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石巻が育てた天才彫刻家たち

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石巻市複合文化施設「マルホンまきあーとテラス」には、地元出身の彫刻家高橋英吉(1911―1942年)の作品群が展示されています。震災前の文化センターに常設展示され、人々に感動を与…
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#歴史

昭和28年 市制20周年記念の像

昭和28年 市制20周年記念の像

 私の目の前に昭和28年に撮影された石巻市制施行20周年記念の「石母田正輔翁像」(正輔像)除幕式後の写真があります。

 達の日記が27年11月6日の野田眞一翁像完成で終わり、写真のアルバム、新聞記事のスクラップ帳を見ても正輔像がどうなったのか分かりませんでした。

 ある時、別な資料を見ていると「石母田正輔翁」という文字板が見える見覚えのある胸像の写真が出てきました。記憶をたどると私の石巻生活が

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昭和27年 謎が残る最後の日記

昭和27年 謎が残る最後の日記

 私の手元に昨年3月からしばたの郷土館(柴田町)で開催された「小室達生誕120年展」のリーフレットがあります。展示作品には、開催の半年ほど前に発見された6点が含まれていました。

 そのうちの木彫3作品「白拍子」、「一條一平壽像」(白石市の鎌先温泉一條旅館17代目)、「野田眞一翁像」(南郷村の篤志家)は昭和27年の代表作です。それぞれが、どのように制作されたのか日記で調べていると、6月8日に「石巻

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昭和12年 今も残るゆかりの場所

昭和12年 今も残るゆかりの場所

 私の目の前に「鶏釜めし」があります。場所は「割烹滝川」です。

 昭和12年7月15日から石巻を訪問した達は、3日目にいろいろな場所に行きました。日記には「木村得太郎氏らと4人で小室十郎君を訪ね、宝印舗に寄った。石母田前市長を訪ね就床中故遠慮し後、毛利コレクションを見学す。三万点のコレクションあるに驚きさらにあらゆる方面の造詣深く全く斯道の学者である。この頃より雨となり此処を辞去して松泉堂支店に

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昭和12年9月 水利事業の功労者

昭和12年9月 水利事業の功労者

 私の目の前に達のアルバムに貼られた「氏家栄次翁 桃生郡佳景山」と書かれた写真があります。日記を調べると昭和12年に制作されたことが分かりました。

 始まりは3月15日「鹿又村の熊谷喜蔵氏から水利翁氏家氏の胸像建立するに就きその代価の問い合わせに接した」でした。その後、制作を依頼され、5月5日に渡辺忠右ヱ門と一緒に佳景山の広渕水利事務所を訪ねました。

 そこで、胸像建設委員に会い建設予定地を調

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第1部 英吉と達 平成30年 日記に導かれた出会い

第1部 英吉と達 平成30年 日記に導かれた出会い

 来年完成する石巻市複合文化施設には、地元出身の彫刻家高橋英吉(1911―1942年)の作品群が展示される。震災前の文化センターに常設展示され、人々に感動を与えた代表作「海の三部作」などが10年ぶりに戻って来ることから、英吉と作品を改めて見直す機会も増えている。そんな中で、宮城県出身のもう一人の彫刻家小室達(1899―1953年)との関係に着目する鈴木哲也さんが、2人の交流や足跡、ゆかりのある人々

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部英吉と達② 昭和7年【記念すべき初対面】

石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部英吉と達② 昭和7年【記念すべき初対面】

(随時掲載・第1部全12回)

 私の目の前に昭和7年に書かれた小室達の日記があります。今いる場所は「しばたの郷土館」(柴田町)です。

 平成28年、伊達政宗公騎馬像(政宗像)を達が制作した時の工程や心情、時代背景について調べました。制作期間は昭和8―10年の1年半でしたが、しばたの郷土館に保管されている達が残した日記(昭和3―27年)や写真、新聞の切り抜き(いずれも非公開)を見ることができたの

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達③ 昭和9年【再会して目にしたもの】

石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達③ 昭和9年【再会して目にしたもの】

 私の手元に「青春の遺作 高橋英吉 人と作品」という本があります。昭和60年度サントリー地域文化賞受賞記念として出版されたもので、英吉の写真や足跡、作品紹介などが掲載されています。東京美術学校(美校)の2年生で伊達政宗公騎馬像(政宗像)の制作者小室達と初めて会った頃の写真もあります。

