祖母をゆるしてない

わたしが "不妊様" をこじらせまくって、被害妄想著しくて、そんな自分が嫌でげんなりしていた頃。
実家に帰省することになった。
さいわいにもうちの家族は、わたしに子どものことを一切言ってこなかったので(腫れ物扱いだったともいえる)、ふらりと帰った。
そして、その後の成り行き上、帰省した翌朝に祖母宅を訪ねることになったのだった。

祖母は90歳をすぎてひとり暮らしをしており、健康である。
たいへんに子ども好きで、わたしも幼い頃から可愛がってもらっていた。
姉の子たちも同様なのだが、その曾孫を可愛がりながらも祖母は
「小学校に上がるとなかなか来てくれなくなる。塾とか行くようになるともうダメだね」
とこぼし、わたしの結婚が決まると
「早く赤ちゃん産んでよ」
としきりに言ってくるようになった。
自分の楽しみのために産めと言われているようで、気分が悪いなとは最初から思っていた。
できにくい体質だろうとわかっていたので、尚更気が重かった。
そもそもわたしは昔から、結婚や出産に興味がなかったのもあって、それらをせかすようなことを言われるのがとても嫌なので、あまり祖母のところに寄り付かなくなっていた。
とはいえ、身内なので避けられないこともある。

間の悪いことに、祖母の家を訪ねるその朝、招かれざる客である生理が勢いよくドアを開けてやってきた。
ご丁寧なことに、生理痛まで連れて。
ロキソニンを水で流し込んで、約束してしまったものは仕方ないと腹をくくって祖母の家に向かった。
祖母は、わたしの顔を一目見るなり、あいさつもそこそこに

「子どもは全然ダメなんかい」

と言った。
忘れることができない。
言葉はダイレクトにわたしに刺さった。今も抜けていない。
だってまさに、「子どもは」「全然」「ダメ」だったのだ。
その証である現象が、わたしの下腹部でまさに起こっている真っ最中。
言われた相手が祖母だというのも良くなかった。
母の母であり、女性としての大先輩。
わたしのことを産まれた時から知っている人。
子どもの世話をすることが好きで仕方ない、母性のかたまりのような女性。
これが例えば、職場の上司が相手だったならば、

「うっせえわ!」

とでも言って黙らせればよろしいし、わたしも多分傷つかなかった。
いかにネチネチしたわたしであっても、時が経てば鼻でもほじりながら「あいつうるさかったわ、そういえば〜」と言えただろう。
実際に言われたことはないが、友達に
「どうなの?」
と聞かれても何も凹みはしなかっただろうと思う。答えたければ答えるし、そうでなければ流せばいいだけだ。

わたしは自分の身体のせいで子どもを授からず、子どもを望んでいる夫を父親にしてあげることができず悩んでいた。
すでに曾孫が何人もいる祖母に、軽く触れてもらいたいことではなかった。
身近なご先祖ともいえる祖母から受け継がれてきた生命を次につなげることができないのかと、突きつけられているようにも感じた。
「あんたは子どもができなくて全然ダメ」
と言われた気がした。
わたしは勝手に、しかし大変に傷つき、祖母に対して初めて声を震わせながらブチ切れて帰った。
祖母は驚いただろう。
でもわたしだって驚いたのだ。

あとで夫に愚痴ると、
「おばあちゃんだって悪気はなかったと思うよ。他に共通の話題がないんじゃない」
と言われた。
たしかに、祖母からしてみれば何気ない会話の糸口だったのかもしれない。
でも、そんな話題しかない相手を訪ねるくらいなら、貴重な帰省の時間を使って、他に会いたい人が地元にはたくさんいるのだ。

そんなわけで、わたしは過去のその一言を今でも根に持っている。
まったくサバサバしていない。
なんにも水に流せていない。

先日、その祖母から手紙が届いた。
親族から、わたしの妊娠について聞いたのだという。
おめでとうと書いてあった。
可愛い赤ちゃんを楽しみにしているとも書いてあった。
わたしは返事を書いていないし、電話もしていない。
きっとわたしのために祈ってくれているであろう、90代の祖母に対して、こんなことでは良くないとわかってはいる。
でも、苦しかったわたしが、悲しくて仕方なかったわたしが、悩んで不妊の自分を責めていたわたしが、祖母をまだゆるしていない。

「わたしの罪をおゆるしください、わたしも人をゆるします」

だったかな、学生時代、キリスト教学の時間に教えてもらった、"主の祈り"。
未熟なわたしには、なかなか実践は難しい。
不妊の根は、深い。

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