「やめてみた。」から考える、暮らしの小さな常識を見直す方法
暮らしになんだか行き詰まりを感じる。
息苦しさというか。新しいことをするエネルギーがない。それは今の時期を表してのことなのか、仕事の方向性からの悩みなのか。
恐らく誰でもそのように感じる時期はあるはずだ。悩みや改善したい部分があると、つい新しいことを取り入れようとしてしまうかもしれない。だが、新しいことを始めるにはエネルギーがいる。それでは、暮らしの行き詰まり感をなくすにはどうしたら良いのだろうか。
暮らしのモヤモヤを解決するヒントは「やめてみた。本当に必要なものが見えてくる、暮らし方・考え方」にあった。やわらかい絵柄で筆者の暮らしの体験談をもとに、ものや考え方の「やめるやめない」を考えていく、癒される雰囲気のコミックエッセイである。
本書は徹底的に暮らしの無駄を排除して、時間の効率化を勧める内容ではない。判断や試した末に、やっぱりやめないこともある。無意識に使っていたもの、考え方の癖を見直して、暮らしの小さな常識を紐解いていく。この常識を見直す方法として、様々なことを「やめてみる。」のだ。
やめてみると習慣は変わっていく
私たちの周りには、ものが溢れている。日常で目にするメディアや広告は常に最新のものを紹介していて「ものをもっと買え!」と訴えてくる。
ものを買うことは悪いことじゃない。だが、本当に必要ないものまで買ってしまうのは問題だ。そして、必要ないものを使い続けてしまうことによって、自分と合わない暮らしを続けている場合だってある。必要なものかどうかの見直しをしないと、自分の判断基準まで鈍ってくるのだ。主体的に考えなくなる。
著者の「やめてみた。」きっかけは、炊飯器の故障から始まる。故障に気付いたときには既にお米は研いでいて、作ったおかずはクリームコロッケだった。絶対にお米がいる。困ってオロオロしていると、ふと土鍋が目に入る。難しそうだと思っていた土鍋ご飯だが、ネットで調べると案外簡単らしい。そして、土鍋ご飯を試してみると見事大成功。衝撃的な旨さだったという話。
「ご飯を炊くなら炊飯器」と無意識に小さな常識を持っていたが、意外と炊飯器がなくても大丈夫と筆者は気付いたのだ。さらに、タイマーや保温機能がない土鍋のおかげで計画的にご飯を炊く癖がつき、炊くまでの時間に部屋の片付けをするようになった。そして、翌朝の掃除が楽になるところまで影響が出ている。
たった1つの「やめてみた。」で、良い連鎖が偶発的に続いたのだ。より良い習慣へ変わった。自分にはもっと合った暮らし方があるのかもしれない。その可能性に気付いたエピソートが本書には具体例として紹介されている。
自分も他者も苦しめる「常識」の枠
本書のように、今の自分に本当に必要なものや考えに気付いていくと、自分の中で小さく隠れていた常識が見つかる。
常識は厄介だ。当たり前だと思っているから、自分ではなかなか気付けず、見直すこともない。さらに、自分で考え出したわけではなく、ただ世間の声に合わせてそう思わされていることだったある。
常識はものを使ったとき、他者と接したときによく現れる。なぜか使いにくいのに使い続けているもの。他者に怒りを覚えたとき。全く違う考えだったとき。
特に他者に苛立つと、つい「常識がない」と非難したくなる。だが、他者は自分と全く同じ考えはしない。ましてや、国や文化が違えば、真逆のことが常識になる場合もある。
こうした常識を「やめてみる。」と意外とスッキリして、日々の暮らしが生きやすくなる。今まで何に固執していたのだろうと。
空いたスペースには、新しいことや習慣を始める余裕だって生まれる。小さな常識が息苦しさの正体かもしれない。
好きなもの嫌いなものに気付けることが「やめてみる。」の良さだ。譲れない自分の常識だってあるだろう。ただ、それらを自分で選んで実行している感覚が重要だったりするのだ。
常識は軸ではなく、自分で決めた枠だ。それを知っているだけでも、社会の息苦しさは払拭できると思う。
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ちなみに「やめてみた。」は続編が出てシリーズ化しているので、こちらも読んでみたいと思っているところ。日常的にあるあるなシーンが多いので、筆者の体験がそのまま自分に当てはめられることが多いのも、このシリーズが人気を得ている理由かもしれない。
(All Photos by Hiro Hasuike)
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