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「ぼくは牧本壮。死に物係と呼ばれた、いのちの係。」(映画『アイ・アム まきもと』牧本さんの少年時代)

※これは映画『アイ・アム まきもと』を観て、本編からモチーフ(虹、横断歩道、紅茶、歌い方など)を拾い、個人的に思い浮かべた牧本さんの過去のお話です。映画を観なくても分かる独立した内容ですが、多少ネタバレにもなりかねないので、ネタバレが嫌な方は注意してください。なお序文はHYDEさんの『evergreen』という死がテーマの楽曲を参考にしました。

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序文 『evergreenに寄せて』
(暗がりの中で牧本さんが密かにしたためていた弔詩)

金魚鉢の中を覗き込むぼくは グラスの水に差した花のよう

にわか雨の後 淡い日差しが揺れて 傘を差したまま 無邪気なぼくは
ハクチョウのように羽ばたいた 虹の気配がして

動き続ける腕時計の針を 痛みの分だけ戻せたなら
塔子さんもぼくも おかしな蕪木さんとの日々を 溢れるくらい眺めるのに

桜の花が散りゆく斜陽の下で
あの時 瞳子さんはぼくと一緒に 手を合わせてくれた
死んだ生き物たちとぼくにやさしく
なついてくれた 可憐なくせ毛の香りのきみ

きみがいないときみが教えてくれた歌い方はうまくいかないよ

二人の「とうこさん」とそれから母は
ぼくにとって 薬みたいな存在だったと 今ふと気づいた

あの時 せめて最後に母と手をつなげば良かった
離れたくなかった 離したくなかった
幸せな日常を手放したくなかった

一人ぼっちでうつむき 無言で亡くなった人たちの涙と声を
ぼくは拾ってあげられただろうか
本当は骨じゃなくて 彼らの声を思いを 拾って残したかったんだ
近づく終わりに 「がんばった がんばった」 しか言えない
愛しい故人たちよ

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 たしかぼくはあの時、雨上がりの空を眺めていた。正確には空に架かる大きな七色の虹を見上げていた。その虹に向かってハクチョウらしき白い鳥が飛んでいた。その時の虹は見かけ上、すぐ近くだった。鳥のように羽ばたきながら虹のふもとへ行ってみたくなったぼくは、辿り着けるはずのないその場所を目指し、傘を差したまま駆け出していた。儚い虹が消えてしまわないうちに早く行って、虹のふもとはどうなっているのか、この目で確かめたい。もはやぼくは虹しか見えなくなっていた。だから信号も横断歩道も気に留めることなく、道路を渡ろうとしてしまった。
「壮ちゃん、危ない!」
叫ぶような母親の声が聞こえた。歩行者用の信号は赤で、交差点には車が侵入していた。幼い子どもの存在に気づいた車は急ブレーキをかけ、ぼくの寸前で止まり、傘だけ遠くに飛ばされた。
「ったく、あぶねーじゃないか。ちゃんとガキの面倒くらい見とけよ。」
車の運転手は謝るどころか、窓を開けて母親に怒鳴り散らすと何事もなかったかのようにさっそうと走り去った。まぁこの場合、車の方は青信号で、何の落ち度もないけれど、当時のぼくは車にひかれそうになったというのに、まだ虹のことばかり考えていた。
「壮ちゃん、大丈夫?痛いところない?赤信号なのに飛び出したりしちゃダメでしょ。」
母親はぼくの体じゅうを念入りに触り、傷がないか確認していた。
「お母さん、ごめんなさい…痛いところはないけれど、でも虹が消えちゃいそうだよ。ぼく、鳥さんのように虹の側に行きたかったんだ…。」
「壮ちゃんは虹を追いかけていたのね。虹はすぐ近くに見えても、絶対辿り着けないのよ。鳥さんだとしてもね。だから慌てて走ったりしちゃダメよ?」
「虹の側へは行けないの?あんなに近くに見えたのに…。」
ぼくは消えてしまった七色の光が見えた方向の空をぼんやり眺めていた。
「虹はね、側に行って触れるものじゃなくて、遠くから眺めるものなのよ。とにかく、壮ちゃん、道路を渡る時は、青信号だとしても右を見て、左を見て、また右を見て、車が来ないかどうか確認してから渡るのよ。お母さんと約束して。」
母親はぼくに小指を差し出すと、指切りを求めた。
「うん…分かった。約束するよ。」
ぼくも母親に小指を差し出した。
「ゆびきり げんまん うそついたら はりせんぼん のーます ゆびきった」
母親が歌う指切りの歌を聞きながら、道路を横断する時は、必ず右左右を確認してから渡ると誓った。何しろ針を千本飲むなんて恐ろしすぎると思ったから。だから大人になっても、ぼくはあの時の母親との約束を頑なに守り、念入りに確認してから道路を横断する習慣がついていた。時々、子どもみたいだと笑われることもあったけれど、車から自分の身を守るのは大切なことだし、何より針千本飲みたくない一心で、母親との約束を守り抜いていた。もうその母はいないというのに…。

