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どこにでも「価値」でつながる自由

 
義理買いは 積載荷重 おすもうさん


前回、ワッショイプロデューサーやります、という記事をあげたところ
「一緒にワッショイするよ」という温かい声をいただきました。

‥‥ありがたい‥‥

ただ、私のワッショイはnote通常の企画とは違って、通年予定。

祭りは、たまにやるから楽しいんです。
宣言して初めて気がつく、ことの重大さ…

そこで、万年ワッショイの前に、お伝えしたいことがあります。


手元にぴったりの本がありましたので
ブックガイドしながら
思うところを、書いてみようと思います。

なんの話やらさっぱり?の方にも
本のレビューとして読める記事にします。

「共感を超える市場 つながりすぎない社会福祉とアート
(アトリエインカーブ編著)

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「障害者アート」と「市場」のお話です。

狭くて逃げ場のないコミュニティ うっぷす

障害者アートのマネジメントを行う
「アトリエインカーブ」という団体が
なぜ、作品を積極的に市場に押し出すのか、について書いた本です。


たとえば障害のある人たちがつくった、
区役所のロビーや福祉ショップでよく売られる、あのクッキー。

だれが買ってるか?っていうと
作り手の家族や親戚、学校教員、施設の近所の人といった
関係者や身近な人。

障害があっても頑張って社会参加し、
つくった商品を売る姿に「共感」して購入する人たち。

よく見る光景です…………が

その「共感」は「同情」ではないですか?

そんな問いから、お話が始まります。

*

いつも行くお菓子屋さんではなく、スーパーでもなく
どうして、そこで、そのクッキーを買うのか?

おいしそうだから?
おやつを切らしていて、クッキーが買いたかったから?

でも、もし「障害者がつくった」という理由が、最初に来るなら
その需要に依存し続ける関係は、いつか壊れてしまうでしょう。

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手をつなげられる人を探す

サーチ理論」というそうです。

一見、社会福祉とは縁遠い「市場」
弱肉強食のジャングルのようかもしれません。
もし「お金」=汚いもの というイメージがあるなら。

だから、社会福祉は「障がい者アート」を外に出したがらない。


一方で、市場は作品を「価値化」します。
市場で問題になるのは、作者の素性ではなく、作品の質だから。

腰痛があることを、全面に押し出すアーティストがいないのに
身長が低いことを、全面に押し出すアーティストがいないのに
「障がい者」であることを、なぜ作品の前に置くのか。

*

選択肢の多い市場では「差別しない取引」が可能

そもそも差別する人と、いきなり手をつながなければよい。

それ以前に、作品の価値が大事な市場では
社会的に弱い人だと差別をする、理由がない。


だから、一旦しがらみから離れて、もっと広い市場の中で
作品に
自然に共感できる人を探せばよい。

*

世間って、こんな感じです。
いろいろな嗜好を持った人が、まぜまぜ。(密度高すぎるけど)

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そして、先ほどの福祉施設の一角でのクッキーの売り方はこんな感じ↓
青いのが、作品(クッキー)

四角が、福祉施設マーケットの大きさ。
これだと「おいしそう」「クッキー買おうと思っていた」
ナチュラルな指向性を持つ、赤の矢印の人の数、11人

……正直………厳しい

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すると、ちょっと無理して、心を曲げて買おうとする人が出てきます。
これが「義理買い」。拡大するとこう。

赤丸の人、32人に。短期的に売上3倍増。やった〜!とぬか喜び。

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‥‥だけど、続かないよね。

そうじゃなくて、枠を広げて、同じ方向の人探しませんか
そういう考え。

狭い枠に閉じ込めなければ、市場に純粋にクッキーを買ってみたいと思う
ナチュラル赤丸向きの人は、52人。

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11+52=63

コミュニティーに囲い込み、心の向きを矯正して32人確保するか
コミュニティーの外も見回して、心のままの63人に届ける努力をする

どっちがお得ですか、どっちが長続きしますか
そういうお話です。

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「手袋を買いに」

ルールを守って取引するのが市場
ルールを守りさえすれば、どんな人かは問われない
その寓話として、新美南吉のこの物話が紹介されていました。

ある寒い冬の日。寒い寒いと凍える小狐のため
母狐は小狐と連れ立って、人間の町に手袋を買いにでかけます。

ところが、町の灯りが見えたあたりで、
人間社会にトラウマのある母狐足がすくみます

結局、小狐一匹でお使いにいかせることに。

小狐の片手だけ人間の手に変えてやり
その手に白銅貨(100円的な)を握らせて。

町の帽子屋で手袋を売っているから
お店の前に着いたら、この人間のほうの手を出して
「これに合う手袋くださいな」といってお金を差し出すんだよ
と言い聞かせ、送り出します。

帽子屋をみつけた小狐。中に入ると
「これに合う手袋くださいな」と
狐の手の方を差し出してしまう!

