祖父がやりたかったこと

徒歩数分のところに住んでいたはずだが、父方の祖父はすこし苦手で怖かった。
長年の農業で日に焼け、ガハハと雑に笑い、言葉遣いも荒い、田舎のじいさんだった。
農協の役員や地域の仕事などをしていたというし、義実家嫌いのわたしの母も「基本的にいい人」と評していたので、人から慕われる人物だったのだと思う。

祖父の軽トラの荷台で感じた風は忘れられない(違法である)。
家の近くの河原で、祖父が拳で石を割った時の驚愕と、その反応を見た祖父の愉快そうな顔……
小学校の通学路に祖父の田んぼがあったので、祖父はわたしを見つけると声をかけてくれるのだが、祖父が気づいてくれない時にこちらから声をかけるのがなんだかはずかしくてそそくさと早足で立ち去ったこと。
わたしが大学に入り上京した頃に胃がんを患った祖父は、診断されて間もなく死んでしまった。
最後に食べたまともな食べ物は、わたしがゴールデンウィークに初めての帰省をした時に買っていった浅草の芋ようかんだったらしい。
消え入るような声で、
「いじめられてないか」
とわたしに尋ねた。
そんなことを気にかける優しいタイプではないと思っていたので聞き間違えたかと思った。

最後の父の日、母は病室にスケッチブックと色鉛筆を持っていったという。
「じいちゃんね、前に、いつか絵を描いてみたいってちらっと言ったのを聞いたことがあったから、病室で絵を描けたらいいなと思って」
父は
「親父そんなこと言ってたのか。でももう描けないかもな。描けたら遺作だな」
と言った。
その月のうちに祖父は逝った。
スケッチブックに何か描かれたのかどうか、わたしは聞いていない。
田舎に産まれ、土と植物といくつかの仕事、地域の人との関わりを繰り返した人生で祖父が描きたかったものはなんだろう。
上手には描けないだろう。
もしかしたら色鉛筆を握る元気もなかったのかもしれない。
何を描こうか考えを巡らせる時間だけでも、もしあったならいいなと思う。

雑事にまぎれ、時間がないとこぼしながら、わたしは日常を生きている。
子どもは1歳になった。成長している。
わたしもなにか。なにかしたい。本を読みたい。文字を書きたい。
なにか、なにか……

そんなふうに思うようになり、久しぶりにNOTEを更新してみる。
1秒先に「楽しみ」と笑いかける。

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