 生まれた時から母親と二人きりの生活だった。幼い頃はお父さんがいなくて寂しくないのかと同年代の子から尋ねられることもあったけれど、強がりでも何でもなく、父親がいなくて寂しいと思ったことは一度もなかった。それが当たり前と習慣づいていたから、母との二人暮らしに満足していた。けっして裕福な暮らしとは言えなかったけれど、母と子二人で慎ましく質素に暮らすこともまた、ぼくにとっては当然だったから、何の不満もなかった。

 幼いぼくを養うために一生懸命働かなければならなかった母は、毎日決まった料理を作ることが多かった。朝ご飯は白米、鮭、みそ汁。ぼくの昼ご飯は保育園の給食。おやつはバナナ、夜ご飯は白米、野菜炒め、みそ汁…。毎日ほぼ同じメニューだったけれど、やっぱり不満はなかった。むしろ毎日同じでいいし同じがいいと思っていた。ぼくは何事も同じ方が安心できて、その方が心地良く快適に思える質だから。なので社会人になって一人暮らしを始めても、毎日同じ食事をとりたくなるのだと思う。母親から受け継いだメニューはおふくろの味だし、毎日食べても飽きない。必要な栄養が摂れれば十分だし、胃が満たされればいい。仕事が忙しくて、夜はフライパンで炒めるだけで完成する袋入りの調理済みレトルト野菜炒めに頼っているけれど、袋に入っているから、そこもまたおふくろの味と言えていいかもしれないと密かに思っている。

 食べ物に限らず、衣食住すべてにおいてシンプルな方がぼくは安心できる。服は色も形も同じものを数着集めて、ひたすら着回す。同じものだから、コーディネートに困ることもない。どの服を合わせよう…なんて考える余計な手間が省ける。部屋も余計な音、光は要らない。整理整頓しやすいように、必要な物だけ置いて、機嫌良く暮らす。時々、牧本さんってミニマリストですよね、なんて言われることもある。別に最近流行っているというミニマムな暮らしを参考にしているわけではなく、この暮らしは生来、体に染み付いた癖のようなものだ。部屋の色味を抑えて、グレーで統一することで、家ですべきことに集中できる。唯一、鮮やかな色があるとすれば飼っている金魚の朱色だと思う。仕事上、必要に迫られて、部屋に来たことのある人からは、警察の取調室みたいだなんて言われたこともあったけれど、それも別に嫌ではない。取調室は取り調べに集中できるようにできている部屋だから、それに似ていると言われるのは悪い気はしない。何しろ毎日、時間通りの規則正しい生活に集中するためのぼく専用の部屋なのだから。

 シンプルで日々同じ暮らしの方が、安全だし、安心だ。知らないものを食べておなかを壊すより、同じものを食べ続けた方がおなかを壊すリスクも減らせる。そもそもこんなに多種多様な食材を食べるのは人間くらいではないか。雑食の動物もたしかにいるけれど、人間がダントツ、様々な食材を食べる生き物の気がする。ペットなんて特に一生同じフードを与えられることが多い。ぼくが飼っている金魚だって毎日同じ一種類の餌を食べている。だから人間も他の生き物に倣って、別にひたすら同じものを食べ続けても良いのではないかと思い、ぼくはそういう食生活を送っている。
ただ、仕事上の付き合いで時々あまり口にしないものを口にする機会もあり、知らなかったおいしいものに出会う場合もある。この前、知り合った塔子さんが淹れてくれた紅茶は特においしかった…。そのおかげで、少年時代のことをたくさん思い出した。子どもの頃、いつもおやつはバナナだったけれど、時々母は紅茶のシフォンケーキを焼いてくれることがあった。塔子さんの紅茶は、時々しか食べられなかった、香りの良い、ふわふわのおいしいシフォンケーキの味を思い出させてくれた。ぼくは母の手作りシフォンケーキ以上においしいと思うものに出会ったことはない。しかし彼女の紅茶はそれに匹敵するほど香りのおいしい紅茶だった。だから真似して自分で紅茶を淹れてみたけれど、インスタントのティーパックにお湯を注いだだけでは、茶葉から淹れてくれた塔子さんの紅茶には到底敵わなかった。

