えっ… マズイね… すぐもう一度電話して、改めて謝罪しなさい。」


いや、なんでやねん!笑

俺は傷つくこと書かれて、それに対して
本人から話を聞いただけなのに、
なんで俺が再謝罪やねん…?

ていうかそもそも、そんな取るに足らない話で
なぜそこまで保護者に尽くす必要がある??


・Aに対し、私は傾聴に徹していたこと
・保護者も勘違いしたことは(一応)認めたこと
・数回にわたって、自分に非がありそうなことは謝ったこと

は、しっかりと伝えた。
そのうえで『再謝罪』かよ!?

アンタ、児童とも保護者とも、
ふだん接点ほぼゼロなくせに
いったい何を恐れてるんだ??

しかも「再謝罪しなさい」と命じておきながら
自分は間に入ってくれないのかよ??

例えばですよ。こういう状況 ↓ なら、
校長が何度謝罪してでも「A & 保護者」と
良い感じでやっていきたい気持ちは
分かります。。。


・毎日Aに対して授業をする、学級経営をする

・善い行いに対しては褒めたりするし、
 時には叱ったりもする

・泣いてるときには「どうした?」と
 優しく声をかける

・朝「おはよう!」と元気にあいさつしても
うつむいて無視されたり、それに対してかなりイラッとするも「…あいさつは、人として大切な礼儀だから、眠いのは分かるけどちゃんとやろうな…?」とニコッと笑って、人としての道を教えてやったりする

・そのあと「…あの子が朝元気なかったのは、なんでだろう…?朝食食べてないのかな?それとも、登校前に家族とケンカした?」「…ははあ、あそこの家庭は、兄ちゃんとあんまり仲良くないからな…」「子供だから、不機嫌で登校も、仕方ないか」と考えてやる

・「イラッとした気持ちをこのまま学級に持ち込んだら、他の子が可哀想だ。教室入る前に、切り替えなきゃ」と廊下歩きながら誰もいないのを確認して『ニッッコオーーーー^'▽,^』と、ムリヤリ笑顔つくって顔を緩めてから教室入って、A以外の子供の学校生活に配慮する


そういう日々の関わりがあるならば、
校長としても今回の事件は、なんとしても
原因を突き止めたい。

そのために再度謝罪して、こうなった原因を
探りたい。
保護者ともいい関係を作っていきたい。

そういうことなら、分かるんですね。

しかし校長は、そういうAとの面識、
全く無い。ゼロ。

そんなお前が、保護者のいったい
何を怖がる??

しかも私の日頃の学級指導の様子や、Aとの
これまでの関係性については、全くの
ノータッチ。
何が原因かを探ったうえで対応しよう!
みたいな前向きな姿勢は感じられない。

「保護者が怒ってる」「委員会に報告する」
というワードにのみ反応し、すぐに
「とにかく謝罪」一択という姿勢。


最悪、改めて電話し謝罪するにしても、
中立な立場の校長が間に入ってくれたほうが、
関係性はこじれなくて済む。

それなのに、自分は全く介入せず
なぜまた重ねての謝罪を要求する??


