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子どもの性別がわかった時のこと

ことしに入って、おなかの子の性別がわかった。
当初から性別はどっちでもいいなと思っていた。
親族は女の子が多いので、女の子であればお手本になるお姉ちゃんが多くていいなと思った。お下がりももらえるかもしれないし。
男の子だったら両家初めての男の子の孫なので喜ばれるかもしれないし、新鮮で面白そうだなと思った。

エコー中、医師は言った。
「性別、わかったら知りたいですか?」
「知りたいです!」
正直わたしは産まれるまでのお楽しみにしておいてもよかったのだけど、夫は名前を考えるために知りたいと言っていたのだ。
実際、わたしも性別がわからないとあまり現実味がわかず、真面目に名前を考える気にならないなと感じていた。
「女の子っぽいですね〜」
「おお、そうですか!」

いざ聞いてみて、性別というものはどっちがいいとかそういう性格のものではないとわかった。
選ぶものではないし誰にも決められないので、希望を口にするのはナンセンスだ。
受精の瞬間に決定した事実があり、数か月の間ささやかに、勝手に、ドキドキわくわくする。
あきらかになるのは生物学的な性別だけで、その先は子ども自身が判断する要素もあり、本人にもどうしようもないものだとも思ったりもする。
わたしは自分のおなかの中の子どもの性別に関してそういう実感があったのだが、そうではない人もいる。

わたしが産まれた時、2人目の子どもも女だと知って父はあからさまに落胆して母を傷つけたらしい。
父、あんたの精子の染色体が性別を決定させたのだよ。父方の祖母も、わたしの性別を知ってわたしへの興味を失っていた。
「その時に言われた言葉は忘れられない。もう二度とこの人の子どもは産まないと決めた」
と、わたしの産後の手伝いに来てくれた母は言った。
何と言われたのか、わたしは聞きたくない。

「男の子なら画数にこだわりたいけど、女の子は名前が変わるから」と夫は言った。
いやいや、今時何をおっしゃるの。
結婚するかどうかは本人が決めること。
それに、二十年後には夫婦別姓が認められるようになっていると思いたい。
夫よ、わたしは旧姓よりも夫の姓の方が魅力的だと思ったから夫の姓になったけど、旧姓も気に入っていたし変えないかもしれなかったのよ。
名前は誕生の時に親が決めないといけないし誕生時の姓も選べないけれど、先の姓については娘が決める。

性別が分かった頃から、子どもによっておなかは押し広げられ、どんどんふくらんだ。
胎動は激しくうれしい。
おなかのかゆみに悩んだり、逆流性食道炎になったり、ひたすら重かったり、それなりのマイナートラブルもまあまあありつつ臨月になり、手術室にそれこそ産まれたままの姿で仰向けになった。

「女の子です、元気ですよ」

性別を教えてくれた医師は10センチほど切り開いたわたしの腹部から赤ん坊を取り上げて、そう教えてくれた。
本当に赤ちゃんがおなかにいたんだ、本当に女の子だったんだ、先生の言ったとおりだった、エコーってすげえなあ……
感慨に涙を流しながらも、なぜかそんなことをどこか冷静に面白がっていた。

37年前にわたしが女と知ってがっかりした父は、孫も全員が女の子である。
わたしの子どもが女と知って「またか」と驚きつつ、「まあ、もうどうでもいいか」と言ったらしい。
父よ、何様なのだ。
とはいえ、父は産まれてきた孫娘にデレデレで、鼻の下を限界まで伸ばしながらわたしの娘にスマホを向けたり、2か月の赤ちゃん相手にオーバーアクションで絵本を読んでやったりしていた。

先日、我が家の女たちがお宮参りと3歳の七五三で使った着物を持ってきてもらって、娘のお宮参りにも使った。
ねえ娘よ、つよく元気に生きていこう。
女の子って、楽しいこといっぱいあるよ。
今わたしはそんな気持ちでいる。

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