 ぼくは昔から匂いを嗅ぐ癖があるせいか、どうやら香りの良いものに惹かれやすい。おみおくり係という孤独死と向き合う仕事柄、死臭や悪臭には慣れているものの、ゴミ屋敷化しているお宅に上がる時は、メンソレータムの香りは必須だし、やっぱり悪臭よりは爽やかな良い香りに惹かれる。匂いを嗅ぐという行為は生き物としての本能のようなものだと思う。多くの動物は匂いで安全を確認してから、獲物を食べる。猫だって犬だって、飼い主を視覚より匂いで把握しているらしいし、視力が完全ではない状態で生まれる人間の赤ちゃんは、目は当てにならないため、嗅覚で母乳を探り当てるらしい。赤ちゃんが目より先に鼻が発達するなら、それは視力より嗅覚の方が生きるためには必要ということなのだろう。多くの生き物や赤ちゃんを見習うわけではないが、ぼくも嗅覚を大事にしている。匂いは安全か危険かを教えてくれるし、なぜか記憶にも残りやすいから。嗅覚が脳に直結しているせいもあるらしいが、一度嗅いだ匂いはどんな匂いも忘れがたい。死臭やタバコの臭いは苦手だけれど、母の味を思い出させてくれる紅茶の香りや、それから最近あやした赤ちゃんの匂いも良い香りだった…。ミルクの匂いだろうかと思って調べたら、赤ちゃんにはそもそも良い香りの体臭が備わっているらしい。他の動物より生き物として未熟な状態で生まれる人間の赤ちゃんは一人では生きられないため、放棄されることなく、ちゃんと育ててもらうためにいろんな仕掛けを用意して生まれてくるのだと思う。良い匂いもその一つで、悪臭を放つよりは良い香りを発した方が、たくさんの人に抱っこしてもらえる。あの愛くるしい表情やしぐさも思わずあやしてあげたくなる、からくりの一つだ。うんちしてくさい匂いを漂わせても、機嫌が悪くなって泣きわめいても、なぜか愛しいと思えるのは、多くの人がかわいらしいと思ってしまう表情と仕草、そして良い香りを放つ体の仕組みを持っているからだろう。ぼくは今回初めて赤ちゃんを抱っこした。赤ちゃんを抱っこすることは、お骨を抱える時と似ていると思った。同じくらいのサイズで同じくらいの重さだったけれど、生まれたての新しい命は故人の声なき骨より温もりを感じられた。泣かれていてもかわいいと思えたし、陽だまりみたいに温かい赤ちゃんの命の匂いが好きになった。好きな匂いの一つになった。だから、赤ちゃんのヨダレか何か、白い染みがついてしまった服はあえて洗濯せずにそのままにしてある。命は生まれたばかりの時も、死にゆく時も最後まで、匂いをまとっているものなんだと知った。ぼくはずっと命が役目を終えた後の匂いばかり嗅いでいたけれど、生が始まったばかりの命はこんなに良い香りがするのかと驚いたくらいだった。だから自分も赤ちゃんの頃はこんな風に甘い匂いを漂わせながら、母親に抱かれて、あやしてもらっていたのかなと懐かしくなった。

 母は保育園から帰ったぼくのことを毎回、「今日もがんばったね」と言って、褒めてくれた。幼い子が母親と離れて、母親以外の人にお世話されることは一般的には「お母さんから離れて、がんばったね」と褒められることなのかもしれないけれど、ぼくは保育園に預けられる朝もお母さんと離れたくないとぐずることはなく、聞き分けは良い子どもだったらしい。おそらくそれは日課になったからだと思う。母が仕事に行く前に保育園に預けられ、日中は保育園で過ごす。母は仕事が終わったら、必ず迎えに来てくれて、一緒に帰る…。それが当たり前のルーティーンだったから、嫌とか寂しいと思うことはなかった。ただ、保育園ではなぜか仲間を怒らせてしまうことが多く、友だちはほとんどできなかったけれど、一人で絵を描いたり、何かに没頭している方が楽しかったから、寂しいとは思わなかった。それに自由に遊ぶ時間、給食の時間、お昼寝の時間など時間割がきっちりしていることに心地良さを感じていた。ぼくの場合、何でも習慣化してしまえば、何の問題もなかった。

 けれどある日…母はいつもの時間になっても迎えに来てはくれなかった。時間通りに来てくれないことに不安を覚えた。数分遅れることくらいは時々あったけれど、その日は三十分経っても一時間過ぎても母は迎えに現れなかった。そしてスーツを着た見知らぬ男性が、園児はぼくしか残っていない保育園にやって来た。その男性と先生は何やらこそこそ会話を始めた。表情を曇らせた先生とその見知らぬ男性に付き添われながら、ぼくはなぜか病院に向かうことになった。いつもなら母と二人で家にいる時間に、二人の大人と一緒に知らない病院へ向かうことにストレスを感じていた。早くお母さんに会いたいのに、どうして病院なんかに行かなきゃいけないんだろう…ざわざわする気持ちを抱えながらうつむき、男の運転する車に揺られていた。

 病院に着くと、物言わぬ母がただ静かに横たわっている部屋に案内された。なぜか顔は白い布で覆われていた。六歳のぼくは状況をすぐに理解することはできなかった。「お母さんは交通事故で亡くなったんだ…」と病院へ連れてきてくれた男性がぽつりと言った。その男性は警察の人だと、保育園の先生が教えてくれた。ぼくはパニックに陥った。突然母が死んで悲しいとか寂しいと母を恋しく思うより先に、母がいなくなったら誰が夕飯の野菜炒めを作ってくれるんだろう、保育園の送迎をしてくれるんだろう、「今日もがんばったね」って言ってくれるんだろう…などと決まりきった日常が崩れてしまうことに恐怖を感じた。間もなく自然と涙が溢れて、止まらなくなった。
「お母さん、がんばったんだけど、助けてあげられなくてごめんね…。」
医者らしき白衣を着たおじさんが、取り乱すぼくに向かって申し訳なさそうに言った。きっとその人はぼくのことを母親を亡くして悲しんで泣きわめいている憐れな少年と思ったのだろう。けれどぼくはその時まだ、寂しさや悲しみより、当たり前の安心できる日常が崩れてしまったという、誰にも理解されることのない孤独な恐怖心と戦っていた。お母さん、あれほどぼくには右、左、右を見て、車には注意するのよっていつも言っていたのに、どうしてそのお母さんが交通事故で死んでしまったの…なんて考える余裕もなかった。

