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経験が想像を超えるということの実感
本を読むことを苦としなかった人生を幼少期から過ごしていたから、本を読みたいと思っても読めなくなる時が来るなんて思ってもみなかった
予想以上に早く訪れた介護経験を経て適応障害になったとき、悪阻で何もできずただ生きることに必死になった時
多少の皮膚疾患などで苦労しつつも、概ね健康優良児で生きてきた私にとって気合いと気力でどうしようもできないことに対面するのは初めてで、
本を読むことができないという
思い込みから解放される時
自分の経験値が上がり、視野が広がり、色々な方と出会い、様々な意見や考えに触れると自然と自分の視野が広がる
それと同時に今まで当たり前だった環境やその環境が故の血族、親族と呼ばれる括りの人たちの発言に疑問を感じたり、距離を置きたいと感じることが増えた
それと同時に過去の対応で幼心に理解ができないと感じていたことに対して、今ではありがたいことだったのだなと振り返ることもできるようになった
純粋に
独りでも強くなる方法
他人と話すことで共感を得たくて勇気を出して話したことに対して、「考えすぎだよ」と言われた時の絶望感を何度味わい、何度諦めの気持ちを覚えたか
これは誰も悪くないのだ
発言をした他人には他人の価値観や感受性があり
私には私の価値観や感受性がある
それらを会話という土俵に素直にだしたまでだから
他人を恨んだり、他人の何気ない言葉で自分に呪いをかけたくないと思えば思うほど、本音は出せず、建前のありき
薬は薬でもあり、毒にもなり得る
薬は適量であれば薬としての効果を発揮し、少量の場合は効果が薄れ、多量であれば毒にもなり得る
まさに人間関係も薬と似ている
自身の母との関係において身をもって感じたことだ
母がすでにこの世にいないからこそ、日々の流動的な私の感情の中に彼女の意思や感情が介入しないことによって冷静に母のことを客観視することができる
母のことは大好きだったし、別れの日には自身が死ぬのではないかと言うほど泣いた
その感
映画とは関係のない話
映画を見たベースで書こうと思ったけれど最近、映画を見る余裕がないくらいの日々を過ごしていてnoteがまた疎かに。
幼少の頃から悩んできたことがある一つの書によってストンっと自分の中できたものがあり、映画でなくても自分が生きる上で書きたいことを書こうと思ったのでnoteに戻ってきました。
物心ついた時から自分の気持ちや考えを素直に他人に話すと大半が「繊細なんだね」と繊細な人ということでカテゴライ
君の名前で僕を呼んで
CALL ME BY YOUR NAME
ひたすらに美しい映画だった
そして安直な感想だけれどイタリアに行ってみたい
そして同時に自身の姓を変えるために地元の役所へ行った際に、地元のゆったりとした時間の流れ方が、この映画の時間の流れ方に似ているように感じてnoteの存在をまた思い出しました。
スマホから目を離せない人の集団の中で
忙しなく過ぎていく日々の中で
都会の喧騒の中で
失っていく心