ぐりーんさらだ

画像は人生で食べて一番おいしかったグリーンサラダです。人生振り返ってぼやきます。

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最近の記事

経験が想像を超えるということの実感

本を読むことを苦としなかった人生を幼少期から過ごしていたから、本を読みたいと思っても読めなくなる時が来るなんて思ってもみなかった 予想以上に早く訪れた介護経験を経て適応障害になったとき、悪阻で何もできずただ生きることに必死になった時 多少の皮膚疾患などで苦労しつつも、概ね健康優良児で生きてきた私にとって気合いと気力でどうしようもできないことに対面するのは初めてで、 本を読むことができないという現象と対面した時は驚いた 適応障害って一般的に世に伝えられている見解においては

    • しっかりしているね

      「あなたはしっかりしているから安心だよ、頼むね。」 「どうしてこんなにしっかりしてるのかしら、驚いちゃう」 「あなたはしっかりしてるから心配ないよ。」 きっと私の知り合いの100人に私の印象を聞いたら100人中90人は「しっかりしている」と答えるだろう。 考えるOLさんの『がんばらないことをがんばるって決めた。』にこんな一説がある。 「私は、ただしっかりしないと、ちゃんと生きられないだけだった。」 この文章を読んだ時、自分の現実を突きつけられたかのように胸が抉られつつ

      • まだまだ学習中

        てんやわんやしていた昨日から寝ずに考えて 兄が新たな提案をしてきた 冷静に話をしてくれた 父を思う気持ちは一緒だと常々思うものの話し方や声の大きさ、テンポによって圧倒されてしまい内容が入ってこなくなる時がある それはわたしが敏感な性質もあるのかもしれない 昨日のものも削除しようと思ったけれど他人になんと言われようが自分が感じてしまったことは事実で正しいも正しくないもないから、一旦残しておこう まだまだ怒りや絶望、苦悩に身を任せて記事を書いてしまううちは学びが足りないなと

        • 自己肯定感のつくりかた

          父の体調が悪く、実家に帰ってきたそれによって実家にいる兄とも対面 アスペルガーは父だけでなく兄もだと実感 前回から知識と認識が増えたがために一つ前の記事のように憎悪に心は乱れないものの 平行線の会話 怒涛に自分の意見ばかりを連続して発言 感情的にかつ一方的に投げ捨てられる言葉 普段生活をしていたら聞き慣れないような脅迫 相手を敵と思い、攻撃する姿勢 自分のテンポで散らかる会話 ころころ変わる機嫌 それら全てに心が限界を迎えて泣くことしかできなかった しかし私の家はア

        経験が想像を超えるということの実感

          家族 血族 姻族

          大人になって自分の環境を第三者の目線から見た時にそれは異常だったと気付く 他人と比較すれば上も下もいるから一旦それは置いておくことにするが、不安定な中でも愛を求めて諦めず愛を送って、調和と絵に描いたような仲の良い家族を求めてきたが、もう割り切りが必要な時にきているのかもしれない きっかけはこのコロナ禍と私の結婚式だ 幼心に自身の家は不安定だと感じていた 毎日の兄の怒号と自身に発される否定の言葉 収められないがゆえに諦める両親 家から締め出されたこともしばしば 父のアス

          家族 血族 姻族

          思い込みから解放される時

          自分の経験値が上がり、視野が広がり、色々な方と出会い、様々な意見や考えに触れると自然と自分の視野が広がる それと同時に今まで当たり前だった環境やその環境が故の血族、親族と呼ばれる括りの人たちの発言に疑問を感じたり、距離を置きたいと感じることが増えた それと同時に過去の対応で幼心に理解ができないと感じていたことに対して、今ではありがたいことだったのだなと振り返ることもできるようになった 純粋に親族、血族だからといって仲良くしたいと思う気持ちや親族、血族という括りだけでいっ

          思い込みから解放される時

          愛を持って接したい

          自分の人生だからこそ愛を持って自分や他人と接したい 悲しくて苦しくて寂しくて泣いたり眉間に皺を寄せることも人生において貴重な機会だけれど、それでもやはり心身の負担を考えると楽しくて嬉しくてワクワクして笑ったり目尻を下げたいではないか そのためにはまずは自分に他人に愛を与えることから始まると思う 全員に一律の形の愛は無理だし、自分がなくなってしまうからどんな形であれ愛を持って接してみよう 欲しがることばかりでなく、与えることの大切さを忘れたくないなあ 人生は満たされ続け

          愛を持って接したい

          過ぎた幻想

          夏に向かう季節になると大学生時代に思いっきり恋愛にどっぷり浸かった思い出たちを思い出して胸が少しだけきゅーっと締め付けられる 大学生の夏休みの間をずっと一緒にいたかつての彼は元気だろうか 人生においてここまで価値観の合う人はいるのだろうかと幸せが身体中から溢れ出していた日々を思い返すと、今の平穏な日常にほんの少しだけ物足りなさを感じてしまう でも隣にいない今こそが全てを物語っていて 好きな食べ物や好きな音楽、お腹の空くタイミングに眠くなるタイミング、起きるタイミング、