 身寄りのいなかった母は見知らぬ大人たちの手によって粛々と、海が見える場所にあった無縁墓地に埋葬された。ぼくはこの時初めて、父親がいないことはつらいことだと思った。もしも父がいてくれたなら、母は無縁仏にはならずに済んだだろう。せめてぼくの家にお墓があったなら、そこへ母のお骨を納骨することもできただろう。父もお墓もない、子どものぼくは無力だった。葬儀なんて形ばかりのもので、母とゆっくりお別れすることもできないまま、あっけなく火葬場でお見送りしてしまった。まだ小学生にも満たない子どもだったせいか、気を利かせた大人がぼくを収骨には参加させず、つまりぼくは母の骨を拾うことができなかった。最期に母がどんな姿になったのか、ぼくは見届けることができなかったのだ。たしかにまだ幼い子どものぼくが骨のみになった母の姿を見たら、ショックを受けたかもしれない。でもショックを受けるとしても、最期まで母の姿をこの目に焼きつけたかった。骨壺を眺めながら、その中に納められた母を想像することしかできなかった。もしもすぐにお墓に納骨されなければ、たった一晩でも骨になった母と二人きりで過ごす時間があったなら、ぼくはきっとこっそり骨壺の中を覗いて、母の骨に触れたと思う。そんなことをする間もなく、火葬された骨は大人たちが無縁墓地に手際よく納骨してしまった。唯一の肉親である母親の葬儀のはずなのにまるで他人の葬儀のようで、子どものぼくは大人たちが決めた段取りに逆らえず、蚊帳の外から見守ることしかできなかった。ただ黒い服を着せられて、遠くからぼんやり眺めていることしかできなかった…。

 母を自分の思い通りには見送れなかった悔いが残ったこともあり、社会人になったぼくは孤独死した方々のおみおくり係として精進していた。見送らないと意志を示した遺族が、やっぱり見送りたいとか、遺骨を引き取りたいと気が変わる場合もあると信じて、納骨までなるべく時間稼ぎをした。プライベートでは、物は少なくシンプルな暮らしを心がけているのに、仕事となると、デスク周りを整頓することは難しかった。骨壺は増える一方で、いつも掃除のおばさんからは邪魔だと言わんばかりの顔をされる。でも、どんなに物は少ない方がいいとは言え、故人が最期に残す唯一の骨を簡単に処分することはできなかった。死んで残るものがあるとすれば、見えない思いと、形として残るものは骨だけだから。故人が存在した証のお骨だけはなんとしても大事にしたかった。それから残っているなら生前の写真や遺品も遺族が見つかればできる限り渡したい気持ちで、大切に保管し預かっていた。

 自分には母と一緒に写っている写真は数枚しか手元に残っておらず、形見らしい形見もなかった。すべてあの時、大人たちが首尾よく処分してしまったのだ。母と暮らした小さな部屋の片隅では、母と一緒に行った夏祭りの金魚すくいで釣った金魚を一匹飼っていたけれど、その金魚がどうなったのかも分からない。たった一つの小さな命さえ子どもの自分にはどうにもならなかった。急に生活が一変し、母のいない、新たな生活に慣れるのに必死だった。ふと形見がほしかったと思ったのは新しい暮らしに馴染んでからだったと思う。母を亡くしたばかりの頃は、悲しみに浸る余裕さえなかった。自分がこんな風だったから、ご遺族もちゃんと供養したいと思うまで時間がかかるかもしれないと思い、それまで何が何でもぼくの力で、たくさんの故人のお骨や少しばかりの遺品や写真を死守すると決めていた。

 母を亡くした後の新たな日常は、児童養護施設の暮らしに慣れるところから始まった。頼れる親族もいなかったぼくは、児童養護施設に預けられ、そこで暮らすことになったのだ。時間に厳しい生活はむしろ時間割があった方が行動しやすいぼくにとって楽だったけれど、集団生活には最後まで馴染めなかった。保育園同様、なぜか仲間を不愉快にさせることが多く、友だちはできなかった。

