祖父の運転

三十数年前、わたしが赤ん坊だった頃。もちろん、記憶にはない。
父親がアメリカに長期出張することになった。数か月だか、一年だかというような期間だったと聞いた気がする。
父方の祖父とわたしの母、それから姉とわたしの四人で、祖父の車に乗って、父親を空港まで見送りに行ったのだという。
姉は幼稚園児だったので、立派にお見送りをしただろうか。
わたしは何も分かっちゃいない。

別れを惜しんだのち父は飛行機に乗り込み、長時間のフライトへ。
祖父と母と姉とわたしは帰路に着く。
成田と群馬の間は、高速道路を使って移動した。
親の車にはチャイルドシートがついていたというが、当時は法律があったわけでもないので、祖父の車にはついていなかったと思われる。
姉は後部座席に一人で座り、わたしは母の膝の上だっただろう。
日は暮れて暗くなっており、当然ナビなどあるはずもない。
祖父は、高速の降り口を間違えた。

「間違えた、ここじゃなかった」
手前で降り始めてしまったのである。
焦った祖父は、あろうことかライトを消し、バックで戻った。
母親は必死で、
「ライトをつけてください!バックはやめて、ここで降りましょう!」
と叫んだという。
ライトを消して高速をバックなど、後続車両がきたらおしまいだ。
しかし祖父は
「こんなとこで降りたってしょうがあんめぇ」
と意に介さずに、平然とバックで高速に戻り、何事もなかったように車を発進させたらしい。

「たまたま……たまっ……たま、後ろから車が来なかったんだよ」
母は三十年ほど経った頃に、わたしにそう語った。トラウマ級のできごとだっただろう。
その頃には、祖父はすでに故人であった。
しかし生前の振る舞いを知る者としては、はっきりと目に浮かぶようだった。
もし、少しでもタイミングが違っていたら、アメリカに着いた父に肉親の死が伝えられたことだろうと思う。
わたしは自我も何もないうちに天国へ逆戻りだ。
「おじいちゃん、早めに死んでよかったよねえ」
わたしたちはしみじみと、そんなことを語り合った。
生きていれば90代も半ばだが、酒を飲んで田舎道を運転して平然としていそうである。
運転をやめて免許証を返納するようにと誰が止めたって、聞きやしないだろう。
そういう人だった。

週末に、自分の子どものためのチャイルドシートをつけた。
事故の可能性は常に消えないし、死なずに生きている祖父のような人と出会ってしまわないとも限らない。
先祖には墓前に花でも手向けて「見守ってください」と手を合わせたいところだが、祖父に見守られるのはなんだか怖い。
決して悪人ではなかったので、今頃は天国にいるだろうか。
祖父の運転する軽トラの荷台に立って、髪を風になびかせていた気持ちよさもまた、思い出される季節である。

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