          独りでも強くなる方法

          他人と話すことで共感を得たくて勇気を出して話したことに対して、「考えすぎだよ」と言われた時の絶望感を何度味わい、何度諦めの気持ちを覚えたか これは誰も悪くないのだ 発言をした他人には他人の価値観や感受性があり 私には私の価値観や感受性がある それらを会話という土俵に素直にだしたまでだから 他人を恨んだり、他人の何気ない言葉で自分に呪いをかけたくないと思えば思うほど、本音は出せず、建前のありきたりな会話になる 苦しいなあ 結局、人間皆独り 悲しみや苦しみや怒りは全て自

          独りでも強くなる方法

          薬は薬でもあり、毒にもなり得る

          薬は適量であれば薬としての効果を発揮し、少量の場合は効果が薄れ、多量であれば毒にもなり得る まさに人間関係も薬と似ている 自身の母との関係において身をもって感じたことだ 母がすでにこの世にいないからこそ、日々の流動的な私の感情の中に彼女の意思や感情が介入しないことによって冷静に母のことを客観視することができる 母のことは大好きだったし、別れの日には自身が死ぬのではないかと言うほど泣いた その感情に嘘はない けれど今年一年、限られた環境の中で生活を強いられ、自身の考えや感

          薬は薬でもあり、毒にもなり得る

          かっこよくて可愛くて素敵な大人

          これは生物学的に女の人に限った話になるけれど、毎月生理前には心身ともに不調になってしまうものの、いざ生理が始まると今までの不調の理由が目に見えるために「解放される日がすぐそこだ」と感じて、私の場合とても前向きになれる。 HSPである私だからそんな時はとんでもなく幸せを感じて、「これからは力強く生きられる、前向きに生きられるんだ。なにしよう。幸せだなあ。」と心から思える。 しんどくなる時もたくさんあるけれど、こんな時は女性の性を授かって良かったと感じる。 対人との関係性で

          かっこよくて可愛くて素敵な大人

          自分が見えたとき

          またもや期間があいてしまった 最近は夫と喧嘩が絶えず、その理由がなぜなんだろうと思って自分と向き合ったら答えが出ました HSS型HSP 小さい頃から自分のことよりもまず他人の顔色を伺って、他人の言動を考えすぎて、他人の判断に振り回されていた自分 他人に考えや気持ちを話すと 「考えすぎ」「繊細なんだね」「めんどくさい」「普通そこまで考えないよ」 他人基準に生きていたこともあり、他人から得たい答えや反応はなく、どんどん考えや感情を表に出すことを辞めて、にこにこしてた だか

          自分が見えたとき

          死にたくなる夜

          死にたくなる夜 こんなことを言ったらきっと一部のたちには怒られるのだろう けれど私の人生は死にたくなる夜を超えてつくられてきたのだ いじめをうけた日々の夜 思春期に一番仲が良いと思っていた子に体重を公開されて異性に重くてきもいと言われた夜 誰といても一人ぼっちに思えた夜 恋人と分かり合えない日々が続いた夜 家族に翻弄されて悩んだ夜 母親が死んだ夜 宗教に振り回されて疲弊した夜 初めて恋人からふられた夜 まだまだある なんとか死にたい夜を乗り越えて今私はここにいる し

          死にたくなる夜

          映画とは関係のない話

          映画を見たベースで書こうと思ったけれど最近、映画を見る余裕がないくらいの日々を過ごしていてnoteがまた疎かに。 幼少の頃から悩んできたことがある一つの書によってストンっと自分の中できたものがあり、映画でなくても自分が生きる上で書きたいことを書こうと思ったのでnoteに戻ってきました。 物心ついた時から自分の気持ちや考えを素直に他人に話すと大半が「繊細なんだね」と繊細な人ということでカテゴライズされる、もしくは「考えすぎ」とそれ以上の言葉を遮るような言葉をかけられた。 自

          映画とは関係のない話

          君の名前で僕を呼んで

          CALL ME BY YOUR NAME ひたすらに美しい映画だった そして安直な感想だけれどイタリアに行ってみたい そして同時に自身の姓を変えるために地元の役所へ行った際に、地元のゆったりとした時間の流れ方が、この映画の時間の流れ方に似ているように感じてnoteの存在をまた思い出しました。 スマホから目を離せない人の集団の中で 忙しなく過ぎていく日々の中で 都会の喧騒の中で 失っていく心のゆとりと 変わっていく時間に対する価値観 ああ、忘れたくないと思いながら 地

          君の名前で僕を呼んで

          愛がなんだ

          エステで機械にかけられていたら突然noteの存在を思い出して、書きたい感情が溢れてきました。 最近で一番モヤモヤした映画 愛がなんだ 恋愛体質なテルコ 人によって感じ方の異なるまもちゃん 学生時代の初めてどっぷり恋愛に浸かって留学の夢もお金も自律も失っていたあの頃の自分を思い出すが故に もう戻りたくない という気持ちと テルコを通して昔の自分への嫌悪感 が 蘇ってきてなんだかテルコを全て否定したくなってしまった。 でもその人にはその人の人生があり、他人が否定して