 消灯時間になる直前、同じ部屋の仲間から明かりは消すけど、こっそりまだ起きて遊んでいようと言われても、ぼくはその誘いに応じることはなく、時間通りに就寝しようとした。別に遊びたくないとか仲間が嫌いというわけではなく、単純に時間割を優先しているだけだった。だから養護施設で働いている大人たちからは、真面目で良い子と言われることが多かったけれど、仲間からはノリの悪いつまらない奴と言われることが多かった。ノリや楽しさを優先してしまったら、時間通りには生活できない。端的に言えば、ぼくは仲間との友情より、限られた時間を優先していたのだ。人間は生まれた以上、少しずつ着実に死に向かって生きている。限られた時間を有効に使うためには、時間配分が大切で、なるべく健康に長生きするためには、規則正しい生活を送った方がいいに決まっている。時間を有意義に使うためには仲間の誘いにばかり応じることはできなかった。そのうち遊びに誘われることもなくなり、ぼくは一人遊びばかりするようになった。遊びと言っても、絵を描いたり本を読んだりするというより、仲間たちが遊んだおもちゃの後片付けをして楽しんでいた。整理整頓すると心が落ち着くような気がしたし、いつかは誰かが片付けなければならないものだから、片付けが好きな自分がやればいいと思い、率先して後片付けをしていた。そしたら大人たちからはいつもすぐに片付けてエライと褒められ、仲間からはまだ遊んでいるのに、すぐに片付けるなよと煙たがられた。別に褒められたくてしていたわけではなく、本当に心が整う気がしたから、仲間から嫌われても、後片付けはやめられなかった。養護施設では熱心に片付けばかりしていた。

 小学生になると、養護施設と同じようなことが学校でも起きた。クラスメイトからはなぜか嫌われることが多かった。たまに発言すると「空気読めない奴だな。牧本くんは黙ってて。」なんて言われることもしばしばだった。それはおそらく、話し出すとおしゃべりが止まらなくなる場合があるからかもしれない。一人でできることに関しては先生から褒められることが多かった。もう少し協調性を持ちましょうと言われることはあったけれど、先生からは基本的に良い子と言われることが多かった。友だちができないことが寂しいと思ったことはないし、一人で過ごすことも苦痛ではなかった。むしろ一人の方が時間に正確に動けて心地良かった。一人でできることと言えば、本を読んだり、勉強をしたりすることだから、そこそこ勉強は得意になった。成績が良ければやっぱり先生から褒められた。それから養護施設と同様に、教室の整理整頓や掃除も率先して行っていた。ますます先生から褒められた。

 そしてぼくは小学生の頃、ずっと「生き物係」を任されていた。低学年のうちは生き物のお世話をしてみたいと思う子は少なくないが、中学年以上になると、お世話は面倒と思う子も増え、あまり人気のない係だった。でもぼくは生き物のお世話をしたいというより、時間通りにエサをあげたり、住み処の掃除をしてあげるということが嫌いではなかったので、みんなが避ける生き物係に任命されることが多かった。

 「おい、生き物係の牧本、かっこいいカブトムシ捕まえてきたから、世話よろしくな。」
昆虫の多い夏場は特に虫を捕まえてくるクラスメイトが多かった。しかし夏というのは長い夏休み期間がある。むやみに生き物の数を増やしてしまっては、管理がたいへんだった。
「うん、分かったよ。けどこの前、大樹くんが採ってきたクワガタのお世話もしなきゃいけないし…。もうすぐ夏休みだし、カブトムシは大樹くんが家で飼えばいいよ。」
「クワガタ?あぁ、あいつは弱ってきてるから、もう捨てれば?このカブトムシは長生きさせたいからさ、うちじゃあすぐ死なせてしまいそうだし、牧本に頼むよ。」
捕えられたばかりのカブトムシと違って、クワガタの方はだいぶ動きが鈍くなっていた。
「そんな無責任なこと言うなら、捕まえなければ良かったのに…。元気なうちに逃がしてあげれば?」
「せっかく捕まえたのに、そんなの嫌だよ。牧本は生き物係だろ?黙って、おれたちが捕まえた生き物の世話をしてればいいんだよ。」
こんな風にやみくもに命を押しつけられることも多かった。

 夏休みに入る少し前、弱っていたクワガタがとうとう息絶えてしまった。
「おい、生き物係、動かなくなったクワガタはさっさと後始末しろよ。代わりに新しいカブトムシ捕まえて来たから。そのうちこの前のカブトムシも死んでしまうだろうしさ。」
亡くなった虫を邪魔にする大樹くんはまた新たな昆虫を自慢げに抱えてきた。
「後始末って言い方はしない方がいいと思う。死んでしまったんだからお墓を作って、ちゃんと供養しないと…。クワガタだって命を持つ生き物なんだから。次々新しい虫を持って来られてもお世話しきれないよ。」
ぼくはカゴから出したクワガタの亡骸をやさしく手のひらで包んだ。
「お墓?人間の遺体じゃあるまいし、死んだ虫なんて茂みに捨てればいいだけだろ。生き物係なら元気な生き物の世話を優先しろよ。」
「牧本は生き物係じゃなくてまるで死に物係だな。」
「たしかに死に物係だ。」
大樹くんとぼくの会話を聞いていたクラスメイトがそんなことを言いながら笑い始めたものだから、それ以来、生き物係のぼくは「死に物係」と言われるようにもなった。

 「死に物係、死んでしまった金魚、早く何とかしろよ。」
「カブトムシも動かなくなったぞ、死に物係。」
夏休み中も毎日生き物のお世話のため、学校に通っていたけれど、暑さのせいか夏休み明けに亡くなる生き物は少なくなかった。

