夏休みの宿題

夏休みになるとたくさん宿題が出る。子どもの頃、それを一覧してみるのが好きだった。
絵や習字、読書感想文など、いざとりかかろうとすると面倒でたまらないが、何を描こうかボンヤリ遠くから眺めるだけなら楽しい。夏休みは1か月以上あるのだから、焦らなくてもよろしいという気持ちでいっぱいだった。
ワークも好きだった。なにしろ新しく渡されるということにわくわくする(ワークだけに)。
好きな国語などはさっさとやってしまい、苦手な計算問題は8月末まで放置されるというのがわたしの定番であった。

夏休みだからといって、やれ旅行だ海だという家ではなかった。
一度くらいは日帰りでディズニーランドに連れて行ってもらったり、時にはバーベキューもしたが、日記に何か書くことがある日は少なかった。毎日学校のプール。以上。
ありのままを書くとつまらないので、空想の人物を登場させたりポエムにしてみたりと遊び出す。
ある時「こんにちは。きょうはかようびです。」という書き出しにしてみたところ、それを読んだ姉に「日記にあいさつしてる!ギャハハ」と笑われ馬鹿にされた。
絵はほぼ母の作品となった。理科の自由研究は父の趣味だった。いずれも最後の1週間になって家族で取り組んだ。今思うと、ありがたい限りだ。過保護な家なのだ。

中二の夏休み最終日のことはよく覚えている。
市民体育館に市内の剣道部が集まり、1週間の合同練習が行われた。
少ない休憩時間になると、そちらこちらで問題集を手にうずくまる姿が見られた。
多くは、巻末の回答を参照する。そして、不自然でない程度に写したり間違えてみたりする。わたしももちろんその一人だった。あの時にすすった、凍らせたポカリの甘ったるい味はちょっと忘れられない。

そんなことを積み重ね、迎えた高二の夏はすごかった。
出た宿題を7月中に一気に終わらせたのだ。
そういうタイプの人がいることはわかっていたが、わたしはなまけものなので、やろうとしてもすぐに挫折してゴロゴロ過ごすのが夏休みだった。
図書館に通いつめて、すっきりと8月を迎えた。高校になると絵や習字などの時間がかかる宿題は出ないので、勉強だけすればよかったというのもある。
頑張った割にどんな風に8月を過ごしたのかはまったく覚えていないが、新学期明けてすぐに行われた実力テストのことはよく覚えている。
1か月の間、まったく勉強をせずに遊び呆けた結果、一学期に習ったことを洗ったように忘れてしまっていたのだ。
恐ろしい点数をとった。
そして、計画的に勉強できない自分のような者は少しづつ分散して勉強しないといけないということを知った。
大切な気づきを得たものの、次の年、高校三年生になると、それぞれ受験科目を勉強するようにということで夏休みの宿題がでることはなかった。

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