薬は薬でもあり、毒にもなり得る


薬は適量であれば薬としての効果を発揮し、少量の場合は効果が薄れ、多量であれば毒にもなり得る

まさに人間関係も薬と似ている
自身の母との関係において身をもって感じたことだ
母がすでにこの世にいないからこそ、日々の流動的な私の感情の中に彼女の意思や感情が介入しないことによって冷静に母のことを客観視することができる

母のことは大好きだったし、別れの日には自身が死ぬのではないかと言うほど泣いた
その感情に嘘はない

けれど今年一年、限られた環境の中で生活を強いられ、自身の考えや感情と向き合わなければならない時間が増えた
今の私の考えや感情、自己肯定感や価値観を作り出したものの大半に彼女が存在していることに気付かされ、同時に私の考える正義と彼女の考える正義、私の考える幸せと彼女の考える幸せに違いがあったことにも気付かされた


何もお互いに意思の疎通ができない今の環境だからこそ、自分の人生に大好きだった彼女の意思を介入させることから距離を置くことができている

今も彼女が生きていたらそれはそれで異なる幸せがあったと確信しているけれど、彼女のいない今、わたしはわたしで自分にとっての幸せと感じる感情と向き合えている

正しいことや正しくないかはその人の価値基準次第で正解は存在しないと思う

だから彼女のことを否定したいわけではない

ただ母と私の正義や幸せの考えが少し異なっただけで、彼女といた時間は私にとって幸せな瞬間が多かったことは事実だ
けれど母は私に干渉しすぎることがあったことも事実だ





お互いにとって適度な距離感を保ちつつ関係を構築していけば、人は互いに思いやり、分かち合い、創造することができるけれど、一歩距離感を誤って、異なる考えや価値基準の人間が、お互いの考えを否定したり、自由を阻害したり、干渉しすぎたりすると、心身のバランスを崩してしまう


だから家族であっても、恋人であっても、友人であっても、同僚であっても

近づき過ぎず、遠ざけ過ぎず
重ね過ぎず、拒否し過ぎず
期待し過ぎず、無関心過ぎず



わたしとあなたは他人だから、少しでも一緒に笑える選択をお互いにしていけたらいいよね




あなたから受け取ったもので大切にしたいものはこれからも大切にしていくけれど、わたしとあなたは血のつながりはあれど別の人間と区別しつつ、わたしはわたしの幸せと思う瞬間や場所を選択して生きていくね


お母さん、人生を全うしてくれてありがとう

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