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ガレージの中で終わった、名もなきバンドの話

あれは夏が始まる少し前。私たちは田舎のローカル線で出会った。

私の生まれ育った町には高校がない。町の子は中学を卒業すると、汽車に乗って市街地にいくつかある高校に通う。
汽車というのは方言のようなもので、黒い蒸気機関車で通学しているわけではなく、乗っているのはワンマン列車である。
一番長くても三両くらいのボックス席がある列車。夕方以降は一両運行、列車だけど列はなさない。ちなみにそれに乗って通学することをバスつうみたいな調子で汽車通きしゃつうと呼ぶ。


旅行者も滅多に来ず、大人たちは一人一台マイカーを所有するような車社会。早朝の汽車に乗っているのは、僻地に住む高校生たちだけだ。
基本的には一時間に一本のみ、時間帯によっては次は三時間後なんて場合もある。そんな交通事情のため、朝は乗る時間も乗る人も毎日同じ、席もおのずと指定席のように決まってくる。
なぜかわからないが私の住んでいた地域ではボックス席におとなしい子が座り、両端の横並びの席にちょっとヤンチャな人たちが座るという風習というか暗黙のルールみたいなものがあった。もちろん私はボックス席の平民だ。

朝起きると皆制服を着て髪だけ整え、飛び込むように汽車に乗る。そして約一時間ほど揺られる汽車の中で、持って来た朝ごはんを食べたり再び眠ったり、覚えたばかりの化粧をしたり、テスト前には単語帳をぺらぺらめくったり、思い思いの時間を過ごす。もう交通手段というよりは、動く家みたいなもんである。


彼は、私の町と高校の間の駅にある同じく小さな町に住んでいた。
私は始発寄りの駅だったためいつも席に座ることができたが、途中で乗り込んでくる場合はすでに座席は埋まっている。
彼は工業高校に通っていたので同じ学校に通う私の町のヤンチャな面々とも仲が良く、彼らがだらりと座る横並びの席の前にいつも立っていた。
小柄で短髪、サルっぽくてよく笑う。いじられ役というか愛されキャラみたいなポジションだったように思う。

毎日顔を合わせていても全く接点はなかったのだが、ある日帰りの汽車で私と同じ町の子が彼と一緒に座っていて「ここ座れば?」と会話の仲間に入れてくれた。
話すようになったきっかけは確かそんなような感じだったと思う。
そして私たちはすぐに意気投合した。好きな音楽がすごく似ていたのだ。


私は当時ジャズとパンクにハマっていて、町にはなかったレンタルCDショップに学校帰りに通ってはそれを聴き漁っていた。
彼は知らなかったアーティストをたくさん教えてくれ、CDも貸してくれた。私はそこからさらにパンクロックが好きになっていった。
中学生の終わり頃にギターを買いずっと一人で練習していたという彼は、高校でバンドを組みたいという野望があった。
そしてある日、私に言った。

「学校の奴らでメンバー見つけたからさ、一緒にバンドやらない?家にアンプもドラムセットも持ってる奴がいるんだ」

私はその話に飛びついた。
高校生になって自分の町以外の色々な場所や新しい人に出会い、一気に広がった世界。違う町の子と友達になって、しかもバンドを組むなんて今までの環境からはまるで考えられないことだった。
どんどん世界が広がっていくようで、高校生ってすごい楽しい、最高だと思った。


初めて集まったのは音楽機材があるという子の家だ。メンバーは私を含めて五人。みんな彼の通う工業高校の男の子で、私と彼以外は市内に住む子たちだった。

私たちは会ってすぐにあだ名を決めることにした。バンドをやるからにはステージネームが必要だろう。憧れのような気持ちと、お互い呼び捨ても「くん」「ちゃん」付けで呼ぶのもなんだか照れ臭くて、気軽に呼べる共通の記号のようなものが欲しかったのだと思う。
名字をもじった短いあだ名がもともとあった子はそのままそれを採用した。家もガレージも、そして本人もビックサイズなクマ、もう二人はヤギとシマ。私を誘ってくれた彼はコンになった。その流れで私はソンに。