それ以来、クラスでなにか不穏な動きが
あれば、すぐに主任や先輩に相談するように
なりました。

が、

返ってくるのは
「そうそう、子どもへの対応は気をつけなきゃな」
「今どきの子供は、打たれ弱くなった。」
「俺の若いときは、もっと家庭も協力的で…」

みたいな話ばっかりで、
一向に解決策が提示されないw


「けっきょく、そういった状況も含めて楽しんだモン勝ちよ!」

みたいな話を永遠に聞かされ続けました。


問題まったく解決せず…

4.『…えっ、1年目なのにもう辞めたいって…?初任者でしょ?』と思われたくなくて言えなかったホントのホンネ


・・・あっ

すみません。

昔のことを語ってたら熱くなりすぎて
自己紹介がすっかり遅くなってしまいました。

コロスケと申します。

𝕏では『戦略せんせーコロスケ』
というアカウント名で発信してます。

これまで特別支援、小学校と勤務し
これまで15年以上教育に携わってきました。

が、変わらない現場と
社会の学校批判の風潮に嫌気が差して退職。

現在は実家のある田舎(日本一の◯がある県)に戻って、副業可能な臨時講師として勤務する傍ら、WEB関連の仕事をしつつ、
現在独立を目指している自由人です。笑

こちらもちょっと見ていただければ、現役時代どれだけ頑張ってきたか察していただけるはず…↓


自宅から少し車を走らせると、こんな感じ


「良い先生になるぞ!」と、キラキラ教員
MAXだった私でしたが、1年目の7月には、
すっかり

「もう、教員辞めたい…」

モードになってました。

きっかけは、先ほどの【3つの事件】です。

たぶんそれだけではないですが、
私の価値観は以下のように変わった
(ていうか、気づいちゃった)んですね。

①私は、子どもがあんまり好きじゃない
 (好きじゃなくなった)

②保護者がナゾに調子にのって
 教員/学校を下に見てくるのがイヤだ

③同僚や管理職は、まったく守ってくれないし
 信用できない


もちろんすべての児童、保護者、教員が
そうだとは思ってません。

でも、4月に初めて学級をもった初任者の私。

そこからの3ヶ月間、いろんな場面で
「教員の仕事って、思ってたんと違うわ…」
に直面する中で、うっすら

「もう辞めたい」願望を感じていた私。

ただ、職場の人に
「えっ、もう辞めるの??」と

思われるのが怖くて
相談なんか出来ませんでした。

一度、家族に
「…教員辞めるのって、もったいないかな…?」

と、恐る恐る聞いてみたところ、あっさり

「そんなの、もったいないに決まってるでしょ!」

と1秒で切り捨てられてしまいました。
まあ、当たり前ですが・・・

それでも、辞めたい想いは
今回の事件により

急速に膨らんでしまったんだと思います。


当然、この事件はすべて
僕の実力/経験と、人望のなさが原因でした。

そこはさすがに、痛いほど分かってます。

とはいえ、経験を積むまでは
自分で学ぶしかありません。

当時の私は、解決策を「ジュンク堂」
求めました。
私の住む地域で一番大きな書店。

キミなら、俺の問題を
解決してくれるはずだ・・・

しかし、ジュンク堂の教育コーナーには

「子供が苦手でも、教師やっていく本」

なんて、どこにも置かれてない。


ぶっちゃけ私にとっては、

子供大好き🧑‍🏫
子供は素直!未来にあふれてる
👩‍🏫
子供のためにも働き方見直そ!
👨‍🏫

みたいなキラキラ教員が書いたお話は

キレイ事すぎるように感じ、当時の
私にはあまり受け入れられなかったです。

私は子供が苦手。

子供の未来よりぶっちゃけ
自分の現実の方が大切だったんです・・・
(…キラキラさんの前では絶対言えないが…)

それでも、授業法とかはたしかに
勉強にはなりました、、、


しかし今考えると、当時の私にとって
最も大きな問題は

・隣は良い感じなのに、自分の学級がそうでないのは、何が原因なのか?

・教育上、正しいことをしてるはずなのに、教師と児童の関係がギスギスしてるのはなぜか?(時には注意するのが必要じゃないの?)

・なぜ、保護者は学校での我が子の様子と、担任の想いを分かってくれないのか?

1日生活するだけで次々と出てくる、
そんな細かい問いに対して

「正しい情報」もしくは、子ども嫌いな自分にとって「適切な情報」
教えてくれる環境がないことでした。
(同じ悩み持ってる人って、いるのだろうか…?)

周りの先輩や同僚に相談しても、
解決策を示してくれるというよりは

けっきょく自分のしたい話やグチにつなげるだけで、
ただ時間を奪われるだけ。

助けてもらいたかったのに、先輩のグチに付き合ってるうち
気がつけば窓の外は真っ暗…

『うわ、もう18時30分かよ…』 
『主任のダンナが子育てに参加しない話が聞きたかったわけじゃないんだ…』
『てか、明日の国語と算数の教材研究まだやってねぇし…』

