見出し画像

掌編小説「1類」


なんか様子が変だ。


謎の人だかりができていた。こんなところで人が集まるのは非常に珍しい。久しぶりの休日だったのでゆっくり買い物を楽しもうと出かけたのだが、我々の街に突然非日常が現れていた。この世の異変というものは稀に突発的に想像しないカタチで我々に襲ってくるのが基本である。普段だったら気にせず通り過ぎるのだが、今日は無意識に刺激を欲していたのだろう、足は騒ぎの中心へ向いていた。野次馬行為に慣れていない私は恥ずかしさを紛らわすため、スマホを片手に誰かと話すフリをしながら徐々に近づき、時間をかけてなんとか騒ぎの外縁へと辿り着いた。かかとを上げて中心を覗いてみたが思いのほか人が多く、何が騒ぎの元かわからない。仕方がないので聞き耳を立ててみたところ、どうやら一人の男がここで意味不明の言葉で喚いていたらしい。それ以上の情報は掴めそうになかったのでそこから離れ、買い物を続けることにした。



分厚い封筒が郵便ポストに入っていた。封筒には何も書かれていなかった。誤配かなと封を開けると、一枚の手紙と一万円札の札束全部で30枚、そしてとても小さなボトルのようなものが入っていた。

「この封を開けてから一週間、誰にも会わないように」「一週間経ったら街で一番人が多い場所へ出かけてボトルを開けること」「騒いでなるべく人を集めるように」「書いていることをきっちり守れば、10倍の報酬を同じ郵便ポストに入れておく。」

紙にはこう書かれていた。数ヶ月前に会社を辞めて貯金がほぼ尽きかけていたのでまさに「渡りに船」というやつだった。300万円もあれば一年間のんびり暮らせるし、次の仕事をじっくり探すことができる。一瞬奇妙さが脳裏によぎったが、欲望が完全にそれを覆い被せてしまった。食料はウーバーの置き配を利用し、水はネットショップで調達して一週間閉じこもることにした。

約束の一週間が経った。ずっと家にいたせいか気だるい感じがする。熱も少し出ているようだが報酬を絶対逃したくなくて、紙に書いてあるとおりにボトルを持って繁華街へ出かけることにした。季節の割に風が冷たく感じた。久しぶりの太陽はとても眩しかった。

目的地にたどり着いてからふと気づく。どうすれば人が集まるんだろう。騒げとは書かれていたが、今まで大道芸をしたこともなければ、人に注目されるような演説をしたこともない。とりあえず大声を叫ぶ。奇妙な目を向けるだけで誰も立ち止まろうとしない。次に意味不明な言葉を唱えてみた。大声のときと状況は大して変わらなかった。頭がボーッとしてきた。次に何をしようかと考えているときに足元がふらつき尻餅をついてしまった。

見上げると数人が立ち止まって私を見ている。嬉しいという感情と恥ずかしいという感情がせめぎ合う。このまま座り込んでいればもっと人が増えるかもしれない。そういやボトルを開けるんだったっけ。頭が働かない。激しい頭痛がする。身体に力を入れることができず路上で寝そべることにした。どんどん人が集まってきた。

社会心理学で『bystander effect』という用語がある。『傍観者効果』というやつだ。ある事件に対し自分以外に傍観者がいる時に率先して行動を起こさない心理のことで傍観者が多いほどその効果は高くなるというものである。アメリカの例であるが一人の女性が暴漢に襲われたのに目撃した住人38人は助けに入らず警察に通報さえしなかったらしい。ネットでは周りにいた者を安易に批判したり叩いたりするが、それは平和な環境で過ごしている外野だから安易に言えることで、緊急事態の現場にいたらほとんどの人は見ることだけしかできなくなってしまうという、人として当然の心理状態のことである。

「私以外の誰かがきっと助けるだろう。」

彼らは倒れている男をただ見つめるだけで何もしなかった。人が多ければ多いほどどうしてもこのような心理となるまさに『傍観者効果』な状況となっていた。男が倒れてから15分ほど経っただろうか。救急車のサイレンが聞こえてきた。勇気のある誰かが通報したのだろう。男は救急車に運ばれていった。その様子をずっとスマホカメラで撮影している者がいた。不謹慎だ、撮るのやめろという野次が飛び一触触発の雰囲気となっていたが、救急車が去ると蜘蛛の子を散らすように平穏ないつもの繁華街となった。変化がなければ非日常の忘却はあっという間である。どこへ行くのか、皆忙しなく早足で歩いていた。



男が病院に運ばれて数時間後、日本に激震が走る。テレ東を含めたテレビ全局が報道特別番組へ切り替える。バイオテロが発生したということで、地下鉄サリン事件以来の超厳戒態勢となったのだ。現場周辺は完全に封鎖され、濃厚接触者と疑われた者は完全隔離されることになった。十数年前、二類相当の新型感染症で日本はパニックに陥ったことがあった。その時は緊急事態宣言が発令されても出歩く人は多数いたが、今回は宣言が解除されるまで誰一人外出する者はいなかった。

男の命は助からなかった。死因はエボラ出血熱だった。指示通りボトルを開けていたら被害はかなり拡大していただろう。コメンテーターがのんきにこうつぶやいた。

「本気出せば政府も医師会もきちんと対応できるんですね。」




#ショートショート #超短編小説 #超短編 #掌編小説 #掌編 #創作 #小説 #私の作品紹介 #ss #ss小説 #SS小説 #フィクション #指定感染症 #感染症

※この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。



この記事が参加している募集

私の作品紹介

サポート大歓迎。活動の励みになります。コメントは基本不要です。スキとフォローをして頂ければそれだけで充分です。