クマの家には自宅の横に車が二台ほど入る大きなガレージがあり、そこが倉庫のようになっていた。
ガレージの中に入ると、そこにはコンが言っていた通りギターアンプにベースアンプ、マイクやドラムセットが置いてあった。

テレビで見るような機材が並んでいて、音楽スタジオすら行ったことがなかった私はかなりぶったまげた。当時は「へ〜こういうの、家に持ってる人もいるんだぁ」なんて驚きつつもそこまで深く考えていなかったが、あの家は結構特殊な家だったと思う。
裕福なのはもちろんだが、親が音楽好きだとかよっぽどの理由がない限り自宅にあれだけの機材が一式揃っているなんて考えられない。
なんて恵まれた環境に誘ってもらえたんだろうと今になって思うが、その時の私はあまりにも世間知らずで、タダで練習できるじゃんラッキーくらいにしか思っていなかった。


私は弓道部に入っていて放課後は練習があったが、市の公共施設を近くの高校で交代で使用していたため実際に活動しているのは週四日程度だった。
みんなも「バンドやりたい!」とは言ったものの、アルバイトをしていたり部活に入っていたため、練習は五人の予定が合う日に不定期で集まることに。
楽器ができるレベルも大体一緒で、ガレージに音楽機材が揃っているクマだけはなんとなくどれも触れるようだったが、それぞれのやりたいパートを聞いた結果、クマは一番やったことのないというベースをやることになった。

全員が好きだったパンクバンドのスコアを買ってきて、簡単そうな曲のコピーから始めた。そしてようやく数曲合わせられるくらいになった高校一年の終わり、コンはいきなり学校をやめた。


「なんでやめたんだよ」

「え?学校やめたの!?俺知らなかったんだけど」

中でも驚いていたのはヤギとクマだった。彼らはコンと同じクラスだったからだ。突然の報告に、いつものようにわいわいだらだらと過ごしていたガレージがしんとなる。

「いや、別に。なんかダルいなぁって。俺頭悪いし、高校出てもやりたいこととか別にないからもう働こうかなと思って。まぁでも大丈夫、バンドは楽しいからこのままやるよ」

コンはあっけらかんとそんなことを言って、そして本当に学校をやめてすぐにガソリンスタンドでアルバイトを始めた。


しばらくして、今度は車を買うと言い出したコン。
田舎に住んでいると、車を買うとか家を建てるって東京に比べるとイメージが全く違う。社会人として働いたり、結婚したら当たり前のように次に現れるステージという感じで話題に上がるのだ。
私たちはいいじゃんいいじゃんとその話を聞いた。
もしかしたらライブに出るかもしれないしツアーに行くかもしれないし、なんて、人前で演奏をしたこともなければこのガレージからまだ一歩も出たことすらないのに急に夢のようなことを語り出した。

クマは規格外の巨体だったため「こいつも乗せられてついでに機材も乗せてどっか行けるくらいのでかいのにしよう」と、みんなで好き放題に言って大きな車をすすめた。
私が何の気なしに言った「上が開くやつがいい!」という発言により、コンはサンルーフ付きのミニバンを中古で買った。


相変わらず練習はほどほどで、合っているのか間違っているのかわからないような演奏だったが、私たちはみんなで集まって楽器を鳴らすだけで十分楽しかった。コンが買った車でちょっと遠出をしてみたり、ガレージ以外にも色々なところにでかけた。
家が厳しかった私はクマのお姉ちゃんにアリバイ作りの電話に出てもらい、みんなでガレージに泊まったりもした。

五人で集まるといつも語ることだけは一丁前で、フェスに出るならここがいいとか、もしテレビに出たら誰が基本的にしゃべってとか、そんなくだらない話で盛り上がった。
正直、誰一人として本気でこの五人でこの先もバンドをやって人生を歩んでいくとは考えていなかったと思うが、そんな夢物語を話しているだけで楽しかった。

あの頃は、なれるなれないとかできるできないとか、そんなことを考えずに何もかも手放しで、無責任にのびのびとこれからの未来を口にできた。
何にでもなれるような気がしていたし、何にならなかったとしても今この時が楽しいというだけで十分幸せだった。


