追悼・山田太一先生 23.12.17

去る2023年12月1日、脚本家の山田太一先生が亡くなったというニュースが流れた。

ちょうどその時、上京する準備でバタバタしていたため、追悼記事を書けなかった。


山田先生と言えば、倉本聰先生と並ぶ、脚本家のレジェンドであり、数々の名作を世に送り出している。

特に、山田先生の『想い出づくり。』と倉本先生の『北の国から』は裏番組同士となり、大きな話題となった。だが、当時子供だったのと、田舎にネットされていないなどの理由で、残念ながら両方とも当時拝見していない。



僕が生まれたのは、1969年・昭和44年だが、「生い立ちの記」と記されたアルバムに、同年に流行ったテレビ番組として『パンとあこがれ』と書かれている。

これは、今で言う朝ドラの民放版で放送されていたドラマで、山田先生が脚本を担当されていた。

もちろん、リアルタイムでは観た記憶がないが、先日某チューブで、冒頭の数分がアップされているのを観た。

ちなみに、3年後の1972年、本家NHK朝ドラの『藍より青く』を担当されている。


『岸辺のアルバム』『ふぞろいの林檎たち』など代表作は数限りなくあるが、個人的に強く印象に残っているのは、1984年に放送された『輝きたいの』。

新人女子プロレスラーの話で、いわゆる青春スポーツ根性物だが、山田先生らしい群像劇でもある。

今井美樹さんの女優デビュー作としても有名。

さらには、同名のタイトル曲が切なくて胸に来る。

のちに、北斗晶さんが自身を励ました曲として紹介し、反響を呼ぶ。


一回ドラマで観て、その後図書館でドラマシナリオ本を借りて読むぐらいにはハマった。

その後、いろいろなシナリオ本を読んで、よりドラマに傾倒していくことになる。


●●●●(僕の本名)が、「飛田流」になる過程での重要な役割を果たしたドラマだった。



山田太一先生、本当にありがとうございました。



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