夜を走る

寝ない子どもに手を焼くという、人間の数だけ発生していそうなイベントを地道にこなしている。
子どもは1歳半、まだほんのいくつかしか言葉を話せないのに、「や(嫌)」はしっかり語彙に入っている。

あの夜もダメだった。
まずは夕食でつまずいた。
レタスの味噌汁という名前の、実際は味噌の風味がついたレタス煮を出したのだけれど、つっぱねられた。
なんでよ、レタス好きじゃん……。
食べたらレタスだってわかるはず、一口食べてみて〜と口に運び、一口は食べてくれた。が、もう一口と差し出した時に器ごとひっくり返された。
怒りに満ちた目でにらみ、「やーやーやー!」と。
離乳食からほんのつい先月くらいまで、ほぼ好き嫌いのない子で、ラクでいいわーなんて思っていたのに、ここへきて突然始まった拒否にひどく落ち込んだ。

なんだか楽しくお風呂に入れる気がしないなとぼんやりしていたら夫が帰宅、子どもと入ってもらい、わたしはPlastic Treeを聴いた。
高校生くらいの頃から、落ち込んだ時はプラかラファエル、もしくはムック。
そういう部分は本当に変わらない。

寝かしつけもダメだった。
寝ない。寝ない。寝ない!
夫の気遣いまでうっとうしくなり、心の中で毒づく。
もう勝手にしてよと背を向けてふとんをかぶれば、子どもは大泣き。
我が家は集合住宅、最近「騒音に関するお知らせとお願い」が投函されていたのもあり、気になる。でも抱っこで地道に寝かしつける元気が出ない!

「ドライブしてくるわ」
と言って家を出た。夫が自分が行くから家で休んでいていいと言ってくれたけれど、わたしも頭を冷やしたかった。
ドライブの寝かしつけは最終手段だと思っている。
冬は家の外に出るのは寒いし。もっと季節が進んだらなかなか厳しいし。
なるべくなら自然と眠くなってふとんで寝る週間にしたいけど、仕方のない晩もある。

「夜のドライブに行こうね」
22時、むくむくに着膨れた子どもをチャイルドシートに押し込み、30分ほど走った。
独身の頃、仕事で嫌な思いをした日はよく、あてもなくドライブしていた。
国道をどこまでも、トラックと一緒に走って、隣の県に入ったら見慣れぬ地名や景色にわくわくして……。
そんなことももう何年もしていなかった。
24時間ファミレスが煌々と輝いて見える。駐車場は満車。
曲がる目印にしている歯科医院が真っ暗なので見逃し直進していくと、どんどん寂しい道に入って行ってしまったのであわてて戻る。
マクドナルドでポテトをドライブスルーしたくなる衝動をやり過ごす。コーヒーくらいなら買ってもよかったかな。
そうするうち、子どもを産んだ産院が見えた。
看板が光っていた。電気もついている。
小さなクリニックではあるが、産院は眠らない。
陣痛の妊婦さんは夜に光る看板に「やっと着いた」と安堵するだろう。
建物の中で今産まれようとしている赤ちゃんがいるかもしれない。
帝王切開後で発熱している産婦さんがいるかもしれない。
授乳中の親子、新生児室でおむつを替える助産師さん……。
1年半前の晩に、わたしはあの窓から外を眺めていた。見えたのは道路とラブホテルだったけれど。

そうこうしているうちに、はじめきょとんと目を丸くしていた後部座席の子どもはすやすやと眠っていた。
コンビニの駐車場では高校生らしき男の子たちが集まっていた。
夜に家を出たい事情があるという点では、彼らもわたしも同じだ。

「食べない・寝ないでイライラしたからドライブしてる」
と育児アカウントに吐露すると、すぐに顔も知らないお仲間から「わかるわかる」「この動画見ると気が楽になりますよ」とレスがついた。
この晩にひとりじゃないことが心強かった。
車のランダム再生は高橋優「涙の温度」を選んでくれた。たまに間のいいことするよね、ランダムって。

22時半なので当たり前かもしれないけれど、ご近所の家には灯りがついていた。
あの家の子はもう夢の中かな。あそこのおじいさんはテレビでも見てるのかな、犬のポチは寝てるかな。
勝手に想像しながら車は駐車場へ。
むくむくの子どもをふとんに横たえた。
やめておけばいいのに、チョコレートアイスを食べる。つめたい、おいしい。罪の味。
わたしは一晩を、生き延びた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?