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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 前編 21

 中止というのは狭井檳榔の早合点で、あくまでも延期であった。

 なぜ豊璋王子の帰還が延期となったかというと、新大王の問題が百済問題よりも急を要する執政事項として浮上したからだ。

 中大兄は、当初九月中に護衛部隊を送り込み、引き続き十月には本隊を送り込もうと考えていた。

 しかし、これに待ったを掛けたのが、もちろん中臣鎌子である。

 彼は、百済援軍の派遣よりも、大王を決めるのが先決であると、これに真っ向から反対したのである。

 加えて、軍事遠征の裁可は大王が下すべきで、中大兄はあくまで大王代理に過ぎず、正式な神権の統治は存在していないと、中大兄の執政を批判したのであった。

 これには中大兄も黙っている訳にもいかず、「では、大王に即位する」と、群臣に宣言したのだが、今度は難波派だけでなく、飛鳥派代表の赤兄からも、「いましばらく、大王にはなられない方が得策です」と、反対にまわられる始末であった。

「では、私より、他に適任者がいると言うのか?」

 中大兄は、群臣の前で大声を張上げた。

 これに進み出て答えたのが赤兄であった。

「落ち着きください。何も、中大兄の資質に問題があるとは言っておりません。ただ、いまは唐・新羅軍と戦うという我が国にとっては気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)以来の一大事にございます。ここは、一致団結して事に臨まなければ、我が国は大きな痛手をこうむることになるでしょう。そのためにも、大王には統合の象徴的な人物が必要なのです。いえ、中大兄がそうではないと言っているのではありません。しかし、中大兄は我ら飛鳥の群臣と太い絆をお持ちですが、摂津・河内・和泉の群臣とは関係も薄い。それでは、大殿は纏まらないでしょう。ここは、飛鳥の群臣も摂津・河内・和泉の群臣も納得いくような人物を立てるべきです」

「だから、それは誰だと訊いているのだ?」

 中大兄の声は益々大きくなる。

「間人様です」

「間人だと!」

「はい、間人様です。間人様は、軽大王の大后であられましたし、以前にも大王候補として名前が挙がっております。それに、女性というのは不思議な力を発揮すると云います。このような国難で、必ずや間人様のお力が発揮させることでしょう」

「内臣、お前は如何思っているのだ?」

 中大兄は、大声で鎌子に訊いた。

「私も、蘇我殿の考えに賛成です」

 それもそのはず、既に赤兄の根回しが行き届いているのだ。

 それでも、中大兄は納得がいかないようだ。

「間人は、あいつはそんなことを承知はしないぞ!」

「いえ、間人様からは、私がお役に立てることならと、既にお約束は頂いております」

 中大兄の顔は真赤である………………彼は、傍らにあった脇息を蹴り倒すと、足早に出て行った。

「やれやれ、気に入らないことがあるとすぐあれだ。あれでは到底、大王などに推挙できませんな。ところで、これから如何しますか、蘇我殿?」

 鎌子は中大兄の行動にあきれながら、赤兄に訊いた。

「まあ、今日のところは我々群臣の意見を聞いて頂いたと言うことで、後は私の方から説得いたしますので」

「分かりました。お願いします」

 鎌子はそう言い残すと部屋を出て行った。

 赤兄は、深く頭を下げた。

 その後、何度となく、中大兄と赤兄の折衝が行われたが、話し合いは平行線を辿った。

 斉明天皇の治世7(661)年10月7日、政府は、西国に大王の権威を知らしめるという当初の目的は十分に達成されたということで、長津に百済援軍を待機させたまま、前大王の柩とともに、帰路の船出へと出発した。

 10月23日、宝大王の遺体は難波津に到着、11月7日には飛鳥川原で殯(もがり)が執り行われた。

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