見出し画像

励まされなくとも 22.9.6

僕は、自分の文章に「いいね」が欲しいときは、「『いいね』」をください」とはっきり言うことにしている。

なぜなら


黙っていても来ないから。


フォロワーが千人も万人もいるような人気者とはわけが違うのだ。


なお、「『いいね』」をください」「励ますチャンスですよ」とわざわざ言っているにも関わらず、

まったくの無反応で

セルフ公開処刑。



ただ、僕はそれをするのがそんなに嫌いではない。

昔から調子に乗りやすいので、「俺そこそこ人気あるー♪」とうぬぼれることも多いのだが、あえて問いかけてみて、

現実を知る

手法。



以前はこういう性格と知られていなかったのか、それともお愛想だったのか、コメント・いいね・リツイートをいただくこともまぁまぁあったが、現在はごくごく限られた方のみ。いつもありがとうございます。


だが、僕も僕で、今度はそれが当たり前のような感覚となり、「今日も当然いいねくれるよねー」みたいなゴーマンさが顔を出す。


けれども、なんらかの理由でそれがパタリと途絶えると、いかにその好意に甘えていたかを思い知る。いいね依存。平たく言えば承認欲求大好き男。


もともと、駄文を書いて発表しているのだから、承認欲求は強いのだと思う。けれども、わけのわからない文章ばかり書いていて、ファンが増えるなどと考えているほうがどうかしている。


自分が書きたいものばかりを勝手に書き続けて、周りから人が去っていくなか、リアクションを定期的にしてくださる方の存在は本当にありがたく、本来ならお礼を申し上げなければならない。


「今日も当然いいねくれるよねー」


などと、のうのうとほざいている場合ではないのだ。



その一方、フォローしてくださっている方のツイートは(たとえ年単位で反応をいただかなかったとしても)、気に入ったもの・励ましたいものには気軽にいいねするようにしている。

僕が励まされなくとも、僕は励ます。



自分のツイートにはいいねをもらったことがない?

それはまぁ、僕にも好みがあるので……。(^_^;


それでも、もしフォロワーさんが「自分のツイートにいいねをしてください」とつぶやいているのを見かけたら、微力ながらいいねをさせていただく。

暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう。



僕ごときにいいねをもらってもあまりうれしくないだろうが、「枯れ木も山の賑わい」という言葉もあるし。



ごく一部のフォロワー・読者の方へ。

まず、こんなツイッターやブログに反応いただいてありがとうございます。本当に心の支えです。

これからもよろしく……とは言わないけれど、こちらからはお嫌でなければ時々いいねなどで反応させていただきます。永遠にとは申しませんが。


それ以外に何もできませんけど、気が向いたらまたいらしてください。

あなたが好みそうな文章を用意してお待ち



はしないけど。




この記事が参加している募集

スキしてみて

いただいたサポートは、飛田流の健全な育成のために有効に使わせていただきます。(一例 ごはん・おかず・おやつ・飲み物……)