高校二年生になると、私はクラスでちょっとしたいさかいがあり、教室にいるのが苦痛になっていった。とある女の子が自分の親友の子と仲良くしていた私に腹を立て、不穏な噂を流し始めたのだ。
この地方の言い方(流行り言葉だったかもしれない)でいうところの「ぬっけ」である。間接的でマイルドないじめというのだろうか。仲間はずれ、のけものにするという意味だ。
違うクラスにいる一年生の時の友達と話したり、部活に集中することでなんとか気を紛らわせてはいたものの、クラスには居場所がなかったし鬱屈した気持ちが募っていった。

そんな時、バンドの仲間たちといるのは本当に心が晴れるようだった。
どれだけ辛くて文句を言いたくても教室でそれを表に出さなかった私は、みんなと集まって演奏をしている時にやり場のない憤りを発散させていた。心の中にしまっていた何かをぶつけるように音楽に向かった。
大好きだったパンクロックは、私のドロドロした気持ちをスカッとさせてくれたり、嫌なことを吹き飛ばすような軽快なリズムがすごく心地よかった。

バンドのみんなにはクラスでうまくいっていないことは話さなかった。男子と女子ではそういう人間関係の揉め事って性質が違って理解してもらえないような気がしたし、話したところで変に同情されるのも嫌だったからだ。
見栄っ張りでかっこつけだった私は、しれっとした顔で平然を装っていたが、その頃の私にとってガレージは唯一気を張らないでいられる拠り所だった。
一緒に演奏しているだけで悩みを相談するよりも何かを共有できている気がしたし、ただただくだらない話をしながらそこにいるだけで救われた。
ここがあれば私は大丈夫だと思えた。


いつも練習の後は大体コンの車で地元まで送ってもらい、終電の時間に合わせて駅で着くと、さも汽車に乗って帰ってきたかのように家に帰る。(汽車なのに最終列車は終電と呼ぶ不思議)
おそらく相当飛ばしていたのだと思う。車の方が汽車で帰るよりも半分くらいの時間で家に着いた。だから私は時間ギリギリまでガレージでみんなと一緒に過ごしていた。


そんないつもの帰り道。コンが急に黙り出す。

本当は、しばらく前から気づいていた。
帰りの車で、コンが二人きりになった時に私に何か言いたげなのを。そして何を言おうとしているのかを。
バンドのみんなといる時は、コンも含め四人とも私を「女の子」としては扱わずただ一緒にバカをやる仲間として接してくれた。けれど車で二人きりになると、コンの態度が変わるように思えた。

私はそれに対してどこかイライラしていた。これは八つ当たりだった。
バンドの存在を知るはずもない、私を嫌うクラスの女の子が「男にだらしがない」とか「男子にいつも媚を売っている」というような噂を流していたことにより、私はその当時そういう気配のするものにとにかく嫌悪感を抱いていた。
男だらけのバンドで、そのうちの誰かと恋愛関係になるだなんてまさにその子が吹聴していた噂通りの女になってしまうような気がして、それが嫌で嫌でたまらなかった。
私は仲間だと思っている四人とそんなくだらない関係になんてなりたくないと思っていたし、それを「くだらない」と蔑むことで自分の体裁を守ろうと必死だったのかもしれない。

それなのに、私は都合のいい時だけコンの優しさに甘えて車で送ってもらったり、そのくせコンがそういう話を持ちかけそうなタイミングになるとすぐにはぐらかして「何か」が起こりそうな瞬間をずっとなきものにしてきた。

何度目かのはぐらかしの後、コンが言った。

「はいはい。ソンは俺のこと、嫌いだからな」

「別に嫌いじゃないよ。でも、ことによっては嫌いになるかも」

「どういう”こと”?」

「今の関係以外の何か。バンドが崩れるような」

「崩れない関係もあるかもしれないじゃん」

「...ねぇこのバンド好き?ずっとやりたい?」

「そうねぇ。俺はもう働いてるからあれだし、みんなが高校出てどこ行くかはわかんないけどさ、できればずっと続けたいよね。いっつも壮大な夢ばっかり話してるけど結局まだライブすらやってないし。せめてライブくらいはしたいよな(笑)」

