ただの背景から被写体へ
最近、地元の静岡に帰ってきました。
いつまで滞在するかはわかりませんが、地元の田舎が嫌いで飛び出してきたのに、案外すんなり暮らせている自分に驚いています。
理由は写真に対する考えの変化だと思います。
もちろん、海外、都会、別の田舎などの様々な場所に住んで、俯瞰して見られるようになったのもありますが。
写真を始めたときも静岡に住んでいました。でも、当時は被写体ありきで写真を撮ることが多かったです。綺麗な景色、友達、面白い光景など。
それもそれで良いんだけど、段々と完璧さを求めていってしまって、狙った写真にならないとイライラするようになったんです。
自分の知っている綺麗なポイントがないと、カメラを取り出そうともしない。カバンに入ったカメラの重さを鬱陶しく感じるだけでした。
写真が全然楽しくない時期もありましたね。
ただ、最近は自分の感情や考えを大切にして写真を撮るようになりました。
被写体ありきではないので、日常の些細な変化や気付きに敏感になり、楽しく写真を撮れるようになったんです。
静岡県は田んぼと茶畑がいたるところにあります。写真のように、畑、茶畑、海が静岡のシンボル。特に西部と中部はこのような風景が多いです。
以前はこのような何でもない風景は目に入りませんでした。移動中のただの背景。
「田舎=何もないつまらない場所=写真を撮る価値がない」と勝手に狭い価値観で判断していたのだと思います。
けれども、今はあらゆることが被写体です。どう写すのかは自分次第だし、SNSで人気が出なくたって、撮りたいものを撮れば良い。
被写体はどこにでもあります。
移動中、目の前に茶畑が広がっている。
茶畑って、茶園と呼ぶらしい。そのぐらい広い。
お茶を最初に発見した人、色んな葉っぱの汁を飲んだのかな。
防霜ファン、こんな小さいのに効果あるんだね。
茶葉の深い緑、結構好きだなと気付く。見ようともしていなかったな。
(All Photos by Hiro Hasuike)
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