hibikuoni

徒然なるままに日暮し、PCに向かいて心に映り行くうんたらかんたら…… まぁその時の気分…

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徒然なるままに日暮し、PCに向かいて心に映り行くうんたらかんたら…… まぁその時の気分で書いたり書かなかったりします。たぶん本を題材にした文章が多くなるような、そうでもないような気がしています。俺には未来は見えないのですから、何も断言などできないものです

最近の記事

愛とか推しとかそういうふわふわしたものの話

 まぁ眠いし、結論を先に書くのが評論のテクニックのひとつなので、書いておくが。いや個人的にはこのテクニックは好きではない。なぜなら、結論を先に決めた上で何かを書くと、それの成立に邪魔になる情報を無意識下で切り捨ててしまうからだ。大学教授なんかの本がつまらない理由の八割はそれで、残りの二割は文章を書くのが下手なのに上手だと誤解できる立場にいるからだろう。学生の下手な文章を馬鹿にすることしかしないのだから、必然、自身の文章を磨くことはしないでいい。相手に馬鹿にするか、上から目線で

    • 友達のいない創作世界

       なろう系と近年のラノベやアニメって対等の友達がいないよね、という話題を目にした。二回くらい。  理解できる話である。俺はなろう系や近年のラノベに精通はしていないが、ギャルゲーやエロゲにおいて主人公の悪友が重要なポジションにいるのが当たり前だった世代のオタクである。それゆえ、悪友のいない昨今のオタク向け作品には違和感がある。エロゲなんかでは、そのポジションにも美少女を充てることが増えている。あわよくばFDでその子のルートを入れよう、という魂胆が透けて見えるが、その成功率は意

      • 職業に貴賤はないっていうアレ

         いや、うん、それは事実だと思うのだが。  職業の中で貴賤はあると思うのだ。  芸人を例に出せばわかりやすいが、面白いと売れている芸人と、つまらないとされて劇場での多数のグループ参加のライブにさえ呼ばれない芸人では明確に貴賤があるし、某粗品の振る舞いは明らかに貴賤の賤側だと言っても否定はされないわけである。  この理屈に基づくと。   近年は推し活というものが流行り、誰を押そうともそこに貴賤はないが、推し方に貴賤はある、と言うことができる。  旧ジャニーズの某アイドルが

        • 最近見た映画の感想

           前振りなんてない。映画の感想である。映画館で観たものだけ。 ・四月になれば彼女は  映画プロデューサーと小説家を兼任する川村元気原作の恋愛小説の映画化。原作が大層好きなので、公開初日に観た。  川村元気自身が脚本に参加していたし、そもそも映画プロデューサーだけあって、映像映えするようにかなり改造されていたが、肝心要の部分は一切の変更もブレがなかったので、原作と異なる点は多いが別物ではなく、ある意味ではとてつもなく忠実な作品だった。原作付きの映像化のお手本にしてもいいかもし

        愛とか推しとかそういうふわふわしたものの話

          政治について語りたくはないんだけどまぁたまには語るよつまんないけど

           東京で補選があって、まぁ、Xとかいう肥溜めというか地獄の底の底ではああだこうだと盛り上がっていて、その中で日本人、政治に興味がなさすぎる! という意見をこれでもかと見た。  ……いや、当たり前だろ!?  と、俺なんかは思うわけですよ。  冷静になって欲しいんだけど、今の選挙権を持っていて、投票に行くべきだと言われている世代を、まぁ仮に五十路までだとして、だ。  彼ら――俺も含まれる――が子供の頃、政治について何か学んだことはあったか。学校で学ぶ政治経済なんて初歩以前の

          政治について語りたくはないんだけどまぁたまには語るよつまんないけど

          映画の感想をつらつらと書き記す

           今年映画館で観たもの限定で。ブラッディ・エスケープは前回、書いたのでそれ以降。 ・ガンダムSEEDFREEDOM   一応、種世代の身なので、半ば義務感で観に行った。種運命はこの世界にあってはいけないレベルの駄作だったから、あまり期待はしていなかった。  結論だけ言えば、エンタメ映画としてはよく出来ていた。文句は多々あるが、言うても、種世代の大人に向けた同窓会みたいなものだから、そういうことを言うのもしっくりこないとでもいうか。  敵役であるアコードがびっくりするくらい魅

          映画の感想をつらつらと書き記す

          しかしね、現実にそんなものはないのだから……

           俺の世界にはなぜ、いい声をした女性がいないのか。  急に発生した仕事をしながら、俺は考えた。  いや、世の中には声優という素敵な声を持つ人たちがいて、確かにいい声がこの世界にはあるのだと、証明してくれている。  しかし、俺の生きている世界にはいないのだ。  自分が生きている世界と、自分が見ている世界は異なる。前者はどうしたって自分という起点を持たざるを得ないが、後者はそんなものに縛られることなく、どこまでも自由にのびやかに広がりを見せ、数多の可能性を内包している。  前

          しかしね、現実にそんなものはないのだから……

          BLOODY ESCAPE 地獄の逃走劇を見た雑記

           今年初の映画として、これでよかった! と思える出来だった。という感想を最初に言っておきたい映画である。映画らしい映画で、そりゃダメな所もあるんだけど、そういうものを勢いと迫力で薙ぎ倒していくような感じで、俺のような映画にはエンタメ性と、細かいことが気にならなくなるくらいの勢いを求める人には、実にいい映画だったと思う。  とはいえ、このアニメの前日譚というか、世界観を深く掘り下げたテレビアニメのエスタブライフを見ていないと、逃がし屋たちのことや、世界観に入り込みづらい、とい