そういうときの絶望感は、一言では言い表せないものでした…



ネットやSNSに助けをもとめた時期もありました。

しかし、SNSやネットは、グチを吐き出せる環境ではあるけど
目の前の問題を解決することにはほとんど繋がらない。

『ああ、、、 みんな俺と同じ気持ちなんだ…』
『えぇ… こんなムカつく保護者いるんだ、あたま◯かしいやろ…』
『キッツさすがにこれは、、、 いくらか俺の学級のほうがマシか…?』

とは感じても、そこから

「よっしゃ!明日から、また頑張ろう!」

とは、さすがにならない笑

むしろ、教員という職業を続けていくことに対して、
なんとも言えない不安がひろがっていくばかりでした。

本音を言えば、、、、    




                 辞めたい

でも、、、   辞められるわけない。


なぜなら、当時自分には結婚を前提に
付き合っている彼女がいたし
相手のご両親とも会っている。

自分の両親も合わせて、
不安な思いをさせたくない。

そもそも、教員になるために大学を中退し、
途中編入してまで免許を取った。

当然、お金は親に頭を下げ
出していただいた。
県外大学だったため、その間の生活費も・・・

かなり苦しい思いをして、
やっとの思いで採用試験にも合格した。

これで辞めてしまったら、
これまでの苦労は、一体どうなるんだ。。。

そして、ホントのホントにぶっちゃけると、、、

私は、怖かったんです。今さら、『教師』以外の仕事が選べない、何にも出来ない自分のまま、
社会に出るのが怖かった。

シンプルに、学生時代は教員になるための勉強以外やってこなかった
(それ以前は、遊び呆けていた… まじでクズです🥲)ので
これ以外は何にも知らないし、
できない
んです。

ふだん、クラスの子供達の前では偉そうに先生ぶっているくせして、社会のことは
ほぼ何にもわからない。

実はマジで恥ずかしい話ですが、これ ↑ は、
現時点でもそうです笑

日経平均株価…?
ロシアとウクライナの情勢…?
なんで、いまこんなに物価が上がって
きてるの…?

「教員は世間知らず」は、本当です。
…いや、俺だけか…


ぶっちゃけなんにも、分からない。
そもそも、毎日の仕事・生活に
いっぱいいっぱいでニュースを見る時間なんてない。

新聞も、とってない。
「どうせ見ないから」っていう理由で
ラインの無料新聞に変えた。
(そして結局それも見てない…)

そんな社会人レベル底辺な自分が、
新卒でもないのに今さら

「一般社会」という灼熱ジャングル
飛び込んで、生き残れるはずがない。

ていうか、エントリーシートなんて
見たこともない。

就活って、いったいどうやるねん…?

今さら辞めるなんて、絶対にムリ。

…てなると、クソほど嫌でも
教員を続けるしかない。

そうしないと、生きていけない。

まあ、「子どもが嫌い」って言う時点で
教師失格なのは確定。つまり、センスはゼロ

それでも、この
「お子様のご機嫌を取り続ける職業」をやり続けるしかない。

この先の人生、教員一択。

それが、僕の目の前に突きつけられた、痛々しい現実でした。


「・・・」
「それなら、何とかうまい方法を見つけるしかない…」
「子ども嫌いな自分でも、どうにかうまく立ち回っていかなくては…


そこからは2年間ほど試行錯誤して、
勉強しまくりました。

当然、日々の業務に加えてです。

僕は教員(というか、社会人)として
基本的な能力値も低かったので

平日は、毎日7:00〜21:00頃までは
明日の授業準備や校務をこなすのに
精一杯で、学校にいました。

帰宅すると疲れ切ってしまい
できるのは、全力で寝ることのみ。

だから、勉強は
土日をフルで使ってやりました。

土曜日の12時ぐらいまでは
一週間の疲れを取るため、寝る。


で、昼過ぎから活動開始。
ジュンク堂へ。

膨大な書籍の中から、
少しでも自分に合いそうな本を漁り

毎回7000円〜12000円分ぐらい購入して
そのまま図書館でGO。

閉館の18時までお籠もり。

(この頃はほんとに遊ぶ余裕もなかったので、給料のうち、自由に使える金額の6、7割ぐらいはマジで本や教育のグッズ購入のためにつかっていました)


