見出し画像

"知ってほしい"の裏側

日曜の夜から月曜にかけてきた台風15号。
東北は台風が途中で温帯低気圧に変わることが多く、あんまり直撃をしない場所でもある。

なので、"ニュースで騒いでたわりに全然だったな〜"なんて思ってたんだけど。
テレビとかで見たら、全然なんてことなかった。

電信柱や木が倒れたり、屋根がなくなってたり。いつも通り生活ができる、という感じではなかった。

断水も停電も続いている。

昨日たまたま友達のツイートから流れてきた、千葉の金谷に住んでいるライターの方が書いた記事を読んだのだけど、あらためて考えさせられるというか。
読んでいて、とにかくズシンときた。

このブログの中で、こういう言葉があった。

"被災地以外の人に知ってもらわないと、注目が集まらないと、救援物資も復興に向けて必要なお金も集まらないためです。
助けが欲しいと思ったら、人は誰かに助けを求めます。
個人レベルの話なら、例えば「病気になったから看病してほしい」と思ったら、誰かに看病して欲しい旨を伝えれば、身内の人や友達が助けてくれるはずです。
しかし、殊に「災害」という単位で助けを求めるとなると、その声がもっと多くの人に届かなければなりません。
その声を、多くの人に届けるために、「報道して、知ってもらう」ということは非常に重要なことなのです。
こんな簡単なことが、僕は自分が被災者になるまで、理解することができませんでした。"

この言葉に、ガツンと殴られたような気持ちになった。
たとえば、一緒に歩いてた友達が道端で急病で倒れたとして、助けがほしいときは声を大きくして聞こえるようにするよなあ。

その声を大きくすること自体はなんだかできそうで、当たり前に近いことな気がするんだけど。
今回みたいな''災害"の場合には、報道の役目って現地の人の助けを外にいる人たちに届けて、助けてもらうことなんだと痛感。

なので、今日はこのブログをシェアするためにnoteを書いています。
自分が現地に行くことは難しいから、こういう形で伝えたり、募金はできる。

自分なりに、できることを少しでも。
千葉県民の皆さんの生活が少しずつでも、確実に戻りますように。


私のnote、読んでくださってありがとうございます。 もしも「いいな」と思っていただけたら、感想と一緒にRTやシェアしていただけるとうれしかったりします。。