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推し、燃ゆ(宇佐美りん)を読んだら、凄まじい文句が返って来た

「推し、燃ゆ」の読書感想文です。4点に分けて書きます。タイトルの意味は3にあります。

1.きっかけ
2.あらすじと解説を読むならどこ?
3.感想(ネタバレ含む)
4.備考


1.芥川賞受賞を文芸誌で知っていつか読もうと思っていました。タイトルが良いですね。

 紗倉まなさんの「春、死なん」も同じく黙読したときに感じる「響きの良さ」がありますね(未読)。


2.この作品に関してはあんまり参考になるサイトは見つけられませんでした。
 凝っている解説サイトはあるんですが、凝り過ぎていて「推し、燃ゆ」の二次作品と言っても良いぐらいの読み応えたっぷりのサイトが多かったです。


3.凄まじい文句が返って来た。
 敢えて汚い言葉を使うのですが、最低な人、他人に迷惑を掛けたり、ときには傷付ける人、を指して「クソ野郎」と以下では書きます。
 本作で登場する人物のほとんどに私はイライラしてしまいました。より主観的に言えば「クソ野郎だな」と感じながら読み進めていました。主人公にも、主人公が推すアイドルにもそう感じてたし、一番のクソ野郎は私の中では主人公の父親でした。
 一方で、主人公の感性を表現している心理描写に多くの人がよく使うと思われる言葉を使い、しかもこの描写がまめに出てくるので主人公の感情表現自体の文量が多く、主人公の気持ちがよく分かる、という特徴があると思いました。上の段落で言っている「クソ野郎」との関係で言うと、主人公の気持ちが、本作を読み進めると分かってきて、途中からは「かわいそう」と思っている自分が居ました。
 主人公は推しているアイドルの言葉をノートに書き留めたり、自分のブログで同じアイドルのファン達との感想を共有したりして、そのアイドルの真意を「解釈」しています。反面、主人公は普段の生活ではだらしなく過ごしています。友達の教科書を返しそびれていたり、部屋を片付けられなかったり、バイトを忘れてすっぽかしたり、します。しかし主人公はある心の病と診断される、ことも作中で分かります。すべきなのに、できない。この「できない」が周りから理解されません。それで「かわいそう」だと思いました。誰かひとりでも主人公を「解釈」してあげる人がいたらいいのに、と。
 そう思ったときに、私がここまで読んでいて感じていたすべての「クソ野郎」が返ってきます。本作品で著者による、優れた心理描写によって、主人公の気持ちを「解釈」する、事を誘導された私は、反射的に自分の事を「解釈」してしまいした。あのクソ野郎達はすべて私の中にあり、実は同族嫌悪、だったのではないか?そして「かわいそう」だと思ったのは誰からも解釈されない紙面の主人公ではなく、生身の自分、リアルに生きている私の事。そう、自己憐憫。もうひとつ和えさせもらうとして、本作品で出て来た四字熟語を使わせてもらうならば、クソ野郎と心で罵り、その事が私に返って来たのはまさに「自業自得」。
 本作で一番のキーワードは「解釈」だと思っています。他人を解釈する、は人間関係を結ぶ上で大切です。他人やその集合体の社会、を解釈できない人、がそのまま社会に出てしまうと、つまり人間関係を作ると、その人は他人を困らせたり、場合によっては傷付けます。悲劇です。しかし「できない」だからアイツは「クソ野郎だ」と人間性を否定される、このフローは、そのアイツを孤立させ、アイツ当人自身の実感として、誰にもつながれない、というさみしさ、に流れて行く。私は、無能であっても、このさみしさを持つ人をほおっておけない。「解釈」を始めると思います。もちろん、その対象に自分も入っていますが。
 「推す」とは「他人に薦めたい程、気に入っている」とするなら、主人公が推していたのはアイドルを通して見え隠れしている自分。解釈したい自分、だったと思いました。それは承認欲求という程アピール力がある行為に至らない、さみしさがベースにある感情だと思います。「解釈されたい」のではなく「解釈したい」にあります。他人から、ではなく、自分で自分を。
 作品の最後に推しの住まいに肉薄する場面があります。そこで主人公は推しが燃えた理由、推しがファンと思われる女性を殴った理由、について考えます。それまでは考えるのを避けていました。それがきっかけで自己投影している何か、に気付きます。
 別作品で「君の世界にぼくが生きられるのなら(文芸誌のすばる2021年9月号掲載)」があり、そちらも主人公が推しているYouTuberに肉薄する場面があって、そこで同じく自己投影している事、の描写があります。「推し」に近づく事は自分を解釈する上でのきっかけになるのかも知れない。私の推しのYouTuberも来月、昨年から延期になっているオフ会をするようなので、参加してみようかと思っています。本を読むと何かありますね。良くも悪くも。少なくとも自分はクソ野郎でした。


4.備考
①本作は「推す」という行為を言葉に可視化できた作品だと思います。客観的な意味は辞書で知れますが、読んでみると主観的な「推し」を体験できると思います。
②本作とペーパーハウス(スペインのテレビドラマシリーズ。Netflixで視聴できます)から感じる「さみしさ」は似ていて、特にオープニング曲は象徴的だと思います。
③本作は図書館で借りる場合、741人待ちでした。私は文藝2020年秋季号(本作掲載)を17人待ちで約半年待ってやっと借りれました。文藝春秋2021年3月号にも掲載されているようです。

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