18時に図書館を出ると、
いったん食事をしに

すき家か吉野家へ行って

そのあとはスタバでさらに
22時くらいまで勉強勉強勉強…

そんな感じで本を読みまくり、
自分の学級や授業を見直した。

さっきも言ったように、書店にある教育書は
私にとっては内容が薄すぎ。

日々の学級経営や授業。
朝/帰りの会や、清掃など。

そういったすべてのことは
カバーできなかったです。

それぐらい、子供との人間関係や
授業に困ってたんですね笑

なので、教育書に限らずとにかく
「学級経営 = 人間関係」が好転しそうな
書籍は、とにかく漁った。

心理学や社会学、人間関係に
関する本など。。。
とにかくいろんなジャンルですね。

「世界の拷問」みたいな本も
なんか、話のネタに使えそうだな…
っと思ったら、即買い。

中身もほぼ見ずに笑

もう、本当に何すれば良いか
分からなかったので笑

とにかく

自分の学級を何とかしたい!

の一心でした。

5.3月24日だけじゃなく、俺のバースデーまで・・・お前ら、最高じゃねえか!

その結果、3年目以降に子ども達からもらったメッセージがこちら ↓








ていう感じ。

まだまだあるんですが、思ったより加工が大変だったので、このへんで笑

残念ながら学校引っ越しの際
どこかの荷物に紛れてしまって

永遠に見つかってない手紙もあります(しかも、個人的に一番思い入れのある学校のものが丸ごとゴッソリ・・・🥲)。

記事を書くにあたって
何年かぶりにレターを見返してみました。

本当に自分みたいな完全ビジネス教師が、
こんな気持ちのこもった
レターをいただくなんて、、、

と恐縮するばかりです。

とくに保護者の言葉は、すごく重いですね。

こうしてみると
子供も保護者も、全く敵じゃなかった。

悪かったのは、結局
実力のなかった自分。


それを改めて痛感しました。

プロなのに実力がないのは、やっぱり
罪なんですね。

6.けっきょくコレだったんか… 70万円ぐらい費やしたあたりで見えてきた、 誰でもできるたった1つのコツ

もちろん、すぐに力がついてきたと
思えるようになったわけじゃないです。

自分で納得できるぐらい努力した。

でも、後から振り返ってみて
僕が変化を感じたのは、おそらく

たった一つのことを意識してからでした。

たった一つで変わった(気がする)から、
たぶん教育の本質です。

その「たった1つのコツ」。 


それは・・・


「子供の頑張りをねぎらう」こと

これだけです。

「褒める」とはちょっと違う、
「ねぎらう」です。


人は言葉のやりとりによって、人間関係を構築します。

そして人は自分に向けられた言葉をもとに、
その人が自分にとって良い人か悪い人かを判断します。

たとえば、あなたが校内研究の全体授業をする立場になったケースで考えてみましょう。以下です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あなたは、自分ではあまり納得いかない理由で、全体授業を
受けることになってしまいました。

「若手だから」「他に誰も手を挙げる者がいないから」
「男だから」もしくは「女だから」「主任に言われたから」
「独身だから」「お子さんがもう大きいから」

理由はどうあれ、周りからの圧力やナゾにやるしかない空気感に負け、
自分の学級や校務分掌が重いことは理解されないまま、
不満をぶちまけられず引き受けてしまった。。。

よくあるパターンですよね。

・・・

…で、さんざん準備をしてきて当日の5校時。
なんとか授業を終えました。

ぶっちゃけ、子どもたちの反応は思ってたより良くなかった気がする。
いつもは活発な議論になるのに、今日に限って緊張からか
あまり盛り上がらずに終わってしまった。。。

ふぅ、、、

これから検討会か、、、 気が重いな、、、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

っと、いう場面です。
そこで、近くに寄ってきた2人の先輩からの一言。

【A】先輩
「お疲れ!あの場面、もうちょい考えさせる時間ほしかったな」

【B】先輩
「お疲れさま!びっっ…っっくりするぐらい、授業うまくなってない??」

「とくにあの場面の発問、シンプルなのに考えやすい、めちゃくちゃ練られた発問だったと思った!かなり教材研究したんじゃない?」

「その分、子どもがもっと考えたがってるように見えたよ。5分って、
熱中するとあんなにアッサリ過ぎるもんなんだな」


どうでしょう?
どっちの先輩に教わりたいですかね?