コンが皮肉っぽく笑いながら言った。
私はコンのそんな言葉に、鋭く突き放すように答えた。

「じゃあそうしてよ。私も今のみんなとのこの関係が一番楽しいし続けたい。でもコンがそれ以外の関係を望むなら私はバンドをやめる。私はバンドがやりたい」

「...そっか」

コンは小さくそう言った。


その後も私たちは何事もなかったかのように、暇な日に集まっては新しい曲を覚えたり、くだらない話をして過ごした。私は「やっぱりいつものこの感じが楽しいじゃん」とひっそりと胸を撫で下ろしていた。

ヤギが中学時代の友達に誘われて持ってきた小さなライブハウスでのイベントに出てみたりもして、その時録音した演奏をみんなで聴き「お前、ここ音合ってない」「ギターソロ、ミスりすぎ」「テンポ走りすぎ」なんてお互いをけなし合いながらも、思った以上に下手くそだった自分達の演奏に笑った。


私は相変わらずクラスでは浮いた存在だったが、部活で弓を引いては心を静め耐えるんだと言い聞かせ、どうしようもなくむしゃくしゃした時はガレージで思いっきり音を出してバンド仲間とバカ笑いをして、アンバランスな気持ちを浄化させていた。

コンは学校を辞めてから、姿形もどんどんパンクキッズのようになっていった。働いていたガソリンスタンドはどんな格好でも許されたようで、小ザルのように短髪だった髪が金髪のツンツン頭になったりモヒカンになったり、会う度に耳や口にピアスが増えて、ついには腕にタトゥーを入れた。
こんな田舎にもタトゥーを彫れる人がいるんだと私はコンのガリガリの腕に彫られたまだ赤く腫れているタトゥーを見ながら思った。


いつもの練習後の帰り道。
あんなに自分勝手なことを言ったのに、ガレージで集まった日はコンは必ず自分の家の先にある私の町まで車で送ってくれた。

「タトゥー、痛くないの?」

「めちゃくちゃ痛かった!でも俺、痛いの割と好きかも」

「アホや...っていうかドMかよ」

「ははは。次はここにソンの名前、入れようかな」

「は?なんで?」

「別に、なんとなく」

「バカじゃないの、謎のギャグやめろ」

「ギャグじゃねーし」

「だとしたらもっとバカ。余計やめろ」

そう言うと、コンが少し沈んだ声で言った。

「...だって、やっぱ辛くてさ。バンドも楽しいけど、でもソンと一緒にいると時々辛い。だからせめて、踏ん切りつけるためにどっかに残したいなと思って。そしたら辛いのも消えるかなって」


ロマンチストにも程がある。消えるどころか刻みつけてどうする。わからなくはないけれど、それがタトゥーなのがまた。
正直、ロマンチックを通り越してイタいだろうと私は思った。2度美味しいならぬ2度痛い。
なぜ私の名前をコンの体に刻まれなければならないのか。それこそ永遠を誓った恋人でもないのに。結局要するにそういうことかよと私はまたイライラしてしまった。

私は人の体に書き残すような大層な存在じゃない。クラスでは誰にも好かれていないぬっけにされる人間だ。
私は自分の弱さと自信のなさを隠すように、向けられた好意に対して「見る目がないな」なんてバカにして、行き場のない苛立ちをコンに向けた。
コンもバンドも好きなのに、なんで今の形が崩れるようなことを言うんだろう。結局私は女なのか。なんで他のみんなみたいには一緒にいれないんだ。
辛いんなら意味ないじゃないか。なんで。なんで。

何をどう言えばいいのか、わからなかった。
悲しいと悔しいと、申し訳なさと都合のいい自分の黒さに心がぐちゃぐちゃになってイライラが止まらなかった。
私はいつものはぐらかしで、なんとか名前を彫るのだけはやめさせようと「じゃあ私たちが初めてコピーしたバンドのロゴでも入れれば?あのマークかっこいいじゃん」と言った。それが始まりだったしね、なんてそれっぽいことを言って。
コンはその数週間後、本当にそのバンドのロゴを左腕に入れた。


コンに彼女ができたのはそれから一ヶ月後くらいのことだった。
私はガレージに行った時に先に着いていたヤギとクマからその話を聞いた。
部活で遅くなるシマと仕事終わりに来るコンは、まだガレージにはいない。

