一時保育をつかってみた

子育ては容易じゃない。とくにわたしのような、子どもと遊んだ経験の少ない者にとっては、「ばぷ」「にゃいんにゃいん」しか言わない1歳児と過ごす一日は長い。
遊び方も、ビニール袋などのゴミをこねまわしたり、箱を開けては閉めるなどの楽しさがよくわからない遊びが多い。
教育テレビで子ども向け番組をつけると(NHKプラスには足を向けて寝られない)食い入るように見つめているが、そればかりというのも罪悪感があるし。
それに、子どもにとってわたしだけが世界のほぼ全てという状況を恐ろしく思っていた。

実家から離れて育児をしているため、保育園の一時保育やファミリーサポートには登録をしてあった。
「いざという時に、お願いします」
と伝えてあった。
そんな折、行政の育児相談に出かけた。
「困っていることや心配事はありますか?」
身長・体重の計測の後、保健師さんに聞かれた。化粧っ気がなくベテランの風格漂う、笑顔のさっぱりした女性だった。
いくつか健康上のことを質問し、回答を得たあとで
「子育てをしていてイライラすることがあるんです」
と言ってみた。時に声を荒らげてしまう、気持ちの切り替えが難しい、手は上げていないこと等状況をかいつまんで話した。
「おかあさん、眠れてる? ごはんは? ついぬいてしまったり、ゆっくり食べれてないでしょう。子どものことが優先になるのは仕方ないけど、自分のことも大切にしてくださいね」
と親身に言われて、なんでだか涙目になってしまった。
母乳を飲まなくなった頃に夜泣きが終わり、朝まで眠れるようになっていた。
食事も食べ忘れることはなく、逆にストレスから暴飲暴食に近いことをするほどだった。
でもわたしはなんとなく言い出せず、
「そうですね……食べられないこともあります」
と、ついても仕方のない嘘をついた。
「そうよね、ご実家も遠いし、大変よね。頑張り屋さんなのね。でもね、いいのよ、完璧じゃなくて。少々のホコリで人間は死にゃぁしないし、今はお惣菜も美味しいわ。手を抜いていいの」
そう言われて優しい言葉に涙がこぼれた。
でもわたしは完璧主義者ではないし、頑張り屋でもない。
銀行に務めていた頃、机の下に転がった印鑑をとろうと定規を差し入れたら大量の綿ボコリが一緒に出てきてしまい、とっさに定規を使ってホコリを押し戻したことがある。
偶然それを見ていた支店長と目が合ったので気まずくなり目を逸らしたら
「君、血液型は何型?」
と聞かれた。
「え、A……です……」
「それ、間違いでしょ、君はA型じゃないと思う」
と言われ、そうかもしれないと思った。
わたしはその支店長のことは好きだ。
「わたしもそう思っているところです」
と答えた。
ちなみに不妊治療中の血液検査で、わたしは正真正銘のA型であることがわかった。
話は逸れたが、そんなわけでわたしは大雑把な性格であり、完璧に家事や育児をやろうという発想すらもっていなかった。元々お惣菜は大好物である。
泣くつもりなんてなかったし、共感じゃなくて具体的なアドバイスとか、どんな状態になったらどの専門機関(精神科、児童相談所等)を訪ねるべきかということを知りたかったのだが、なんとなくウェットなかんじになってしまい戸惑った。
「それからね、一時保育って知ってる?保育園でやってるの。お金は多少かかるけど、たまには自分の時間を持つのも大切ですよ」
「一時保育なら、登録はしました。いざという時のために……」
わたしが答えると、明るく
「いざという時って、いつなのよ。すぐにでも使ったらいいわよ」
と言ってくださった。
それもそうかもしれない。小さいうちから慣れておけば、長きにわたって利用がスムーズになるだろうし、娘にとってもわたしのような親といるよりも刺激的で楽しいだろう。
わたしも久しぶりに子どもの重みを感じない時間がほしかった。
具体的な行動のアドバイスを得られてほっとしながら帰宅し、さっそく一時保育の予約をしようと電話をかけた。
電話口で、
「あさってならあいています」
と言われ、もう少し先になると勝手に思っていたので驚きつつ、申し込みをした。はじめてなので、朝から昼過ぎまでの半日にした。

それからがバタバタで、あわてて子ども用品店にかけこみ、お昼寝ふとんのセットを買った。
それから記名、記名、記名、記名である。
出産祝いに友達が贈ってくれた「おなまえスタンプ」を洋服という洋服、袋という袋、ストローマグやおむつにまでひたすら押した。
これは、「いざというとき」がきていきなりやろうとしても無理な仕事だった。

当日の朝、先生に引き渡すと子どもは泣いた。
そういう場合にいつまでもぐずぐずしていると子どもも切り替えられないため、さっさとその場から離れるようにと聞いたことがあり、後ろ髪ひかれながらもそそくさと立ち去った。
わざわざふとんを買い、長い時間をかけて記名と格闘し、あんなに泣かせて、お金をはらって、わたしは数時間の自由を得ようとしている……
気持ち悪くなりそうな罪悪感でいっぱいになったが、帰宅してしまえば好きなYouTubeを見たり子どもがいたら聴かないような音楽をかけたり、子どもと一緒ではこなすのが難しい用事にとりかかったりしながら迎えの時を待った。

先生に抱かれてきた子どもは泣きもせず笑いもせず、ただ眠そうにして、車の中ですぐに寝た。
先生の報告によると、朝はすぐに泣きやみ、きげんよく遊んで過ごしたのだそうだ。
見たことのないオモチャがたくさんある場所で、しかもほぼつきっきりで遊んでもらえたようなので、楽しかっただろうなあと思う。
遊びのレパートリーに乏しいわたしよりも、その道のプロ、ベテランの保育士さんと遊ぶ方が楽しいに違いない。
たくさん遊んでよほど疲れたのか、午後の間しばらく眠っていたのでほんとうにラクだった。
その間わたしは本を読み、スマホを見て過ごした。家事は二の次三の次である。

昼寝から起きてきた子どもはかわいい。
「ばぷ」と言いながら両腕を上にあげ、よちよちと歩いてやってきて、わたしの足元に抱きついてきた。
安心するのか、しばらく足に顔をこすりつけていたが、安心したのはこちらも同じだった。
元気で遊んできてくれてありがとう。
元気で戻ってきてくれてありがとう。
わたしはたいした親ではないけれど、だからこそできる範囲で色々な人と関わったり遊んだりする機会を提供してやりたい。
キャパシティが狭い自覚があるからこそ、一時保育というありがたい仕組みをうまく活用させていただいてなんとかやっていこう。
そう思えた。
赤ん坊らしさをまだおしりにくっつけてよちよちと歩くかわいらしさは今だけのもので、そのうち永遠にうしなわれる。
目を逸らしては勿体ないとわかりつつ、それだけ見つめていてはこちらもしんどい。
勢いで申し込んでみた一時保育は、うまい距離感のとり方についてのヒントをもらえた良い機会となった。

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