当然、【B先輩】なはずです。


それは、なぜか?

【A】先輩は「お疲れ!」と一見ねぎらってるように見えますが
授業を頑張った本人にとっては、どうしても
全体的に否定的なニュアンスに感じてしまいませんか?

言葉かけをしたA先輩としては、「ちゃんと褒めたぞ!」と
思ってるかもしれません。

でも、言われた側としては
「褒められた!先輩は、自分のことを認めてくれた!」とは
絶対になりません。
当然、A先輩への信頼にはつながりません。

それどころかむしろ、「頑張ったのに、なんだそりゃ!」みたいな
マイナスな印象です。否定された感じ。

いくら「もうちょい考えさせる時間ほしかった」と改善点を言われても、
おそらく全く入ってこないはず。

「そうですね、ハイ😅(…うっせえ、このブ◯野郎!なら、テメーが研究授業やれや!先輩のテメーがやらないから2年目の俺ごときに回ってきたんだろうが、この◯タ野郎!😡💢)」

って、なるでしょ?

いや、絶対にアナタにはこの経験あるはずです。笑


一方で【B先輩】は

「授業がうまくなっている」という、ただの肯定ではなく
「以前から、あなたの授業をしっかり見ているけど」という
ニュアンスを感じますね。

さらに、「シンプルなのに考えやすい」という
発問の良さを具体的に伝えている。
これは、研究授業を真剣に見ていた、ということが伝わります。

そして「めちゃくちゃ練られた」「かなり教材研究した?」と
授業者の頑張りをねぎらっています。

そのうえで、「もっと考えたがってるように見えた」と
改善する余地をさり気なく伝えてます。

おそらくこっちのほうが、授業者のあなたとしては

「はい、もっと時間取ってあげれればよかったんですけど😅」と
素直な振り返りが、自分から出てくるはずです。

1回や2回、失敗したと感じて落ち込んでしまっても

「普段からよく見てくれてる」
「自分のがんばりを認めてくれてる人がいる」という人がいて
【承認されている】
 ↓↓
「自分の良さは、ココなんだ」と感じることができるから
【自己肯定感アップ】
 ↓↓
「次からは、こうしよう」という次への意欲につながる。
【自分の可能性/成長への期待感】

