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自然の中で生きている、という感覚

北海道下川町に滞在する直前の木津くんのブログを読んでいたら、その中にこういうnoteが引用されていました。

北海道下川町に移住した、もとくらの立花実咲さんのnote。木津くんも引用していた、ある文章が私もすごくひっかかった。


"電車が通ってなくて、寒いときはマイナス30℃にまで下がる気温、容赦ない長い冬はトイレの水を凍らせ、きれいだと思った花は猛毒を持つ。うっかり鉢合わせるかもしれない人の倍以上ある躰の熊、食用に似た得体の知れないキノコ……などなど。

常に人間は、“生かされている”環境だ。

同時に、「生かされているのは当たり前」──という感覚を、暗黙のうちに了解している人も多いと感じる。

だからこそ、“生かされている”環境で“生きぬく知恵”は、自然と身につけざるをえない。

どんなに文明の利器が発達しても、同じような寒冷地が世の中に幾多あったとしても、暮らしている人は、たったその人、ただ一人ずつだから、生きぬく知恵も、人の数のぶん、あまたある。

その知恵は、暮らしている人たちの生活力を底上げしてきた。

ただ、過酷な環境でわざわざ暮らし続ける理由を語るには、鍛えられた生活力だけでは、足りない。

知恵を絞ってでも住み続けたい理由があるからだと感じる。

隔絶された半径ウンキロメートルの中で、循環するエネルギーや資源をできるだけ生成&消費しながら、自分の生活をつむいでゆく── "
“ネオヒッピー”という生態系 より引用


海の上で作業中も、いや、作業中だからこそ、このnoteの「常に人間は、“生かされている”環境だ。」を思い出してた。

人間は、自然の一部に過ぎない。


寒いときも暑いときも。
雨の日も雪の日も、晴れの日も。

季節問わずほぼ毎日海にいて思うのは、普段過ごしている、人間が作り上げた温度環境がいかに生きやすいのかということ。

短時間だとしても自然の中に身を置くと、ほんとはつらくて過酷であり、おだやかで優しさもあることを実感する。

海の上にいて風が吹くと、どうしても体感温度は下がる。
風速1mで気温が1°下がるから、5mも吹けば−5°。

真冬の海風は、寒さが増すから厄介だ。どれだけ着込んでカイロを仕込んでいても、風が吹いて顔の皮膚を刺すたびに体が震えた。

自然は、やっぱり厳しい。

自然の中で人間はほんとに些細な存在だと、日々考えさせられている。

でも、厳しさがあるからわかる幸せもある。

真冬の海から戻ってきて凍えた体や赤くなった指先を薪ストーブで温めて、温かいコーヒーを飲んでじんわりと染みる、ホッとする感じとか。

真夏、毎日朝から夕方まで海の上で過ごしたあとに、よく冷えた三ツ矢サンダーを飲んだりガリガリ君を食べたあとのスカッと感と達成感。夜に近付くにつれて涼しくなる心地よさとか。

季節によって表情が変わる海がとにかく綺麗だとか。

厳しさを味わう分、ちょぴっと幸せももらえる。そういうのを実感できるのは、生きる上では豊かなのかもしれない。

"ただ、過酷な環境でわざわざ暮らし続ける理由を語るには、鍛えられた生活力だけでは、足りない。
知恵を絞ってでも住み続けたい理由があるからだと感じる。"

“ネオヒッピー”という生態系 より引用

自然と対峙して住むことも働くことも、厳しさの中のちょっとした幸せを見つけられたら、続けられるのかもしれないね。


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