「なんか俺もよく知らないけど、結構年上らしいよ。仕事の人かなぁ?やっぱ出会いがあるっていいよなぁ。俺らの学校、女子壊滅的だからなー」

羨ましそうに言うクマに、私はしれっと答えた。

「クマもバイトとかすればいいじゃん」

「やだよめんどくさい。つーか俺、てっきりコンはお前といい感じなんだと思ってたんだけど」

「はは、んなわけない。あ、クマこないだのライブの音源、焼いてくれた?」

「あーあるある、ちょっと待って。家から持ってくる」

クマはそう言って、家の中に戻った。

「コンのこと、知ってた?」

ガレージに残ったヤギが私に聞く。

「いや、全然」

「そう。まぁ...あれだよね。いや、やっぱなんでもないわ」

「なんやねん」

ヤギは多分私たちの、というかコンの気持ちを知っていたんだと思う。
学校をやめる前、同じクラスで一番仲が良くてコンが最初にバンドに誘ったのはヤギだった。もしかするとコンはヤギに何かを相談していたのかもしれない。でもヤギは、私に何も言わなかった。


それからしばらくして、コンはだんだんと練習に来れる日が少なくなっていった。最初は仕事が忙しくなったなんて言っていたけど、後からヤギに聞いたところどうやら彼女がバンドをやっていることをあんまりよく思っていないようだった。
私はなんとなく、それは自分のせいのような気がした。そしてその予想は当たっていたんだと思う。私とシマが用事があって集まれず、ヤギとクマがだらだらガレージで遊ぶという日は前と変わらずコンもそこにいたようだったからだ。

私はまたしても猛烈にイライラした。
なんでなんだ。結局私のせいで、うまくいかないんじゃないか。
必死で守ろうとした自分の居場所が、自分のせいでなくなってしまったような気がしてどうしようもなく悲しかった。
イライラついでに「ほら私の名前なんて彫らなくてよかったじゃないか」とも思った。コンは頑張って前に進んだかもしれないのに、自分勝手に「やっぱり人の気持ちなんて簡単に変わるんだ」と心の中で八つ当たりをした。
コロコロ変わる恋愛感情なんかに負けるのか。お前のバンドやりたいってそんなもんかと思った。
本当は自分だって、自分の方が、心安らぐ場所が欲しくてバンドにしがみついていたくせに。


高校三年生になって部活も引退し、受験もあるけれど前よりガレージに行ける日が増えた。私は志望校を全て東京に決めていたので、せめて地元にいる間は少しでもみんなと集まりたかった。

そんな矢先、コンと彼女の間に子どもができて、二人は結婚することになった。
まだまだ学生生活が続く予定の私には想像もできないびっくりするような話だったが、コンはもう社会人として働いていて、彼女も年上の社会人。
二人の人生の中では、車を買うように、家を建てるように、家庭を持つというステップは自然の流れのようだった。

当然そうなってはガレージで他愛のない話をしてバンドなんてやっている場合ではない。コンはアルバイトから正社員になって、休む間もなく働きだした。


コンがほとんど来れなくなってからも最初はガレージに行っていた私も、受験勉強を言い訳にだんだんと足が遠のいてしまった。
五人でいるのが楽しかったけれど、私にとって他の三人はコンが繋げてくれた仲で、コンがいてこそ五人のあの空間があったのだと気がついた。

そして私たちはそのまま、空中分解するような形で終わってしまった。
フェスもツアーもやってないどころか、解散の言葉すら誰も言わずに終わった。


私はその後地元を出て、東京の大学に進学した。
コンが引き続きガソリンスタンドで働いているのは知っていたけれど、他の三人がどんな道に進んだのかすらわからない。
きっともう、誰とも連絡を取り合うことはないのかもしれないと思った。
あんなに一緒にいてバカ笑いしていたのに、なんだかそれがすべて夢だったかのような、不思議な気持ちになった。


大学を卒業してから、意外にも偶然の再会をしたのはヤギだった。
地元とは全く関係のない友人が「うちの職場にも北海道の人いるよ〜」なんて話していたのだが、よくよく話を聞いていくとなんとそれがヤギだったのだ。世間は狭すぎる。
そしてそれがきっかけで、私たちは東京で会うことになった。