 達の日記に再び英吉が出てきたのは、昭和9年美校4年生の時でした。9月20日の主な出来事には「政宗像18日目」と

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部英吉と達④昭和14 年【文展での作品の競演】

石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部英吉と達④昭和14 年【文展での作品の競演】

 私の手元に石巻市の市制施行50周年記念で作られた高橋英吉作品「潮音」のレプリカ像があります。英吉と出会ったご縁で私のところにやって来ました。

 第1話で紹介した潮音をテーマにした曲、石巻市総合体育館と大門崎公園、ガダルカナル島にあるブロンズの潮音像等、昭和14年の文展(文部省美術展覧会)で特選となった潮音が英吉の彫刻家人生における代表作となったことは、石巻の方なら誰もが知っていることだと思いま

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑤ 昭和14 年【先輩から見た英吉】

石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑤ 昭和14 年【先輩から見た英吉】

 私の手元に「青春の遺作 高橋英吉 人と作品」があります。第3話でも紹介した本です。これには英吉の年譜が記載されています。昭和14年11月の第4回斉々会展では3つの作品を出品しています。

 岩井藤吉が中心となって結成した「斉々会」の会員は英吉を含む10名ほどで、東京美術学校時代の親友が数名いました。準備段階の草案には「展覧会は年1回、当分の間資生堂で行う」と書かれています。第1回斉々会展の開催が

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑥ 昭和18 年【2つの新聞記事】

石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑥ 昭和18 年【2つの新聞記事】

 私の目の前に達が所有していた「日本彫塑」(昭和16年発行、非売品)という本があります。今いる場所は、何度か登場しているしばたの郷土館(柴田町)です。これによると達は「塊人社」(昭和4年創立、25名)、英吉は「東邦彫塑院」(昭和10年創立、136名)に所属していたことが分かります。

達が所有していた「日本彫塑」

 達の日記に生前の英吉が出てきたのは昭和14年が最後でしたが、達の足跡を調べるため

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑧ 令和元年 時空を超えた初対面

石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑧ 令和元年 時空を超えた初対面

 私の手元に英吉の娘、高橋幸子さんの木版画作品「風の又三郎より」があります。これは、幸子さんが営む幸工房(神奈川県逗子市)を訪問した時の記念の品です。

石巻市民にはおなじみの幸子さんの木版画

 平成30年9月に旧観慶丸商店で、彫刻家高橋英吉を知る映画「潮音」上映会があり、見に行きました。上映後、来場していた幸子さんが紹介されました。この時は話しかけることもできず、遠くから見るだけでした。

 

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月 初めての石巻訪問

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月 初めての石巻訪問

 彫刻家・小室達(1899-1953年)は、昭和初期に石巻をたびたび訪れ、多くの人と親交を深めた。日記にはその時々の感想や思い出などがつづられており、当時の石巻の様子を伝える記録としても貴重だ。第2部は達とゆかりの人たちに焦点を当てていく。(全20回)

 「石巻渡辺氏からの書面があった。人間小室は、石巻に好印象を与えたらしい」。私の目の前にある昭和6年の小室達の日記に、こう記されています。

 

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和4年8月 キーパーソン「渡忠」

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和4年8月 キーパーソン「渡忠」

 私の目の前に達の昭和4年の日記があります。巻末の人名録には初代忠犬ハチ公の制作者安藤照や村田勝四郎などの美術仲間の住所が並んでいます。その中に「石巻 渡忠 石巻町中町内海橋通り」という記載がありました。6年7月の石巻訪問以前のことを再度調べた時、巻末で見つけました。

 最初に調べた時は、主な出来事と作品制作ばかりに目がいっていたため、石巻関連で見逃している部分がありました。日記に初めて石巻のこ

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年2月 佐藤露江記者へ手紙

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年2月 佐藤露江記者へ手紙

 私の手元に「露江句集 海の門」(昭和7年10月10日発行)があります。石巻と達について調べる上で重要な資料と考え、入手しました。

 奥付には著作者佐藤露江(ろこう)、印刷者木村得太郎、発行者菅野純一郎、発行所郷土社書房(石巻町坂下通)と書かれています。著作者の露江は石巻日日新聞社の社員でした。印刷者の得太郎は、第1話で渡辺忠右ヱ門から紹介された人物です。

 達の日記に初めて名前が出てくるのは

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