          BLOODY ESCAPE 地獄の逃走劇を見た雑記

          大人向け作品を作る大人が陥る罠

           大人向けに作りました! って作品で面白い作品が世の中には少ないのだが、どうしてだかクリエイターは大人向け作品を作りたい病にかかるものである。  と、いうのが今回の内容。それ以上のことはないので、これだけ読んでサヨナラしてもらっても構わない。noteの文章はその程度の価値であるべきだし、時間潰し以上の何かであるのはよろしくない、と俺は思う。  ともあれ。  大人向け作品という言葉は作品において、よく聞くものである。だがここで忘れていけないのは、作品に触れる人のすべてが大人

          大人向け作品を作る大人が陥る罠

          メモリーズをオフする第三夜

           シェフの気まぐれサラダくらいに気まぐれに書くアレ。  さてメモリーズオフシリーズである。前回は5までを振り返ったが、それ以降はKIDが倒産した後に、別のメーカーが版権を買って出したものなので、正確にはメモリーズオフシリーズではない、と言えるかもしれない。可能な限りオリジナルスタッフを集めていたし、6に関しては原点回帰をしようという意思を感じさせた作品だった。  ……まぁ、それが裏目に出た形に終わったのだが。  さて、その6である。  声優の青田買いをしがちだった過去作に

          メモリーズをオフする第三夜

          今更アマカノ2+の話をする迂闊さ

           発売日に買ったんだけど、初手に結灯ルートをクリアしたのがよくなかった。なぜか。  単純に、彼女が幸せになっていない世界を見るのが嫌になったからだ。この作品は「アマカノ2」のFDであり、基本的に内容はハッピーエンドのその先のドチャクソ甘い日々と、恋人から夫婦になっていく過程という形で構成されている。追加ヒロインである咲來に関しては、それらに加えて恋人になれそうでなっていない微妙な距離まで楽しめるが、まぁそれはこのシリーズの肝なので当然である。  話を戻すが。  結灯ルート

          今更アマカノ2+の話をする迂闊さ

          Remember11は誰を癒したのか

           そういうタイトルのゲームがある。  凄まじき名作ADVであることに異論を述べる人が少ないであろう、「Ever17」のinfinityシリーズの三作目であり、その終わりとなった作品だ。精神的続編と呼べる作品はあるのだが、本家はここで終わってしまった。  いくつか理由があるが、Remember11は未完成で発売されたからである。その辺りの事情は、PSP移植版の特典のスタッフインタビューを読めばわかるのだが、未完成ながらも全力を尽くして完成させた、という矛盾の塊みたいな作品とな

          Remember11は誰を癒したのか

          メモリーズオフを想い出す夜の時間

           第二弾。別に前の文章は読まなくても、つまりは、メモリーズオフシリーズという変な方向に尖った結果、受けたようなコケたようなそんな感じになったということだけを前提として把握しておけばいいのである。  さて、四作目の「それから」だ。個人的には一番好きな作品だが、世間的には凡作、くらいだと思う。同時に、メモリーズオフらしくない、とも言われる。というのも、前作「想い出に変わる君」でぶっ飛んだものにしたら受けなかったものだから、軌道修正して王道路線にしたからだ。  もちろん、メモリ

          メモリーズオフを想い出す夜の時間

          アリスとテレスのまぼろし工場に関するなんやかんや

           恋を知ったんだ! 死ぬもんか!  タイトルの映画の内容は、その一言で語れる。いやこのセリフはGのコレンギスタのものであり、それは、この映画の監督を務めた岡田磨里が降板させられたと噂のある作品のものなのだが、まぁ、大体はこれだったというしかないものだ。  どんな世界でも少年少女を恋をして、世界を変える。それは時に、命の危険さえも考えずに前に突き進む原動力になるものだろう。  それがずるいと嫉妬して、いい大人でもそんな風に生きてやるぜー! となった色ボケ中年が劇中には出てき

          アリスとテレスのまぼろし工場に関するなんやかんや

          メモリーズオフという作品を思い出す一夜目の夜

           俺はギャルゲーというものがとても好きだった。過去形にしたが、今でも好きである。だがしかし、現在それはもはやゲーム業界に存在しない、と言い切れるようなものになってしまった。考えようによっては、ソシャゲの大半はギャルゲーとも言えるのだが、建て前としてはヒロインと仲良くなることが第一の目的ではないので――本音の部分ではそこにしか魅力がなくても――ここでは語らない。  さて、そのギャルゲーの中でも長く続いたシリーズが「メモリーズオフ」シリーズだ。いや、一応まだ続いているような気が

          メモリーズオフという作品を思い出す一夜目の夜

          三連休の終わりに幼なじみについて考える

           タイトル以上の情報はないので、幼なじみ属性なんてどうでもいいぜー! という人はプラウザバックを推奨だ。と思ったが、スマホ全盛のこの現代だと、その呼び方は通じるのだろうか。戻って欲しい、の一言の方がわかりやすいのだろうか。インターネット老人会に片足を突っ込んでいる俺にはわからない。個人サイトとそれの掲示板全盛期の人間なので、完璧なインターネット老人というわけでもないが、それはさておき。  幼なじみである。  二次元の世界でそこそこ幅を利かせているヒロイン属性と言えよう。い

          三連休の終わりに幼なじみについて考える