こういう流れがあるからこそ、授業者であるあなたは
検討会へ向かう足取りも少し軽くなったり、
安心感をもって検討会で受け答えができるはずです。

さらに言えば「次から授業のことは、B先輩に教えてもらおう!」
と思えるかもしれませんね。

信頼感につながったわけです。

僕の言う「ねぎらい」ってのは、コレです。


そしてこれは、教師と子どもとの関係性でも
全く同じことが言えるんですね。

【「褒める」ではダメなのか?】

というと、そういうわけではありません。


「褒めること」の重要性は、いまさら語るまでもないでしょう。
当然、私も児童を褒めまくってました。

が、

高学年を長く担当するうち、褒めるって、どうしても「エライね」みたいな上から目線が入ってしまう気がしてきたんです。

特に、高学年女子は「◯◯さん、スゴい!」と言っても、次第に飽きられてしまう。

「ああ、結局この先生は私に優等生になってほしいんだな」
みたいな、そういう印象。

もちろん学年にもよるし、言い方にもよるし、関係性にもよる。

個人的には、「ねぎらう」なかに「褒める」があるのかな。
ぐらいの感覚です。


上の例は少し大げさ & 都合よく考えすぎかもですが

少なくとも2年目までの僕は、この「ねぎらい」が全くできていなかった。
ていうかそんな意識は、全然なかった。

それ以外にも原因はたくさんあると思いますが、
ねぎらいさえできていれば、失わずに済んだ信頼関係が
かなりあったはず。


私は児童からの信頼を「得る」より先に、
どんどん「失って」しまってたんです。


「信頼関係」って、怖いです。
どんなにコツコツ積み重ねていっても、失うのは本当に一瞬。
1回のミスで、失ってしまうことがよくある。

だからこそ「ねぎらい」は
骨のズイまで染み込ませる必要がある

って感じました。

自然とできるようになってから周りの先生を見てみると、

「子供との関係に困っている…」という先生ほど、彼らの頑張りに対して
あまりにもねぎらってなさすぎる。


教師側が依頼し、それを受けてくれた児童への慰労の言葉が、ヤバイぐらい、無い。

見ててコワイ。。。児童が反乱を起こして、
もう明日にでも学級崩壊しちゃうんじゃないか??
て感じ。

でも、それは仕方がない。


だって「学級経営の秘訣は、子どもたちの労をねぎらうことだ!」
なんて、初任者研修で習わなかったじゃないですか。

ここまで読んでくださっている人の中にも、ぼくと同じように、子どもとの関係性がうまくいかなくて悩んでいる人もいるんですかね?

もしそういうことがあっても、大丈夫です。

それってあなたは全く悪くありません。
ほんとに、全然悪くない。

シンプルに、そのことを教えてくれる人がいなかっただけなので。
知識として知ることができれば、誰でもできます。

初任者担当の指導教諭、学年主任をはじめとする先輩方。。。
管理職や委員会。

こういう人たちは、教えてくれません。
というかそもそも、そういうことを意識できてる人ってほぼいない。

・学力テストの点数が高い
・挙手のとき腕がピシッとまっすぐ上がっている
・発表した後の「そ〜ですね!」が定着している

みたいなところはみんな大事にするのに
一番大事な、子供のメンタル部分には誰も注目していない。

でも、学級経営でいちばん大事な部分ってけっきょく
子供のメンタルが安定して、「この先生なら、ついていきたい!」「この人なら、自分を成長させてくれそう!」と児童が思えるかどうか、ですよね?


で、その子供のメンタルを安定させる方法というのも、具体的なやり方があってそれをスキルとして身につけることは実はカンタンってことです。


教師側にセンスがなくても、やれば絶対に効果がある方法
「教育スキル」として、いくつも持っておく。

時代によって求められるICTスキルなんかも大事とは思いますが「人を育てるスキル」って、教員という仕事がある限り、絶対に必要な力じゃないですか。

知ってるか、知らないか
知れる環境があったか、なかったか

本当に、これ ↑ だけです。

知れば、だれでも実践できる。

7.アレもコレもまとめて解決しちゃった… 「本質」はすべて繋がってた

このことに気づいた私は、ひたすら実践しまくりました。

具体的には、クラス児童の労を、ねぎらいまくった。

一度、スキルとして覚えてしまったら
そこまで意識しなくても自然とできるようになりました。

そうすると、スキル・センスともにゼロ。経験値わずかの僕でも、
毎年のように素敵な手紙をたくさんもらえるようになりました。

自分なりに本質に気づけたので、書店で購入した本も今なら
本当の意味で自分の知識にできてる気がします。


実は「ねぎらう」ってかなり奥が深くて、

とてもここでは書ききれないぐらいの

伝え方や言い方、状況、言葉の選び方や話す順番…

細かいスキルなら本当に無数にありますが
基本は、子供の頑張りを認めるだけ。


もう、全然むずかしくない。

ていうか、もはやそれをしないと、せっかくの児童との人間関係が崩れ去ってしまいそうで、めちゃくちゃ怖い。

本当に「ねぎらう」っていうのは、一度慣れてしまえばあとは一生つかえる、人を育てる「本質的な教師スキル」だと感じてます。


当たり前ですが、他にも子どもたちから信頼を獲得する方法って
いくらでもあります。

(ぶっちゃけ教師本人が「面白い」とかは
あっさり信用を得るための最速の方法でもあります)

が、誰もがすぐに実践できて/継続性があって/さらに教育の本質部分、
となると、何より優先すべきはやはり「ねぎらい」一択ですね。

「面白い」とか、その先生のセンスでしかないですからね、
再現性がなさすぎる。


一方で、「労をねぎらう」ことさえ覚えてしまえば、あとは保護者や周りの先輩たちへの根回しも、カンタンです。
実際に児童も保護者も先輩も、話す内容が違うだけで、やり方はみんな同じですからね。