 クラスで飼っていた生き物が亡くなる度にぼくは、校舎の裏に立っている大きな桜の木の下に穴を掘り、埋葬し一人で供養していた。死に物係と言われて傷つくこともなかった。生き物の命が絶えることは生まれる時から決まっていて、どんな小さな生き物にでも死は必ず訪れるものだから、出来る限り手厚く供養してあげたい。かけがえのない命が生きた証をお墓として残したい…。そんな気持ちでお墓を作っていたから、死に物係と言われることに抵抗はなかった。

 小学四年生になった春、クラスに一人の転校生がやって来た。木立瞳子(こだちとうこ)さん。一目でぼくは彼女のことが気になって仕方なくなった。恋に落ちたわけではない。彼女の髪の毛が…寝ぐせが気になってどうしようもなかったのだ。
「木立さんの席は…窓際の後ろから二番目、牧本くんの前ね。」
担任の先生からそう言われた瞳子さんはぼくのすぐ前の席に座った。
「牧本壮くん、よろしくね。」
ぼくの名札を見ながら、彼女は微笑んだ。ぼくはやっぱり彼女の髪の毛ばかり気になった。
「あ…うん、よろしくね、瞳子さん。」
彼女の目ではなく、髪の毛を見つめながら、そう挨拶した。

 授業中も黒板よりも、彼女の後姿が気になり、授業に全然集中できなかった。所々はねているあの髪の毛をクシでとかしてあげたい…。そんな思いが募り過ぎ、休み時間になった瞬間、思わず彼女の頭を触ってしまった。
「えっ?何?何かついてる?」
突然、ぼくに触られた瞳子さんは慌てて振り向いた。
「ごめん、髪の毛の寝ぐせが気になって仕方なくて…。そう簡単には直らないね。」
少し手でとかしたくらいで直る寝ぐせではなかった。
「あ、えっ、これ?これは寝ぐせじゃなくて、くせっ毛なの。だから気にしないで。」
彼女は少し恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「なんだ、寝ぐせじゃなくてくけ毛なんだね。それならいいんだ。」
くせ毛と分かったぼくは妙にほっとして、彼女の髪の毛が気にならなくなった。けれど、彼女の方はぼくとは逆に髪の毛のことを気にし始めた。
「小さい頃からずっとくせっ毛でほんと嫌なの。早くストレートパーマをかけたいんだけど、お母さんは中学生にならないとダメって。そもそもストパで矯正できるかどうかも分からないくらい頑固なくせ毛だけどね…。」
別に聞いてもいないのに、ため息を吐きながら、自分の髪の毛について語り出した。
「そうなんだ、生まれつきなら別に矯正する必要なんてないんじゃないかな。」
「そんなこと言わないでよ、さっきまで壮くんだってずっと私の髪の毛のこと気にしていたじゃない?初対面の人にはやっぱり気にされてしまう髪質なのよ。」
「うん、そうかもしれないけど、でも生まれつきですって説明すれば、ほとんどの人は気にしなくなると思う。」
その時思ったことをそのまま彼女に伝えると、
「いちいち説明なんて恥ずかしいわよ。それにそもそも気になったとしても、いきなり髪の毛を触ってくる人なんていないし、こんなこと壮くんが初めてよ。壮くんってちょっと変わった人なのね。」
彼女はなぜか機嫌を損ねてしまった。彼女にも嫌われてしまったなとすぐに分かったけれど、それが悲しいとか寂しいと思うことはなかった。そんなことは日常茶飯事でぼくにとっては当たり前のことだったから。

 四年生になってもぼくは生き物係を任されていた。
「おい、死に物係、金魚の水槽が汚くなってきてるから、なんとかしろよ。」
「牧本くん、虫かごの青虫のフンも早く片付けてよ。」
みんな都合の良い時は生き物をかわいがるくせに、汚くなったり臭くなると見向きもしなくなる。ぼくは生き物係だから、みんなは嫌がる世話もすべて引き受けていた。たしかに汚いし臭いと思うこともあるけれど、それが嫌だとは思わなかった。だって命というものは綺麗かわいいばかりでは済まされず、時に醜さや汚れもあって当たり前のものだから。汚れや臭いや死も受け止めてこそ、本当の意味で生き物を愛するということになるだろう。

 キャベツの葉をかじり、緑色のフンをしていた青虫はさなぎになり、蝶に羽化した。みんな羽化する最中は虫かごに釘付けだった。
「キレイね…命の神秘を感じるわ。」
「青虫は苦手だけど、蝶になればずっと見ていられるわ。」
「蝶になっても、このまま世話、よろしくな、牧本。」
クラスメイトからそう言われたぼくは
「せっかく蝶になったんだから、逃がしてあげようよ。」
と提案してみた。けれど、大樹くんたちは
「今逃がしたら何のために好きでもない青虫を飼っていたんだよ。死ぬまでカゴの中で面倒見ろよ。」
なんて案の定、反発した。すると側で話を聞いていた瞳子さんが
「逃がしてあげた方がいいんじゃない?」
とつぶやいた。
「転校生は黙ってろよ。おれらのクラスでは捕まえた生き物は死ぬまで飼うのが当たり前なの。何しろ、死に物係の牧本がいれば死んだ生き物はちゃんとお墓に埋葬してもらえるんだから。」
大樹くんはそんなことを言いながら、笑っていた。
「死に物係?壮くんってそんな風に言われてるの?」
彼女は表情を曇らせた。
「あぁ、生き物係の牧本は死んだ後の生き物の面倒も見て、お墓まで作るから死に物係でもあるんだよ。おれらのクラスじゃ牧本は死に物係で通用してるから。」
「うん、そうだよ。ぼくは生き物係でもあるけど死に物係でもあるから。」
言われ慣れているぼくも淡々と彼女に説明した。
「そんなこと言われて、つらくないの?悔しくないの?そんな言われ方したらいじめられてるって思ってしまう子だっているのに…。」
彼女はなぜか今にも泣き出しそうになりながら、ぼくに尋ねた。
「別につらくも悔しくもないよ。本当のことだし。」
ぼくはケロっとして言い切った。
「牧本はこういう奴だからさ、瞳子ちゃんは何も気にしないでよ。」
大樹くんになだめられても彼女は腑に落ちない顔をしていた。

