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見えなくならないように、ときどきふりかえる

昨日このnoteを書いたんだけど、急激な眠気で意識が朦朧としてて、もうすこし書けばよかったなあと朝起きてから思ってた。

もうすこしだけ、昨日の続きを書こうかなと。

前まで見えていたものが、気づいたらそれが"当たり前"になっていて見えなくなる。それはもしかしたら、仕方のないこと。

だからこそ、ときどきふりかえって。
そのとき自分がどう思ったのかを思い出す時間が必要なのかもしれない。

私が住んでいる場所は、東日本大震災で被害を受けた場所のひとつ。
"被災地"と呼ばれていた頃から少しずつだけど確実に進んできて、ある程度は普通の生活をしている、と思っている。

私が学生の頃にゼミの活動として、その頃まだ仮設住宅に住んでいたおばあちゃんから生まれ育った陸前高田の様子や震災当時の話を聞いて、それを文章にして冊子としてまとめることをしていた。

そのときにおばあちゃんが話の合間にしきりに言っていた言葉は、「忘れないでほしい」と「この経験をたくさんの人に知ってもらって、今後の備えにしてほしい」だった。

とにかく真っ黒い波の壁が、勢いが衰えることもなくすこしずつまっすぐに進んできたことを話してくれた。
あとは、「水が使えないから、サランラップを皿に巻いて剥がして使うようにするといい」という話や、水や食料、簡易トイレの貯蓄。

このとき自分が知ったことをほかの人に伝えること、そのときの私が学んだことのひとつでもある。

このとき話を聞いたのは、震災から2年半経った頃。
町があった場所は黄色の重機やダンプがしきりに走る工事現場になり、海沿いに建っていた防潮堤は津波で壊れたまま、海面より上に岩の塊が出っ張って見えていた。

8年半という時間が経って、すこしずつ町のようになってきたけど。
2年半経った当時は復興なんて言葉はまだまだ見えてこないような場所だった。

ということは、最近いろんな場所で起こっている災害もたぶんそれくらいの年月はかかるんだろう、ということ。

私の中でおばあちゃんが話していた話やその頃の視点が見えなくなってきていることに、この台風について書かれたブログであらためて気付かされた。
自然災害はコントロールできるものじゃないし、もしかしたら明日は我が身かもしれない。

すこしでも心を寄せる人がいてくれたら、自分事に捉えて自分自身への備えにできたら、いいのかなあ。

朦朧とした夜を越えた朝。
そんなことを思いました。


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