最初にも言ったように、私は

①子どもが嫌いで、全く興味がない。ホンネを言えば教員辞めたい。

いきなり子どもが「先生、昨日サッカーのときね…」と話しかけてきても、内心『おぉ…こいつサッカー部入っとったっけ…?そういやこの前日記にも書いてたような…?』とかフツーにありますし

突然、隣の担任に「今日真っ赤のTシャツ着けてた子、名前なんだっけ??」と聞かれても、そもそも誰が何色のTシャツを着てたかなんて覚えてない、見てもいない。

②自分たちが「サービスの受け手」だと思いこんでいる。しつけと教育の違いがわかっていない保護者がイヤ。

私たちが担ってるのは、あくまでも「教育」

たとえば「挨拶の意味・意義」を、学習を通して考える、実感するための場が「学校 = 教育」です。

もともとの「初対面の人には、挨拶するとよい」「あいさつは、最も基礎的なコミュニーケーションのひとつ」みたいな価値観は、そもそも家庭でのしつけとして、すべての家庭が教え込んでいて良いものだと思ってます。

たとえ身についてなくても良い。ただ、身に付けさせる努力はしっかりとしてから、学校に送り出す。

その土台が全くないまま、学校にすべて丸投げされるから、本来の「挨拶の意味・意義」に行き着くまでに、かなりの時間を要してしまうんです。

③後輩になんにも教えないで、年齢・経験年数が上。ってだけで威張りまくる先輩や同僚に賛成できない。

年功序列の給料のなかには、「後輩の育成」も含まれてる。聞いてもないことをムリヤリ伝えまくる必要はないが、最低限、救いを求めてきた後輩にはアドバイスしたれよ。

で、管理職は保護者からイヤがられるよりも、部下から嫌われることのほうがデメリット多いことに、いい加減気づけよ。

って思ってる、お手本のような「教師失格人間」です。

そんな私でも「ねぎらう」ことを意識して続けただけで







↑ こういった手紙を毎年いただけるようになりました。


ほかにも

国語の物語読解で、話が盛り上がりすぎて時間がなくなり、考えを発表できなかったことを発散するために学級が驚くほどいい雰囲気になったり、

親からも涙を流して感謝されたり、

卒業から6年経って成人した、もと学級児童から「久しぶりに集まってすぐに先生の話題になった」という理由で、別の場所で集まってる10人ぐらいからビデオ通話がきたり…

という、いわゆる「教師冥利に尽きる」出来事を
数多く経験できるようになりました。


8.【完全にココだけのぶっちゃけ話】興味ない人は読み飛ばしてください。


不思議なもので、学級の子供との関係性がうまくいくと、職員室での自分の地位も上がります。

※以下は、教員の話とちょっと離れてしまう部分があるため、教育の話以外興味ないよって人は読み飛ばしてください。 完全に僕の自己満です。。。

良い学級経営をしてる担任って、会議での発言も力強く、影響力があって、教員ヒエラルキーも高くないですか?
実は子供は、自分の担任がどの位置にいるのかを、よく見てます。

もちろん「ヒエラルキー上位だ!」とか考えてるわけじゃないですが
「おお、俺の担任、◯年のあの先生より先輩なんだ」
「校長先生にも、堂々と話してるな」
みたいな感覚は、小学3年生ぐらいなら、確実に持ち合わせています。

子供へのねぎらいがうまく出来るようになる
 ↓
学級がうまく回りだし、自分に自信がつく
 ↓
自分や学級に対して自信をもてると、会議でも発言できる気がしてくる
 ↓
発言できるようになり、職員室での存在感が増す(威厳が出る)
 ↓
同僚や先輩に対して、堂々と話せるようになる
 ↓
ヒエラルキーが上がり、自信がつく
 ↓
子どもたちの前で、堂々と話せるようになる
 ↓
繰り返し

みたいな感じで、学校での教員生活は、どんどん楽しくなってきます。

さらに言えば、学級がうまくいくと自信がつき
クオリティ・オブ・ライフは爆上がりします。

キーワードは以下です。

若手同僚からモテまくってしまい、関係性を保つのに苦労する/生まれて初めてのフェス/夜の街でナンパからのカラオケ/1人で心のおもむくままフラッ…と九州旅/からのナンパでカラオケ、からの・・・/