久しぶりに会ったヤギは全く変わっていなかった。
高校を出てから二年ほど地元で働いた後、転職を機に東京に来たとのこと。

「じゃあ結構前から東京いたんじゃん。なんで連絡くれなかったの?」

「いやぁまぁ、なんとなくね。忙しいかと思ってさ」

ヤギは思慮深いというか、いつも何か思うところがあっても最後まで言わないタイプだ。

「他のみんなはどうしてる?会ったりしてる?」

「シマも一時期こっちに出てきてたんだよ。今はもう地元帰って、実家の防水屋かなんか継いだって言ってたかなぁ」

「へぇ、シマの実家って防水屋だったんだ...」

防水屋がいまいちなんなのかイメージが沸かないまま答える私。

「クマは相変わらず実家に住んでるよ。まぁあいつはたいして働かなくても、ボンボンだから」

「ははは、クマらしいね。今だに働くのめんどくせーって言ってそう」

「コンもまだ同じとこにいるよ。帰った時にでも連絡してみたら?」

「...え?なんで?」

「なんでって、四人の中ではコンが一番仲良かったじゃん。家も近いでしょ」

「いや近いって言っても、車で行く距離だよ」

「連絡したらどうせ会いに行くよ、あいつなら」


会っていいんだろうか。
私はそんなことを思った。もしかしたらコンはもう私には会いたくないかもしれない。でもあれからもう、何年も経っている。


悩んだ末、私はその年の夏に帰省した際、コンに電話をかけてみた。
コンはすぐに電話に出た。今実家に帰ってきていると言うと、ヤギの予想した通り「仕事が終わったらそっちに行くからちょっと話そうよ!」と明るく答えた。あの頃とまるで変わっていない無邪気なコンの声が聞こえた。

夜になって「高校の友達がこっちに来てるらしいからちょっとだけ駅で話してくる」と言って私は家を出た。
高校生の時ほど親は厳しくなくなっていたが、なんとなく家に来てもらうのは違う気がして、当時車を飛ばして汽車を追い越し、降ろしてもらった最寄りの駅に向かった。

コンはあの時みんなにそそのかされて買ったサンルーフ付きの白いミニバンに乗ってやってきた。
駅に着いた車に、慣れた動きで助手席に乗り込む。

「えっ早っ!よくわかったね」

「いやわかるでしょ。車変わってないじゃん」

「あぁ、そっか」

コンはどこに行くでもなく、適当に車を走らせた。
変わってないと思ったけれど、車の中はだいぶ変わっていた。後ろの座席にはチャイルドシートが二つ付いていて、あの頃はなかったテレビまである。

「久しぶり。っていうか後ろだいぶ改造したね。今、子ども二人いるの?」

「いや四人」

「は!?マジで!?」

「ははは、マジで」

コンは知らない間に、四児の父になっていた。

「一番上なんてもうすぐ小学生だよ」

「うわ〜...なんか、時空が歪んだ気がする」

「いや歪んでないから(笑)でも、ソンは全然変わんないね」

「コンも、そんなに変わってないよ」

「そう?俺やばいよ太って。腹とかプニプニだもん」


ちょっと恥ずかしそうに言いながら右手でお腹を掴んでみせるコン。相変わらず腕は細くて、髪型も黒髪ではあるものの今だにツンツン頭だったが、確かに体つきは華奢ではなくなったかもしれない。
ハンドルを持つ左手の腕にはあのバンドのロゴマーク。そしてその上の方に、トライバル柄っぽい大きなタトゥーが増えていた。
私はそのタトゥーをまじまじと見て、思わず笑ってしまった。

「え?なに?」

「いや、なんでもない」

「なんだよ」

「タトゥー、増やしたんだね」

「え?あぁ、でもこれもだいぶ前だけどね」

「そうなんだ。いや、似合ってるよ」

「そう?ありがと」

「ヒロミは元気?」

「え!?うん、元気だけど...」

「だけど何」

「...あれ?俺、嫁の名前言ったことあったっけ?なんで知ってんの?」

私はアルファベットが潜む左腕のトライバルタトゥーを叩きながら、笑って言った。

「しらねーよ!」

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