Himekusa

思いついたことを書く人です。 小説サークル「ペンシルビバップ」所属。 2021年春出…

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思いついたことを書く人です。 小説サークル「ペンシルビバップ」所属。 2021年春出産、子育てが始まりました。

最近の記事

夜を走る

寝ない子どもに手を焼くという、人間の数だけ発生していそうなイベントを地道にこなしている。 子どもは1歳半、まだほんのいくつかしか言葉を話せないのに、「や(嫌)」はしっかり語彙に入っている。 あの夜もダメだった。 まずは夕食でつまずいた。 レタスの味噌汁という名前の、実際は味噌の風味がついたレタス煮を出したのだけれど、つっぱねられた。 なんでよ、レタス好きじゃん……。 食べたらレタスだってわかるはず、一口食べてみて〜と口に運び、一口は食べてくれた。が、もう一口と差し出した時に

    • 鎌倉家は13人兄弟

      大河ドラマを見る習慣のない家に育った。 実家を離れていた時期に「新選組!」をやっていて、新選組にはまったことのあるわたしはそれだけはまあまあ見ていたけれど、それ以外は殆ど見たこともなかった。 わがやの子どもが1歳になった頃から、教育テレビをよく見るようになった。 子どもはピカピカブーとからだダンダンで踊り、わたしはわんわんが時折見せる、少しおじさんじみた仕草を見つけてみたり、カッパのみもものピュアな言動に癒されたり、おにいさん・おねえさんに優しく励まされながら忍者修行がした

      • かきごおりは300円

        もともと暑さには弱かったけど、最近はほんとうにひどい。 たとえ短時間でも暑い中歩いたりするとぐったりしてきて、涼しい部屋に入った途端にくしゃみや涙が出てきたり、かゆくなったり目が腫れたりするようになってしまった。 寒暖差アレルギーか自律神経か老化か。 子どもがまだ1歳なのに外もろくに歩けない親で申し訳ない、情けない。 暑いのが苦手なので、つめたいものは好きだ。 昔からかき氷が好きで、子どもの頃の納涼祭では、親から渡された数百円のほとんどをかき氷に使っていた。 近所のおじさん

        • 吸水サニタリーショーツを使ってみたら

          生理用品革命と噂の(?)吸水サニタリーショーツを買ってみた。 調べるとなかなかのお値段するものもあったけれど、まあ下着はもともとピンキリである。わたしはユニクロの2,000円ほどのものを買った。 生理用品にはそれほどこだわりがなく、ふつうのナプキンかタンポンを使ってきた。 実家にいた時には家族が補充してくれるものをそのまま使っていたし、自分で買うようになってからは漏れたくないからしっかりめがいいな、なるべく肌にやさしそうなやつがいいな、くらいの基準で選んできた。布ナプキンには

        夜を走る

          止まらない筋斗雲VS勇敢な姉

          子どもの頃、よく行くスーパーには小さなゲームコーナーがあった。 かわいくないぬいぐるみが入ったユーフォーキャッチャーやお菓子を押し出すタイプの機械(名称がわからない)、ガタガタ揺れるアンパンマン、じゃんけんマシーン、ポップコーンメーカーなど、小さい子どもが暇をつぶすスペースだった。 現金ではなくメダルで遊ぶシステムで、母が買い物をする間、姉とわたしは数枚のメダルを渡されてふたりで遊んでいた。メダルを増やすゲームもあり、姉はそのギャンブルに果敢に挑んでは軍資金を増やしてくれた。

          止まらない筋斗雲VS勇敢な姉

          夏休みの宿題

          夏休みになるとたくさん宿題が出る。子どもの頃、それを一覧してみるのが好きだった。 絵や習字、読書感想文など、いざとりかかろうとすると面倒でたまらないが、何を描こうかボンヤリ遠くから眺めるだけなら楽しい。夏休みは1か月以上あるのだから、焦らなくてもよろしいという気持ちでいっぱいだった。 ワークも好きだった。なにしろ新しく渡されるということにわくわくする(ワークだけに)。 好きな国語などはさっさとやってしまい、苦手な計算問題は8月末まで放置されるというのがわたしの定番であった。

          夏休みの宿題

          授乳

          妊娠中に産院でわたされた冊子に、「おっぱいマッサージをするように」という旨とそのやり方が載っていた。 コロナ禍のこと、最低限の母親学級のみだったためか、直接の指導はなかったし外来でも何も言われなかった。 察しのやたらとレトロなイラストを参照しながら、合っているのかわからないマッサージを一応してみた。 母乳がにじむこともあると書いてあったが、わたしの乳には何も起こらなかった。 乳首を強くつまんで伸ばすようにするとの記述もあった。 それはなんだか不快で、ほとんどやらなかった。 そ

          一時保育をつかってみた

          子育ては容易じゃない。とくにわたしのような、子どもと遊んだ経験の少ない者にとっては、「ばぷ」「にゃいんにゃいん」しか言わない1歳児と過ごす一日は長い。 遊び方も、ビニール袋などのゴミをこねまわしたり、箱を開けては閉めるなどの楽しさがよくわからない遊びが多い。 教育テレビで子ども向け番組をつけると(NHKプラスには足を向けて寝られない)食い入るように見つめているが、そればかりというのも罪悪感があるし。 それに、子どもにとってわたしだけが世界のほぼ全てという状況を恐ろしく思ってい