・・・

キーワードのみ並べてみましたが、かなり長くなってしまいそうなので、やはりやめておきましょう。

また機会 & 需要があれば書いていきたいと思います。
まあ、需要はないですね・・・😅


9.コロスケの野望  『15年前の俺、聞いてるかい? ひたすらマジメで一生懸命。なのにスキル上がってる気がしなくて苦しんでるお前を、救いたいんよ』


思えば私は、教員としてのセンスが全く無く、苦しみまくってきたやつでした。隣の担任のやり方を真似ようにも、キャラが違いすぎて真似できない。

しかも、全く同じように出来たとしても、子供の実態は違うし同じような学級経営ができるとは、とても思えない。

そして何より私は、「子供が苦手」な教師失格人間


もし「ねぎらう」ことの重要性に気づけてなかったら、僕は「教師失格」のレッテルを貼られたまま、ものすごく苦しい15年を過ごしてたと思います…

毎日子どもとの関係がキツイ。。。自分のクラスと隣の明るさの違いに絶望し、担任として実力のなさが浮き彫りになり、情けなさに涙が流れてくる…

学年集会では、自分のクラスだけ列がバラバラ… 話を聞いているのも、前列の方のおとなしめの児童だけ…

経験年数では自分が上なのに、放課後の職員会議で自信マンマンで発言しているのは、持ち前のセンスでクラス運営バリバリうまくいってる隣のクラスのキラキラ教員。。。

会議が終わって17:00以降は、保護者に電話。気が重いが、今日あった子ども同士のケンカの説明をせねば…
ひとりは怪我して帰ってるから、もしかしたらすでに親はキレ気味で電話をとるかもしれない、、、 やっぱり会議前に電話しとけばよかったかな…
念のため、学年主任にも相談してるけど、けっきょく何とかするのは自分。。。でも、「何とかする電話のやり方」なんて、分からない。教えてもらったこともない。
当然、最悪の場合の管理職も助けてくれるわけもない。。。。

・・・

・・・

ただ、ひたすらに『絶望』。

こんな感じで、まるで生きてるのかしんでるのかも分からない

ただただ、金曜日が来るのを待ち続ける。

そんな15年だったと思います。


僕は、そんな過去の自分と同じ境遇にいる人を助けたい。
少しでも、力になりたい。

もし今、教えてくれる人がいないだけで
悩みまくって、苦しみまくっている

15年前の自分と同じ人がいるなら

そういった人の助けになりたい。


そう思って、自分の経験を記事にまとめることにしました。
(𝕏での発信は、口悪いですが…🙇)

もし、

過去の僕のようなことで悩んでいる方

周りの「同僚ガチャ」大失敗している人

頑張りが全く認められてないと感じる人

自分はセンスないなと感じてる人

「ねぎらいが大事」とちょっとでも思ってくださった

「ねぎらい方」もうちょい知りたいなって人

単純に、コロスケを応援してくださるという、優しい方

何より

『大きな声じゃ言えないが、本当は児童。お前らにムカつきまくってるぜ!!!言っておくが、人としての礼儀も知らんお前らには、なんの未来もねぇ。今のうちにさっさと、担任様に詫びて、人としての教えを乞え!』

『保護者の野郎!テメーらいったい何様のつもりだ!!!お前らのガキのしつけを俺様に押し付けて、一番困るのが誰か分かるか?それは、このガキと一生付き合っていくテメーだ!お前が一番ガキのこと心配しろ!!!』

『オイ無能な先輩。オメーだよ。お前の給料が俺より上なのはどういった理由だ?それはな、俺のような優秀な後輩に、テメーのもってる情報を惜しみなく与えるためだろうがよ!後輩育成の責任分の給料だと分かれ!カス!』


そういう人は、間違いなくコロスケ予備軍です😇

つまり、このさき伸びしろしか無いわけです😎

そういった人に「スキ」押していただけると、私としてはとても励みになります^^
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最後までお読みいただき、ありがとうございました!


ではまた。
𝕏、noteでお会いしましょう!^^


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