店主はすぐに「狐だ」と気がつくけれど
「ちょっとお金を見せてください」と、手の中のお金を確認すると
小狐に合う手袋を探し、はめてあげます。

お使いを終えて、母狐のところに戻ってきた小狐
「手袋が買えたよ!」と喜びますが
手袋をはめたその手が、狐の手のままだと気づき、びっくり!

人間は怖くない。間違った手を出しても怖いことしない」と小狐。
「人間ってそんなにいいものなのかな?」と不思議がる母狐。
               ー「手袋を買いに」(新美南吉)あらすじ

人間は、市場のたとえだと言います。

人間は、その手を見て、狐だと知っている。
本当は、皮をはぎ、狐汁にしてもいい。

でもしない。
それはなぜ?

小狐がお客さんだから。

*

実はこのお話、母狐のトラウマに、もうひとつの伏線があります。

母狐は小狐の頃、農家に忍び込み、ニワトリを盗もうとして
怒った農家の人に鉄砲で打たれかけてます

- 食べ物を盗んで、銃で打たれかけた母狐
- お金を出して、手袋を売ってもらった小狐

問題なのは狐かどうかではなく、市場のルールを守るか、守らないか

そんな寓話です。

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障がいを「くるりんぱ」する


障害者と書くか、障がい者と書くか、ここも最近微妙なところ。

ここまで意図的に「障害」と書きました。それは
障害者・・・社会の障害に直面している人
障害は社会の側にある、と考えるからです。(社会モデルというそう)

健常者の「普通」に照らし合わせて
できないことを曲げ、個性を矯正しようとするのではなく

その人が得意なことや好きなことに注目し、
それをのばしたり、続けることのできる環境づくり
をする。

私の立ち位置はこちら。

反対に、個人の身体的、精神的ハンディキャップを「害」と捉えるのが
医学モデルだそう。


同じ状況でも、どちらに問題の所在を見るかで
世界はガラリと変わります。


ここ、大事だと私は思ってます。

そして、今ある歪のほとんどは
誰かに個人に非があるより、環境に問題があることが多い
私は考えています。

この本では、こんな問題提起もされてます。
そもそも「自分に障がいがない」と言い切れる人はいるのか?

*

修行時代に設計チームの一員として関わった生涯学習センターに
プールがありました。

公共の建物なので
身障者用更衣室から階段を使わず
行き来できる動線をつくる必要があったんです。
けれど、これが難しい。

実際「身障者用」と名前のつく部屋って、いつも端っこに追いやられます。当事者意識がないと隅に寄せがちなんです。

ただ、ある時、
このプールの身障者用更衣室のユーザーのほとんどが妊婦さんだと知って
考えが変わりました。


それ、自分が将来使うかもしれない……!

*

障がいを「くるりんぱ」するという表現がありました。

障がいのため、いじめに遭うこともあるかもしれない。
でも、同時に才能の源、ギフトでもある。

一枚の絵が売れれば
スタッフ1年分の給料相当額を稼ぎ出すこともできる。

誰しも年をとれば、目も見えなくなるし、耳も聞こえにくくなる。

問題は
一人一人の個性を「くるりんぱ」して見られるかどうか

そこだと思います。

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自立した人=孤独な人?

こんな問いもありました。

自立できる人って、強い人?
一人でがんばれる人?



重度の障害のある方が、親元を離れて進学するとします。
そのときの「自立」ってどんな感じでしょう。

親元にいたときより
もっと多くのヘルパー(支援者)さんの手を借りながら
生活してそうです。


お母さんの愛情は、確かにヘルパーさんのものより深いかもしれない。
だからといって、お母さんの肩に全力でもたれかかっていたら
先にお母さんがなくなった時、どうする?

「自立」とは、ある支援が一本切れても
他の支援が網の目のように用意されていて
たくさんのバックアップがある状態
、だといいます。

福祉は弱者を救うためだけではない。
伸びようとする芽がぶつかる障害を
取り除くためにも活用されるべき


そんな言葉もありました。

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こちらがダメならあちらがある


アートは選択や選抜からは、免れられません。

作家がどんな素性であろうと
評価のつくものには、相応の値段がつき、
購入を希望する人が現れる。


これは、アート市場が公正であることの証

でも一方で、アートの評価に主観は外せない。

では、作品が未だ評価されない人、売れない人には
価値がないの?