 いつも通り、命が尽きるまで飼うことになった蝶は、いつも通り一週間もすると死んでしまった。放課後、ぼくはいつも通り、命尽きた蝶の亡骸をカゴの中から取り出すと、校舎の裏の桜の木へ向かった。
「一度も…空を羽ばたかせてあげられなくてごめんね。」
手の内で包み込んでいた亡骸にせめて風を感じさせてあげたくて、それを手のひらに乗せるとなるべく空高くかざした。その空には蝶の羽のような桜の花びらがはらはら舞っていた。
「壮くんって、いつも一人で死んでしまった生き物の供養をしているの?」
蝶を埋葬するため、木漏れ日が揺れる桜の木の下をスコップで掘っていると、いつの間にか背後に立っていた瞳子さんから声を掛けられた。
「あ、うん。これは生き物係のぼくの役目だから。」
ぼくは彼女の表情を確認することなく、黙々と穴を掘り進めていた。すると彼女はぼくの隣にしゃがみこんで、蝶の亡骸にそっと触れた。
「もしも…私たちのクラスで飼われなければ、もっと生きれたかもしれないのにね。空を飛んだり、好きな花の蜜を吸ったり、卵を産んだりね…。」
彼女は愛おしそうに蝶を両手でやさしく包み込んだ。
「うん、そうだね…。自然界ならもう少し生きれたかもしれない。蜘蛛の巣に捕まったり、鳥に食べられたりしなければね。ぼくももっと手をかけてあげれば、もう少し長生きさせてあげられたかもしれないけど、生き延びたとしても、結局一生、カゴの中だから…。大樹くんたちにどう思われようとも、逃がしてあげれば良かったかな。」
「あ、ごめん、壮くんのお世話が悪くて死んでしまったとか言いたいわけじゃないの。この蝶は、壮くんみたいに最後まで大切に命と向き合ってくれる人にお世話してもらえて幸せだったと思う。たとえ一度も空を飛べなかったとしても、壮くんに大事にしてもらえたんだもの。壮くんって生き物係というより、いのちの係よね。死んだ後もこんな風に最後まで命を大切に扱っているから…。」
彼女はぼくが掘り終えた穴の中に桜の花びらを敷きつめると、その上に蝶の亡骸を置いた。
「いのちの係か…。生き物係より死に物係より、いいかもしれないな…。」
彼女からもらった桜の花びらのように美しく厳かな言葉に、なんだかとても温かい気持ちになった。
「死に物係なんて壮くんにも生き物にも失礼よね。亡くなった命を最後まで丁寧に扱う壮くんはエライと思うわ。みんな元気に生きているうちはちやほやするくせに、死んでしまったら、怖いとか汚いって見向きもしなくなるんだものね。」
話を聞きながら、ぼくは彼女が置いた蝶と桜の花びらの上に土を覆い被せ、埋葬した。
「なぜかほとんどの人は生き物が死んだ途端、怖いとか気持ち悪いって思ってしまうみたいだね。ぼくはそんな風には思わないんだけど…。だって死は生の延長で、生まれた命に必ずついているものだから。ちゃんと見届けたいよ。」
「壮くんって、生き物係…いのちの係になるべくして生まれたような人なのね。私もいつか死ぬ時は壮くんにお見送りしてもらいたいくらいよ。死は生き物ががんばって生きた証みたいなものよね。私も壮くんみたいにどんな生き物の死も大切にしたい。」
やさしく微笑んだ彼女の横顔には柔らかな春の夕陽が射し込んだ。ぼくのすぐ隣のくせ毛の彼女の髪の毛は風になびくと甘い香りを漂わせ、ぼくの鼻の奥をくすぐった。そして二人で蝶のお墓に手を合わせ、静かに弔った。蝶のお墓を背に、ぼくらの影が長く伸びていた。

 ぼくのことをいのちの係と言ってくれた、寝ぐせではなく生まれつきのくせ毛で良い香りがする彼女は、渡り鳥のように一年後にはまたすぐに転校してしまった。四年生の間は飼っていた生き物が死ぬ度に必ず彼女も埋葬に付き合ってくれた。彼女が転校してくるまではいつも一人きりで死んだ生き物の供養をしていたから、二人でお見送りできた時間はなんだか一人きりより温かくて、幸せな思い出になった。埋葬された亡骸たちも一人より二人に見送られた方が幸せだっただろう。