          一時保育をつかってみた

          祖父がやりたかったこと

          徒歩数分のところに住んでいたはずだが、父方の祖父はすこし苦手で怖かった。 長年の農業で日に焼け、ガハハと雑に笑い、言葉遣いも荒い、田舎のじいさんだった。 農協の役員や地域の仕事などをしていたというし、義実家嫌いのわたしの母も「基本的にいい人」と評していたので、人から慕われる人物だったのだと思う。 祖父の軽トラの荷台で感じた風は忘れられない(違法である)。 家の近くの河原で、祖父が拳で石を割った時の驚愕と、その反応を見た祖父の愉快そうな顔…… 小学校の通学路に祖父の田んぼがあ

          祖父がやりたかったこと

          子どもの性別がわかった時のこと

          ことしに入って、おなかの子の性別がわかった。 当初から性別はどっちでもいいなと思っていた。 親族は女の子が多いので、女の子であればお手本になるお姉ちゃんが多くていいなと思った。お下がりももらえるかもしれないし。 男の子だったら両家初めての男の子の孫なので喜ばれるかもしれないし、新鮮で面白そうだなと思った。 エコー中、医師は言った。 「性別、わかったら知りたいですか?」 「知りたいです!」 正直わたしは産まれるまでのお楽しみにしておいてもよかったのだけど、夫は名前を考えるため

          子どもの性別がわかった時のこと

          出産という経験

          3週間前に、赤子が誕生した。 予定帝王切開を控えた、38週のある日。 大きなおなかが苦しくて、ふうふう言いつつも産前最後の買い物に行き、夜9時前に食事を済ませた。 妊婦期間最後の晩はおだやかに更けてゆき、翌朝、オレンジジュースを一気飲み。 朝食は食べずに、飲み物は水・お茶・ジュースを8時まで飲んで良いと言われていたのだ。 たくさんの荷物を持ち(夫が)、車で産院へ向かった。とても良いお天気の朝だった。 自宅の最寄りということで選んだ産院は、全室個室。 豪華とまではいわないまで

          出産という経験

          祖父の運転

          三十数年前、わたしが赤ん坊だった頃。もちろん、記憶にはない。 父親がアメリカに長期出張することになった。数か月だか、一年だかというような期間だったと聞いた気がする。 父方の祖父とわたしの母、それから姉とわたしの四人で、祖父の車に乗って、父親を空港まで見送りに行ったのだという。 姉は幼稚園児だったので、立派にお見送りをしただろうか。 わたしは何も分かっちゃいない。 別れを惜しんだのち父は飛行機に乗り込み、長時間のフライトへ。 祖父と母と姉とわたしは帰路に着く。 成田と群馬の間

          祖父の運転

          臨月

          ついに、臨月となった。 予定日は40週0日。初産のうえまだまだ子宮頸管が長く、子宮口はしっかりと閉じているため、陣痛がくるまでしばらくあるだろう……というのが医師の見解。 しかしながら、陣痛を待たずに38週で帝王切開を行って出産することが決まった。 後期に入ったくらいの時に、低置胎盤は指摘されており、帝王切開の可能性もあるとのことだったのだが、当初は 「でも、これからお腹が大きくなってくるのに合わせて胎盤も上がってくると思うよ。下から産める可能性が高いと思います!」 と言わ

          祖母をゆるしてない

          わたしが "不妊様" をこじらせまくって、被害妄想著しくて、そんな自分が嫌でげんなりしていた頃。 実家に帰省することになった。 さいわいにもうちの家族は、わたしに子どものことを一切言ってこなかったので(腫れ物扱いだったともいえる)、ふらりと帰った。 そして、その後の成り行き上、帰省した翌朝に祖母宅を訪ねることになったのだった。 祖母は90歳をすぎてひとり暮らしをしており、健康である。 たいへんに子ども好きで、わたしも幼い頃から可愛がってもらっていた。 姉の子たちも同様なのだ

          祖母をゆるしてない

          さくらさく〜上京の思い出〜

          ことしは桜の開花が早かった。 雪も何度か降ったし、暖冬ではなかったと思う。でも2月半ばあたりから、ずいぶん暖かい日が多かった。 19年ぶりに、開花日の記録が塗り替えられたのだそうだ。 19年前。 その時のことを、おぼえている。 わたしが大学に進学した年だ。 咲いていた桜の記憶はない。 4月1日の入学式には、東京の桜は完全に散っていて、花びらの影もなく、新緑の葉が茂るばかりだった。 田舎から東京の大学に進み、わたしは学生寮に入ることになった。大学に顔見知りはひとりもいない。

          さくらさく〜上京の思い出〜

          3大欲求

          つわりによる脱水で緊急入院してから半年が経った。 一年の半分以上を、おなかの子どもと過ごしている。 何もできないほど身体がつらかったのは2か月ほどで、幸いなことにその後に訪れた、いわゆる安定期はわたしの場合は文字通りわりと安定した日々だった。 後期つわりというやつか、推し広げられて巨大になった子宮に胃が押されて多少吐き気があることもあるがその程度で、今のところ子どもは順調、異常なし。 仕事はやめてしまったので、基本的には毎日暇である。 暇なので、何かできると思っていた。 し

          3大欲求