いえ。

キュレーター(選ぶ眼)が変われば、選ばれるアーティストは変わります。

先ほども書いた、十分に広い市場の特徴
「こちらがダメでもあちらがある」という可能性。


本当に価値のあるものなら、合うキュレーターを探せばいいんです。

ただそこに、ミスマッチがあると、不当に買い叩かれる。
これ、狭いコミュニティに閉じこもっていると起こりがちです。

本当は価値あるものが、審美眼のある人に出会えていないだけの理由で
二束三文で買い叩かれる。

「世の中にはいろんな人がいて、それぞれがありたい姿でいられる」
その認識をもつことが多様性(ダイバーシティ)

*

狭いコミュニティの中で、不当な評価に甘んじるのではなく
原石にふさわしくない、厚化粧をするキュレーターを探すのでもなく
磨けば光る原石の「価値」を、原石にふさわしい方法で伝え
「市場」でフェアに取引くださる方を探す。


これが「窓18ギャラリー」で私がやりたいこと。


だから、そもそも自分の作品を市場に出そうとは思っていない方に
ゲストのお願いはしません。


コミュニティを飛び出し、広い市場でチャレンジしたいと思う方に
こちらから、お声がけするつもり
です。

*

6月初月のゲスト、みりこさんにお願いしました。

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理由の一つ目。
みりこさんが積極的にコンペに出されている姿を見たから。

みりこさんの漫画の持ち味を考えると
不利な試合で奮闘されているように、見えました。

二つ目の理由。
深い部分で共鳴できていると思ったから。

この企画を揉んでいた時
みりこさんの本格デビューを願う一心で
私がレールから外れそうになったとき
みりこさん「それは違う」と言ってくれました。

*

「窓18ギャラリー」は、将来の事業化に向けて
いろいろなコンテンツを揺らしながら
市場からどういうリアクションがあるかを、探る実験
です。

方針は決まったものの、細かいことはやりながら考えます。

私の事務所コンセプトとの親和性、季節感
ゲスト自身の風、を見ながら、流れを整えていきます。

直感を元に。だから主観です。

将来、ワッショイプロデューサーが増えることあれば
選ぶ「眼」が増える
でしょう。

だから、この試み
フォロー関係にある方で「なんで私には声かからないの」と思われても
どうか長い目で見てやってください。

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これからのコミュニティを考える

最後に、経済=economicsの語源のお話。
もとはギリシャ語の「オイコノミクス」から。

「オイコス」とは「家」

当時のギリシャでは、一部の人が広大な土地を持っていて、
富める人、そうでない人、ギリシャ人以外の人が、雑多に住んでいたとか。

そして「ノモス」これは「秩序」

だから、経済の原点とは、
バラバラの人たちが住む場所のあり方

*

今回、ご紹介した本のタイトル「共感を超える市場」。

この「共感」の意味がもうひとつわかりにくいところ
やらぽんさんが「なるほど!」な記事を書いておられたので、ご紹介。

この本にもある「共感」はsympathy(シンパシー)
同情に近いニュアンス

市場に開放するために必要な「超共感」はempathy(エンパシー)

「em」という接頭辞には「中へ」「上へ」という意味があります。
表面上の違いを乗り越えた、より本質的な価値観で共鳴という意味。

*

外の世界=怖い という思い込みを、一旦脇に置いて
はじめての人にも伝わる「価値」の伝え方を、心がけさえすれば。

「市場」とは、「価値」を通して
一生の間、会うことがないかもしれなかった同士を繋げる場だから。

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……結局、今回も長文に!(おつきあいありがとうございます)


末筆で心苦しいのですが、2つご報告!

チーム冷蔵庫による冷蔵庫企画「川ノ森千都子賞」をいただきました!

コメント欄でのやりとりきっかけでスタートした
フリーザさんにちなんで「冷蔵庫」にまつわるものなら何でもOKという
懐のふかーい、この企画。

賞に選ばれたことも、もちろんヒャッホーなんですが
私のレシピで遠隔の千都子さんが実際につくってくださったことに感激!
それぞれの特技を生かした賞って、そこもユニークです!

みなさんのコメントに愛がある。だからの大人気企画でした。

チーム冷蔵庫(フリーザさん、川ノ森千都子さん、緑川凛さんのみなさん
めちゃくちゃ楽しい企画ありがとうございました!


フリーザさんややらぽんさんとのご縁はここから。
「窓18ギャラリー」の「お互い様ブランディング」のヒントもここから。


それからもう一つ。

最後のたまごまる杯で金賞を受賞しました‥!

たまごまるさんとゼロの紙さんが選考された、こちらも激アツな祭典。
どの作品にも、ものすごい熱量の言葉が添えられていて。

ポチッと押したら、そこで参加表明
そしたら二人が記事を読みに行くって
一体どれほどの量を読みこなしたんだろう!?と思います。

プロセスを想像するだけで、ウルウルきます。


たまごまるさんは、この記事で書いたような
「市場」に価値を伝えられるプレゼンターだと思っています。
お時間許せば、素敵な作品の数々、ぜひ。

たまごまるさん、ゼロの紙さん、お疲れさまでした。
そして本当にありがとうございました!!何度でも感謝。

*

次回予告。

今、必要なことは出し切ったので(重い連投失礼しました)
次回は5月分のマイ「文化的」京都ガイドを。(もう6月ですが)

「窓18ギャラリー」の「みりこてん」とも連動して
事務所のある、京都修学院・一乗寺界隈の素敵どころをご紹介します!

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読書感想文

最後まで読んでいただきありがとうございます。心から感謝します!