 それから瞳子さんは音楽の時間にもぼくのことをよく助けてくれた。「牧本って、音程はばっちり合ってるのに、リズム感が全然だよな。」と歌を歌う度、大樹くんたちから笑われていた。大人になった未だに直っていない癖で、ぼくはどうしても歌い出しが人より少し早くて、人より早く歌ってしまう。しゃべり出すと止まらず、早口になってしまうのが歌にも現れているのかもしれない。だから合唱の時は、注意されることが多かった。歌が上手な瞳子さんはぼくが早く歌い出してしまわないように、やさしくリードしてくれた。そんな彼女が側にいてくれた四年生の間だけは、他のみんなに迷惑を掛けずに歌うことができたかもしれない。つまり生き物のお墓に関してだけでなく、歌に関してもぼくは彼女に感謝している。

 ぼくはずっと「牧本、牧本くん」と名字で呼ばれることが多いけれど、下の名前を呼んでくれたのは母と瞳子さんだけだった。そう言えば瞳子さんは何となく、亡くなった母に似ていた気もする。死に物係ではなく、いのちの係、牧本くんではなく、壮くんと呼んでくれた彼女はたぶん、ぼくの人生にとってかけがえのない存在だった。一緒に過ごせた時間は儚い虹のように短かったけれど、ぼくの人生の中で七色の光を放つ美しい記憶になった。そうあってはほしくないけれど、もしも彼女が孤独死するようなことがあれば、その時はぼくが彼女のことをちゃんとお見送りしてあげたい。

 そんなことを漢字は違うけれど、同じ名前の塔子さんと出会って思い出した。塔子さんは瞳子さんに似ている気がする…。瞳子さんに似ているということはつまり、塔子さんも母に似ているということになるだろうか。母に似ているかもしれない塔子さんに自分のお墓を譲ることにした。元々は無縁墓地に埋葬されている母のお骨をいつか自分で買ったお墓に入れてあげたいという気持ちがあって、こつこつお金を貯めてようやく手に入れた、空が近くて見晴らしの良い小高い丘の上にそびえ立つ墓地だった。しかし海沿いにあった母が眠る無縁墓地は震災の時、津波の被害に遭い、お骨が流失してしまい、母の遺骨は行方不明になってしまった。無縁墓地で眠る母を迎えに行きたかったのに、母の骨まで失くしたぼくは、本当にひとりぼっちになってしまったと思っていた。一人でいることが当たり前で、慣れてしまった日常だから、寂しくはないけれど、なぜか塔子さんと出会って以来、ずっと心がぽかぽか温かい。一人でいる時と違うこともすることになるけれど、新しいことに挑戦するのも悪くないと思える。日々のルーティーンに彼女と過ごす時間も加えられたらいいとさえ思ってしまう。これがもしかしたら恋という気持ちだろうか。ぼくの知らなかった、忘れていた気持ち…。瞳子さんと過ごした小学四年生の時にたぶん知りかけた気持ち…。その気持ちを四十八歳の今になってようやく知ることになるのかもしれない。

 ぼくは塔子さんに自分のお墓をあげることに決めた。大切な母を入れてあげられなかったお墓に、せめて彼女の大切なお父さんを入れてあげて、ゆっくり眠らせてあげてほしいと思ったからだ。いずれ塔子さんにもそのお墓に入ってもらいたい。もしも彼女より長生きできたら、ぼくがそのお墓を守るから安心して。何しろぼくは、小学四年生の頃、瞳子さんから「いのちの係になるべくして生まれた人」と言われたくらいだし、子どもの頃は、生き物係や死に物係と呼ばれ、大人になった今はおみおくり係をしているから安心して任せてほしい。末永く大事にするから。

 墓石を選びながら、喫茶店で塔子さんにそんなことを長々説明したら、「女性の前で好きだった女性の話をするのはどうかと思う。」とか「お墓の話をしながら、末永く大事にするなんてまるで、プロポーズみたい。」となぜか少し笑われた。

 それから「牧本さんから譲られたお墓…今回はありがたく父のために使わせてもらいますが、いつか私も入ることになると思います。歳の順で考えれば、その前に牧本さんにも入ってもらうかもしれません。牧本さんが私と一緒のお墓で嫌じゃなければですが…。」と言って、はにかんだ。それってつまりぼくと結婚してもいいということだろうか。結婚したい相手に同じお墓に入りたいと言うことがあると聞いたことがあるし。ぼくも塔子さんが好きだから、いつか塔子さんと結婚したい。塔子さんと同じお墓に入りたい。そうだ、大好きな塔子さんのために、塔子さんが好きなハクチョウの写真を撮って、プレゼントしよう。早速カメラを購入すると、珍しくぼくはまるでスキップでもするかのように軽やかに街にくり出した。瞳が捕らえた飛んでいるハクチョウをカメラに収めるのは難しかった。その時、あの日のようにその空に虹は架かっていなかった。母もいなかった。

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