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キャリアに記されない女の人生。40代・50代の履歴書の読み方

先日、人材紹介会社・派遣会社のキャリアカウンセラーと話した。どちらも20代後半~30歳くらいの女性だったが、率直に思いを述べれば「君たちにはまだ早い」と感じた。(辛口ゴメン。)

 履歴書や職歴書に記されなかった、「人生の余白」部分を想像し、質問してバックグラウンドを理解する。最適な仕事とキャリアを導くプロフェッショナルであるならば、最低限のスキルだと思うのだが、私の理解が間違っているのだろうか。それとも、それは期待しすぎというものだろうか。

まだ「他人事」なのだ。彼女たち自身が近い将来経験するかもしれない課題、働く母たちが対峙する壁に無自覚なだけかもしれない。それらに気づかず仕事に邁進できるのが、20代の若さと素晴らしさでもある。かつての自分がそうだったように。

2歳児のママだというカウンセラーが、無邪気に、悪気なく私に言った。

「出産後、2年半、専業主婦だったんですね。もったいない...」

(※あなたのように健康で、育児サポート環境と理解ある人々に恵まれたママばかりではないでしょう)

「ブランクが長いですね。海外では3年間ずっと働かなかったんですか?」

(※就労ビザが無ければ働けないし、夫の会社で妻の就労が禁じられていることも多いのよ)

どこからどこまでを解説すべきか一瞬迷ったが、結局、説教臭くならないよう気を付けながら、簡潔に自分自身の身に起きたことを回答するにとどめた。心の声は飲み込んだ。結果、それが良かったのか悪かったのかは分からない。(今後の仕事紹介にどう影響するかも分からない。)

我々1970年代前半生まれ、ベビーブーマーの育った昭和の時代背景、熾烈なな受験競争、バブル経済が破綻した直後の経済社会と就職事情、働く女性・子育て主婦をとりまく状況、企業と社会の意識 etc. 何もかもが平成生まれ、令和の今の環境とは異なっている。

出産当時住んでいた横浜市の保育園は著しく不足し、待機児童問題は深刻だった。私の場合、妊娠初期からひどい悪阻で寝込み、点滴でなんとか生きのびた時期があった。もちろん仕事どころではなかった。続いて子宮筋腫が握りこぶし大になって膿み激痛で歩けず、ベッドで横になって大事をとる妊娠期間を過ごした。最終的には逆子を帝王切開で出産した。その後は、預ける保育園もなく、頼れる実家も側になく、海外出張の多い夫は普段頼れず、孤軍奮闘したあっという間の2年間だった。全てが想定外である。

区役所窓口では、今、対象区域の保育園を60名順番待ちしていると告げられ、「順番が来るころには小学生だね」と係の人と苦笑した。労りの言葉をかける夫には苛立ちをぶつけた。今働きたいから預けたいのに「今、仕事をしていないから」「夫の収入が高いから優先度が低い」という納得のいかない理由で、緊急度が低いと見なされ、最低ランクで順番待ちの長いリストに登録された。少し前に「日本死ね」というのが話題になったが、まさにそんな状況だ。身動き取れず、助けを求めても得られない。どうすればいいかのか?と途方に暮れた。

結局、近所の保育ルームの一時預かりを週に二回利用しながら、なんとか仕事へ復帰した。その後、二駅先の無認可保育園を探し出して、毎日預けられるようになった。保育料は月額8万を超えたが、仮に市の認可園通っても、我が家の場合はそれとほぼ変わらない最高額を収めることになる。ワーキングマザーを手厚くサポートする方針と、行き届いた柔軟なサービスを考慮すれば決して高くはないと言えた。園長はとても理解あるワーキングマザーの先輩であったし、物理的にもメンタル面でも大いに助けてもらった。


あれから18年が経過した。いつだって真剣に育児と仕事に取り組んでいたし、病気で入院・手術も3回した。海外引越し、国内引越し3回、中学受験と大学受験を挟んで、あっという間に走り抜けた。18年という時が経過した実感は無い。私は、履歴書に記されない部分で、自分と家族のために、目の前にある「今」を必死に生きてきたのだ。

働く母が当たり前となり、保育をめぐる環境は整い、父親の子育てへの意識は30年前とは比べて随分と改善された。育休取得や出産後の復帰、私のように夫の海外転勤で仕事をあきらめざるを得なかった駐在妻の復職も、ここ数年で認知度が上がり、いくらかハードルが下がっただろうか。

それでも、育児休暇も望めず、保育園に預けることもできず、あるいは病気や身体・心の問題、家庭事情などの制約から、一時的に仕事を離れて専業主婦になった人もいることだろう。離職やブランクの理由は人それぞれだ。人生とは、年齢が上がるにつれて予想外のことが起こるし、すべてが思い通りにはいかないものだ。それは、男でも女でも、実は何歳であっても変わりない。

少子高齢化が加速し、労働人口は減少し、日本の人手不足は深刻である。あらゆる産業で外国人労働者に頼らなければ立ち行かない超高齢社会・日本の未来は刻々と近づいている。それでは、子育てから解放された40代50代女性で補填すればいいじゃないとシンプルに思うのだが、日本企業的価値観では「年齢」「女性」という壁と差別が残り、まだまだあまり上手くいかないようだ。その打開策の一つとして、(いや、畑への種まきぐらいの下準備かもしれないが)同じくらいキャリアと人生経験のある十分に成熟した50代女性こそが、相談・ガイド役として最も相応しいと思う。

誰もが、働きたいと思ったときに、正社員に復帰し、自由に転職ができる社会。育児や仕事への多様な価値観を共有する社会。女性活躍推進、ダイバーシティなどが叫ばれて久しい。表面上は働き方改革推進中のこの令和3年に、世の中の不条理と非合理性を深々と考えさせられるのである。